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ベトナムと皇室の交流 約1300年前に“雅楽”の接点【皇室 a Moment】

2022年4月17日 12:08
ベトナムと皇室の交流 約1300年前に“雅楽”の接点【皇室 a Moment】

ひとつの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。今回は、ベトナムと皇室の約1300年前に遡る長い交流について日本テレビ客員解説員の井上茂男さんと共にスポットを当てます。

――こちらはどのような場面でしょうか?

いずれもベトナム中部の町、フエにあるかつての王宮での一場面で、左が2017年に上皇ご夫妻が訪問された時、右が2009年に天皇陛下がお一人で訪問された時の様子です。

2017(平成29)年2月から3月にかけ、上皇ご夫妻は社会主義国のベトナムを初めて親善訪問され、これが退位前、天皇皇后両陛下としての最後の国際親善訪問となりました。フエはベトナム最後の王朝、阮(グエン)朝の首都だった場所で、「王宮」は世界遺産になっています。ご夫妻は、華やかな伝統衣装に身を包んだ人たちの舞などで歓迎を受けられました。

また、今の天皇陛下も上皇ご夫妻の訪問の8年前の、皇太子時代の2009(平成21)年2月、外交関係樹立35周年の節目にあたってベトナムをお一人で訪問されています。この時もやはり古都フエで王宮を訪ねられました。

ベトナムはインドシナ半島の東側、南シナ海に面した南北1650kmの細長い国で、首都は北部のハノイです。中部にはフエや貿易の港として栄えたホイアンがあり、南部にはかつてサイゴンと呼ばれたホーチミンがあります。

■「先の戦争と向き合う旅」

2017年、天皇皇后両陛下としての最後の国際親善訪問で、上皇ご夫妻はまず首都ハノイで歓迎式典に臨まれました。社会主義国へのご訪問は1992年の中国以来でした。ベトナムは10世紀に中国から独立し、独自の王朝を持ったあと、フランス領インドシナの時代や旧日本軍の進駐の時代を経て、先の大戦の終結と共に共産主義国家として独立を宣言しました。

この独立運動を率いたのがホーチミンです。上皇ご夫妻は歓迎式典の後、「建国の父」とされるホーチミンの廟を訪れ献花されました。ベトナムは独立宣言後、フランスとの間のインドシナ戦争、アメリカが軍事介入したベトナム戦争を経て、1976年に今のベトナム社会主義共和国が成立しました。

――上皇ご夫妻はベトナムではどのような方と会われたのでしょうか

2017年の訪問は、親善訪問でしたのでベトナムの要人と会われましたが、「先の戦争と向き合う旅」でもありました。

先の大戦中、ベトナムにいた旧日本軍の中には、戦後も留まって「ベトナム独立同盟=ベトミン」に合流し、独立戦争に参加した元兵士が約600~700人いました。現地で結婚し、家族を持った人もいましたが、その後、国際情勢の変化により日本へ帰国するよう促され、家族は離れ離れになりました。

ベトナム戦争が始まると日本とアメリカが同盟関係にあったために、その家族たちにも厳しい目が向けられて、元日本兵との関わりを隠して暮らさなければならない時代がありました。上皇さまは元残留日本兵の妻、グエン・ティ・ スアンさん(当時93)に「随分いろいろご苦労もあったんでしょう」と声をかけられました。

スアンさんはインタビューで「うれしかったです。とてもうれしかった。(上皇ご夫妻が)私の手を握ってくれた時、夫と離れた私の事情をわかってくれていると感じました」と語っていました。

また、ベトナム戦争でアメリカが使った「枯れ葉剤」の影響によるとみられる、下半身がつながった状態で生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」をご記憶の方もいらっしゃると思います。日本の医師団の協力で分離手術が行われ、その後、兄のベトさんは亡くなりました。ハノイで上皇ご夫妻はドクさんに会われ、上皇さまは「ドクさんが元気にされていることをうれしく思います」と話されました。

