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【特集】「障害者のわたしが先生になる理由」パリ・パラリンピックでメダルを目指す片腕のスイマーの教育実習に密着 障害があるからこそ伝えられること

2024年2月29日 20:00
【特集】「障害者のわたしが先生になる理由」パリ・パラリンピックでメダルを目指す片腕のスイマーの教育実習に密着 障害があるからこそ伝えられること
パリ・パラリンピックを目指す宇津木美都さん

 2024年のパリ・パラリンピックを目指すアスリートが、先生になるため教育実習に臨みました。障害を持つ彼女が教壇で子どもたちに伝えたい思いとは?

日本代表のキャプテンを務めるスイマーの夢は「小学校の先生」一か月の教育実習に密着

 2023年9月、障害者のトップスイマーが出場する国際公認大会、レース直前でも、満面の笑顔でひときわリラックスしている女性がいました。宇津木美都さん。彼女は右腕のひじから先が生まれつきありません。2021年の東京パラリンピックに出場し6位に入賞した彼女、2024年のパリではメダルが期待されており、日本代表のキャプテンも務めています。そんな彼女のもう一つの夢、それは小学校の先生です。

(宇津木美都さん)
「両親はどっちも小学校の先生でそれに憧れたのが(教師を目指す)一番大きな理由です。あとは小さい子どもがすごい好き。小さい子がジロジロ見てくると私は腕をまくったりします。スゴイやろって」

夢への第一歩となる教育実習。障害があるからこそ、子ども達に伝えたいことがあります。

 教育実習の期間は一か月間。場所は母校の小学校です。朝、登校する子どもたちを笑顔で出迎える宇津木さんの姿がありました。

 最初は教壇に立たず授業の見学から始まります。この日は障害者の視点を子どもたちに伝える道徳の授業です。

(指導担当 成宮未希子先生)
「車いすだから出来ないだろうとか可哀そうとか思われることが悲しいと言っていました。宇津木先生にも少ししゃべってもらっていいですか」

(宇津木さん)
「私も(同じことを)言われることが多くて、『可哀そう』とか『大変でしょ』と言われることが多いんですけど、みんなが想像しているよりも車いすの人も、視覚(障害)の人も、私もだけど、けっこう何でも出来て、みんなも出来るはずのことなのに『(やらなくて)いいよいいよ』みたいなことを言われたら自分でやるから大丈夫となるでしょ?」

 2020年6月文科省発表の全国の教員で障害者が占める割合は1.27%、さらに小学校に限ると0.69%と1%に満たないのが現実です。宇津木さんは最も少ない小学校の先生を目指しています。

 みんなと同じように動き、障害のある右腕で握手をする。いつしか彼女の周りには、自然と子供たちの輪ができていました。

(宇津木さん)
「生徒の勉強にもなると思っています。そういう人がいると。(身近に)いないと、『あの人は変だな』と変な目で見る人がいたりとか、障害に対してネガティブなイメージを持つ人もいるので、そういう人が無くなっていくためにも、小学校の先生になって小さい時にネガティブな考えを失くしていければいいかなと思います」 

3歳でプールをはじめ、中学生でいきなり“アジア新記録” 健常者の大会にも出場「自分が健常者と戦う時は障害者だと思っていない」

 最初のプールは3歳のときでした。その後、中学生で競技として取り組み始めるといきなり“アジア新記録”をマーク。この時、東京パラリンピックへ向けメダルが期待される存在になりました。高校生の時には健常者の大会にも出場。もっと速くなる自分を疑いませんでした。

(宇津木さん)
「もっと(健常者の選手と)いい勝負をしたかった。本当は勝ちたかったけどなかなか。自分が健常者と戦う時は障害者だと思っていない。皆と一緒だと思っているので(違うとは)全く思っていない。皆一緒なんで」

 現在、宇津木さんは大阪体育大学に通う3年生です。京都の実家を離れ1人暮らしをしていて、料理も慣れた手つきでこなします。実習期間中は大学を離れるため練習は週末の自主練習のみ。アスリートとしては不安になりますが、いまは子どもたちが最優先です。

