【独自解説】「信用できない」「演出しすぎ」兵庫県・斎藤知事の再選で見えた“テレビの曲がり角” 来たるSNS・AI時代に考えたい2つの『法』とメディアのあり方
斎藤元彦氏が再選を果たした兵庫県知事選挙を受け「テレビは信用できない」と批判の声が多くあがる中、今後考えなければならない2つの『法』とは?テレビの世界に40年、そのうち30年を報道で現場を見てきた主観を含め、『読売テレビ』高岡達之特別解説委員の解説です。
■斎藤氏再選の要因はSNS戦略…だけではない 今後の選挙のあり方を考える
今回のテーマは、『テレビと選挙報道』です。斎藤元彦氏が再選した兵庫県知事選挙の結果は、今後の日本の選挙のあり方を変えるかもしれません。「情報を誰が発信し、どれを信じて、どう判断するか」という大きなきっかけを、テレビ・有権者の双方に与えたと私は思っています。
「SNS戦略に長けていたから斎藤氏が再選した」という発信がメディア側からありますが、私はそうは思いません。SNSには『本当のこと』『デマ』『良いこと』『悪いこと』などいろんな要素が入っていますが、兵庫県の有権者は「そんなことはわかっています」と感じていると思います。私は演説の会場を歩いて回って、遠巻きにしている人にもお話しを伺った上で、そう思います。
■一番知りたい時に情報が出ない…テレビ含む大手メディアの限界
有権者は、選挙が始まってからが一番情報を知りたいです。しかし、後ほど触れますが、テレビには限界があって、選挙が始まった途端に情報が出ません。これが、今の日本です。その時に有権者が何を知りたいかというと、「他の人の意見はどうか」「他のメディア各社の意見はどうか」ですが、テレビ以外も大手のメディアは沈黙します。
そして、候補者の政策だけではなく「人柄」や「話し方」、さらには「どんなペットや食べ物が好きか」なども知りたくなりますが、選挙が始まっても始まっていなくても、テレビはそんなに長い時間を番組内に収められません。
■“テレビにはできない”SNSの役割 最後は有権者自らの判断・意思で現場に
そこで、今回活躍したといわれる『SNS』です。私は『SNS』と一括りにはできないと思っています。『YouTube』『SNS』『ネットニュース』、それぞれに役割があります。
『YouTube』は、テレビと同じで映像を流しますが、“テレビができないこと”をやっています。我々は「ニュースは生放送が一番値打ちがある」といわれていて、テレビを見ている人は、相当その番組を見ようと思っている人です。しかし、ほとんどの人は「好きな時間に自分が選んだもの」を見たいので、そこに見事に応えているのが『YouTube』だと思います。
そして、『SNS』には映像もあるし、他の人の意見も聞けます。『ネットニュース』は、スポーツ新聞・一般新聞も含めて「メディアがこう書いている」ということも全部、一覧で見られます。だから、選挙が始まってからも情報が出せます。
テレビを見ている人にしてみたら、いきなり情報が止まるので「隠しているのではないか」と言うわけですが、隠していません。根拠があります。
しかし、SNSなどが情報を出す以上、それらを見て兵庫県の有権者は「自分で判断したい」と、こういうふうに思ったと思います。だから、ネット・SNSのいろんな情報の中で、自分で感じて、自分の判断で「これ、ちょっとおかしいな」と思うことはちゃんと切り分けて、自分の信じられることを信じると。
そして、それでも迷った人は現場へ行きました。政策だけではなく「どんな人柄か」「どんな話し方か」「信じられるのか」「自分と価値観が合うのか」を知りたいと思ったから、斎藤氏の街頭演説にあれだけの人が集まりました。きっかけはSNSでしたが、自分の意思でそこに行かないと、17日の間に聴衆が倍増する現場はありません。
■「反省する」再選には自らの言葉も影響か 有権者の判断は「未来を託そう」
そんな中、斎藤氏が必ず言っていた言葉があります。聴衆がいようがいまいが、「反省する」と言っていたんです。事実であろうがなかろうが「反省する」という言葉を聞いた有権者は、どう思いますか。「反省した人は、次は少しマシなことをやってくれるだろう」、そう思って当然だと私は思います。
その上で、出直した人がまだ若く、やりたいことがいっぱいあると言うんだったら、「未来を託そう」と。私は、兵庫県の有権者の判断は、これだと思っています。
■「よく見るとテレビは嘘をついていない」それでも信じられないといわれるワケ
選挙の報道で、テレビが曲がり角を迎えています。私は自分の仕事に大変誇りがありますが、残念ながら「信用できない」と言われる時代だと思っています。