■ルーツは同じ 日本とベトナムの「雅楽」

上皇ご夫妻が次に訪問されたのが古都フエです。両陛下を迎える大きな看板が町の至る所に立てられ、移動する先々には多くの人々が並んでご夫妻を歓迎しました。

ご夫妻はフエの世界遺産の王宮で、日本とも関わりのあるベトナムの宮廷音楽「ニャーニャック」を鑑賞されました。実は「ニャーニャック」は日本の皇室の伝統文化でもある「雅楽」とルーツを共にしているんです。

ベトナムは中国発祥の漢字文化圏の南の端の国で、かつては漢字が使われていました。この「ニャーニャック」を漢字で書くと日本と同じ「雅楽」です。「雅楽」も「ニャーニャック」も、共に中国の宮廷音楽をルーツとしていて、伝来した時期で調べが異なっています。

今の天皇陛下も、2009年にフエでニャーニャックを鑑賞されました。宮廷音楽を育んだ王朝はやがて滅亡し、ベトナム戦争でニャーニャックは忘れられてしまいましたが、その後、ベトナム政府は大切さに気づき、日本もその復興を後押ししました。2004年には「ユネスコ世界無形文化遺産」に指定されています 。

このベトナムの雅楽は、1300年近くも前に日本に紹介されているんです。752年、奈良・東大寺の大仏の開眼供養が盛大に行われました。この時、「林邑(りんゆう)」と呼ばれた当時のベトナムからやってきた僧・仏哲(ぶってつ)が踊りを奉納し、その「舞楽」が「林邑楽」として日本の雅楽にも取り入れられました。

■架け橋の人たちに会われた訪問

日本とのつながりはそれだけではありません。天皇陛下が訪問された時は、世界遺産の町ホイアンにも足を運ばれていました。16~17世紀に朱印船貿易で多くの日本人商人が訪れ、栄えた町です。1000人規模の日本人町があったとされ、陛下は、日本人が作ったと伝えられる木造の橋、通称"日本橋"をご覧になりました。

また、天皇陛下は、ハノイの目の不自由な子どもたち100人以上が通う学校も視察されました。この時、案内したのは日本の俳優の杉 良太郎さんです。30年にわたってベトナムで慈善活動を続けていて、外務省から「日ベトナム特別大使」に任命されています。この学校も杉さんが生活用品や資金の援助を続けてきた学校です。両国の架け橋となっている人たちにも目を配られました。

■天皇陛下は「水問題」の視点でメコン川も視察

さらに天皇陛下は、ベトナムを「水の研究」の視点からもご覧になっています。南部ホーチミン市の近くではメコン川を遊覧船で約1時間視察されました。

荷物を載せた船が行き交う様子や、水上の小屋に住む人々の生活などの写真を撮りながら、熱心にご覧になり、「この地域について理解を深めることができてよかったです」と語られています。

南シナ海に注ぐメコン川は、中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを流れる国際河川です。こうして実地で得た知見は、水問題の講演で写真と共に生かされています。

■感想で示した「信頼と友好の歴史の絆を一層強固に」という願い

訪問を終えて天皇陛下は「ホイアンやフエにおいて,我が国江戸初期の朱印船貿易時代の旧日本人町を訪れたり、日本の雅楽と縁(ゆかり)の深いニャーニャックの演奏を聴くなど、両国の永い交流の歴史を改めて認識することができました。(中略)今回の私のベトナム国訪問が、これまで先人の方々が様々な交流により培われてきた日本とベトナム両国の信頼と友好の歴史の絆を一層強固なものにすることに少しでも貢献できたのであれば幸いに思います」と感想を発表されています。

――いま、日本にベトナムの方はたくさんいらっしゃいますね

留学生や技能実習生など日本に在留するベトナム人は、2020年6月の統計では42万人に上っています。これは中国、韓国に次ぐ数です。

天皇陛下も上皇ご夫妻も、ベトナムで、日本の文化を学ぶ人たちや元留学生らと会われました。過去に〝ベトナム・ブーム〟がありましたが、こうした歴史があって、今日の交流があることも押さえておきたいと思います。

【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。