初めての授業での課題は「手の面積を求めること」障害を持つからこそできる彼女だけの授業、そこで伝えたかったこととはー

 学校教育実習ではじめて教壇に立つ日が来ました。

(宇津木さん)
「いまから先生の手形を配ります」
(生徒)
「え~」

 面積を求める授業を行いました。求める面積は宇津木さん自身の手の平です。

(宇津木さん)
「めっちゃ純粋このクラス。手形を渡したら皆まず(自分と比べて)調べ始めるでしょ。なんてかわいいんだろう」

 宇津木さんには、この教育実習の間に子ども達に伝えたいことがありました。“コロナ禍”前の2019年、当時は東京パラリンピックまであと1年という時期でした。宇津木さんは、ここまでの競技人生で一番遅いタイムを記録します。遅くなった原因は分からずまったく光が見えない時期でした。笑顔がなくなり、時にはプールサイドでふさぎ込むこともありました。

 それでも大学に入り環境を変え泳ぐフォームを見直すなど、出来ることを少しずつ積み重ね、諦めることだけはしませんでした。そして東京パラリンピックへの切符をつかみ出場を果たした宇津木さんは、女子平泳ぎで6位入賞。スランプを乗り越えた彼女には、いつもの笑顔が戻っていました。

 教育実習も3週間目。

(宇津木さん)
「きょうは、私・宇津木さんの競技人生から困難にぶつかった時に、どんなことを大切にするべきかということをみんなで考えていこうと思います」

 自分を題材にした授業、子ども達に一番大切にしている“思い”を伝えたいと考えました。

(宇津木さん)
「実際に、宇津木さんからコメントを頂いているので…とか言いながら自分で書きました(笑)」

 はにかんだ表情で宇津木さんは続けます。

(宇津木さん)
「今までのままでは何も変わりません。私は泳ぎ方を大きく変えたりとか練習環境を変えたりすることで困難を乗り越えてきました。泳ぎや環境を変えることはとても勇気のいることです。しかし、それがタイムを上げるきっかけになると信じて、諦めずに努力し続けました。諦めずに良かったと思えるように、私は(これからも)挑戦し続けます」

 45分間の授業で自分の思いは伝えられたのでしょうか…。成宮先生との反省会ではー。

(宇津木さん)
「ラストのまとめのところがあやふやで終わったのが心残りです」
(成宮先生)
「大事なことを伝える時に(宇津木)先生は自分のことを言っているから恥ずかしさもあったと思うけど、本当に大事な事を言う時はちゃんと子どもの方を向いて、目を見て皆の目を見ながら伝える。いま大事な事伝えたいことを言っていると子どもたちも雰囲気で分かる。そこが今日は照れが入っていたかな」

 失敗は次へのステップ。その後も、子ども達と共に学び続けました。

教育実習最後の日。1か月間の“答え”は、子供たちの「ありがとう」

 教育自習最後の日。一か月間の“答え”は、子ども達から渡されました。教室に入った彼女を迎えてくれたのは、黒板いっぱいに書かれた“ありがとう”の文字。

(生徒)
「宇津木先生」
「いつも明るく話してくれて」
「ありがとうございます」
「様々な授業を分かりやすく教えてくださって」
「頭が良くなりました」
「算数ではいつもと違う」
「手の面積を求めることなどが」
「面白くてわかりやすかったです」
「休み時間でも授業の事を考えていて」
「頑張っている姿がカッコよかったです」
「そんな宇津木先生が大好きです」
「一ヶ月間本当に」
「ありがとうございました」

(宇津木さん)
「入ってきた時もちょっとうるっときてしまって、涙もろい部分が出てしまっているんですけど。一ヶ月間このクラスで一緒に学べてすごい楽しかったし、諦めない心とか、努力すること、希望と勇気を忘れずに頑張ってほしいということを(授業で)伝えたんですけど、それは子どものときでも大人のときでも絶対変わらないと思うので、これからたくさんの困難とかたくさんの壁にぶつかって、たくさん失敗して成長してください。ありがとうございました」

(生徒)
「自分もシンクロをやっているんですけど、辞めたいとか思う時もあるけど宇津木さんでもこういうこと(いい時と悪い時)があるから、それでも挑戦し続けたら、いい事とかタイムが上がったりするから最後まで諦めずに頑張るという事をこれから大切にしたいです」
「初め見た時は障害のある方と思ったけど、徐々に接したら普通に何でもできるしすごいなと感心しました。(印象は)めっちゃ変わりました」

(宇津木さん)
「子どもたちも最初は(手が無いことに)驚いていたと思うんですけど、実際に先生として行って自分が片腕無いことを忘れている感じ。これだな『やりたかったこと』はと思って、すごい楽しかったですね」

少しずつ努力を続ければ誰でも輝ける。宇津木さんは、その姿をパラリンピックで子ども達に見せます。

(「かんさい情報ネットten.」2024年2月9日放送)