これは反論があるでしょうが、私は断言します。基本的に我々は嘘をついたら、良くて謝罪・悪ければクビです。だから、よく見るとテレビは嘘をついていません。
例えば、パワハラは刑事事件になっていませんし、百条委員会も公式の見解を出していませんから、「疑惑」と書いてあります。“おねだり”も同じです。でも、これを見た人に「パワハラのほうがデカい」「印象操作をしている」と言われても、私は仕方ないと思っています。テレビが信じられないといわれる理由は、ここです。
かつてテレビは「情報番組もあれば、お笑い芸人が入って楽しくやる番組もある。でも、報道はちゃんとやりますから」と、こういう言い訳をしていました。しかし今、報道も情報番組もお笑い芸人が出て楽しくやる番組も、全部ニュースを扱います。テレビを見ている人からしたら、一緒です。だから、頑張っている後輩はいっぱいいますし残念ですが、「テレビは演出のやり過ぎだ」「信用できない」という声があって当然です。
■選挙報道には限界が…背景にある『公職選挙法』と『放送法』
今回ぜひご理解いただきたいのは、特に選挙に関しては、テレビには限界があります。
SNSは生まれてまだそんなに年数が経っていませんが、テレビには70年を超える歴史があります。その中で、SNSやネットメディアと同じようにいろいろと疑惑を向けられて、信用されずに、国政選挙を乗り越えてきたわけです。
そして、「政治家が作った」と言いますが私は政治家を選んだのは有権者だと思っていますので、有権者が『公職選挙法』で「選挙が始まったら公正公平にやりなさい」と、そして『放送法』で「誰の応援もしてはいけません」と、罰則があろうがなかろうが、法律で決めました。
これを深く読んだ我々の諸先輩・同僚・後輩たちにより、“自主規制”が入っていることは認めます。今は、「同じ秒数を出さないといけない」から「秒数よりも全員の顔を出しましょう」と変わりました。しかし、それがテレビを見ている人からの「なぜ選挙が始まったら途端に言わなくなるのか、そっちが大事ではないか」という要望に応えていないことは認めます。
日本のテレビ局で給料を頂いている人間としては少々出過ぎた個人意見だと思いますが、「有権者は、今までの決められた法の枠を超えて、選挙の時も自由な発言をテレビに求めますか」ということを、我々も考えますし、皆さんも考える一つのきっかけだと思います。
■“フェイク画像”はアリかナシか…新たに浮上した議論すべき『AI技術』規制
実は、アメリカはすでに変えました。アメリカにも選挙の時には『フェアネス・ドクトリン(公平原則)』という考え方がありましたが、1987年に撤廃しました。
私は8~9月にアメリカに行きましたが、アメリカ国民は「CNNはどちらかといえば民主党寄りだ」と思っています。CNNは「違う」と言っても、そう思っています。トランプ氏寄りの放送局はそうだろうと言われているし、中立と言われている所もあります。
そして、それを選ぶのは国民です。「やっぱり自分で選ぶものでしょう」と、アメリカはそう考えたわけです。その結果どうするのか、文句があるなら変えたら良いというのも、アメリカの発想だと思います。
私が心配しているのは、これから先、日本にも『ウソ動画の時代』が来ることです。
すでにアメリカでは、今回トランプ政権の誕生に大変寄与したといわれる世界的大富豪イーロン・マスク氏が、ホワイトハウス内の大統領執務室にいるようなフェイク画像を自身で作って、SNSに上げました。彼はまだ大統領執務室に入ったことがありませんが、“ニセ”というか“表現の自由”というか…。
ヨーロッパでは、「AIが作るようなものは、騙される人がいるから規制しましょう」という考え方ですが、イーロン・マスク氏はそうではありません。こういう技術を「どんどん使うべきだ」と言っています。
テレビ局は、自分たちのニュースを『YouTube』で流すこともやっています。それを見ることで、放送エリア外の人にも私を知ってもらえていることも事実です。テレビは『YouTube』と敵対せず、法の中で手を携えることもやっています。
ただ、今の日本では、『YouTube』もそうですが、「情報がないんだったら、こちらで撮りましょう」ということがある時代です。これからの時代、もう一つ『法』を考えてください。選挙について、AIが作る情報を法で規制すべきでしょうか?そのことも共に考えるべき今回の選挙でした。(『読売テレビ』高岡達之特別解説委員)
(「かんさい情報ネットten.」2024年11月18日放送)