【皇室コラム】“愛ちゃん憲法”の結実を感じた愛子さまの記者会見
天皇皇后両陛下の長女、愛子さまの初めての記者会見は、自分の言葉で一生懸命に語られ、ユーモアもあって、うれしい会見でした。誰よりも目を細められたのはきっと天皇陛下だったでしょう。17年前に熱く語られたとおり、愛し、愛され、思いやりのある大人に成長し、“愛ちゃん憲法”とも受け止められた「養育方針」の結実を思うからです。(日本テレビ客員解説員 井上茂男)
【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第16回 <“愛ちゃん憲法”の結実を感じた愛子さまの記者会見>
■天皇陛下が17年前に語られた愛子さまの「養育方針」
2005(平成17)年2月。長野県のスキー場で愛子さまが初めてのスキーに挑戦し、雪のかまくらを体験されている映像と写真があります。当時3歳。猛吹雪で現地取材が中止となり、職員が撮影したプライベートショットが提供されました。雅子さまの「適応障害」が発表されて約半年。カメラを見つめる愛子さまの険しい視線に、幼心に病気のママを守ろうとされているのではないかと感じたことを思い出します。
映像と写真が提供されたのは、陛下の45歳の記者会見が行われた日でした。「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」。「人格否定発言」に驚きが走ったのは前年5月。現在のスペイン国王の結婚式などのために訪欧される前の記者会見です。今度は何を話されるか注目されていました。
「昨年の私の発言は、雅子の状況を国民の皆さんに知っていただきたいと思ってしたことです。しかしながら発言をめぐっては、天皇皇后両陛下にご迷惑をおかけしましたことを申し訳なく思っております」。陛下の語り口は前の会見の時とは違って穏やかでした。
当時、秋篠宮さまより若い男性皇族はなく、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」で皇位継承議論が始まっていました。記者会見では、新たな動きを踏まえ、愛子さまの「養育方針」や「お世継ぎ問題」についての質問もありました。「有識者会議が設置されたことは承知しておりますが、私としては、お世継ぎ問題も含めて、コメントは控えさせていただきます」。一方で愛子さまの「養育方針」についてはたっぷりと語られました。
「愛子にはどのような立場に将来なるにせよ、一人の人間として立派に育ってほしいと願っております。3歳という年齢は今後の成長過程でも大切な時期に差し掛かってきていると思います。愛子の名前のとおり、人を愛し、そして人からも愛される人間に育ってほしいと思います。それには、私たちが愛情を込めて育ててあげることが大切です」
■「感銘を受けた」と披露された子育ての詩
陛下はこの時、つい最近出会ったという「詩」を紹介されました。スウェーデンの教科書に収録されている、アメリカの家庭教育学者ドロシー・ロー・ノルトが作った「子ども」という詩です。
「批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちぬしとなる
しかし、激励をうけた 子どもは 自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる
友情を知る 子どもは 親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる」
(『あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書』アーネ・リンドクウィスト、ヤン・ウェステル著、川上邦夫訳、新評論 ※筆者注=各節内の改行は省略)
詩を朗読し、陛下はさらに続けられました。「子どもを持ってつくづく感じますが、この詩は、人と人の結び付きの大切さ、人を愛することの大切さ、人への思いやりなど今の社会でともすれば忘れられがちな、しかし、子どもの成長過程でとても大切な要素を見事に表現していると思います。非常にこの詩には、私は感銘を受けました。家族というコミュニティーの最小の単位の中にあって、このようなことを自然に学んでいけると良いと思っております」
「ナルちゃん憲法」と呼ばれる上皇后さまの育児メモがあります。読売新聞の夕刊コラム「よみうり寸評」は陛下の養育方針を「ナルちゃん憲法」になぞらえ、“愛ちゃん憲法”に継承されていると書きました。詩は大きな共感を呼びました。教科書は注文が殺到して売り切れ状態になり、出版元は1万部を増刷することを決めたと報道翌日の朝日新聞は伝えています。
■愛情を注いでくれた両親への「感謝」
愛子さまの記者会見は、自分の言葉で語る中にユーモアがあって、人柄が伝わってきました。中でも響いたのは次の部分です。「両親は、私の喜びを自分のことのように喜び、私が困っているときは自分のことのように悩み、親身に相談に乗ってくれるような、私がどのような状況にありましても、一番近くで寄り添ってくれるかけがえのない有り難い存在でございます。これまでたくさんの愛情を注ぎ育ててくださったことに深く感謝しております」
初等科時代の不登校、激やせが心配された思春期……。病気を抱える雅子さまも陛下と共にサポートされてきたことがうかがえます。陛下は2011(平成23)年の記者会見で不登校のことについてこう話されています。「この1年近く、親として愛子のために何をしてあげられるのかという思いで、雅子と共に考え、歩んできました」。そうした道のりの上にある愛子さまの「感謝」です。“愛ちゃん憲法”の結実を思います。
愛子さまの記者会見で頼もしかったのは「皇室の在り方」についての考えです。「皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております」。両陛下や上皇ご夫妻が国民に寄り添う姿や、真摯に公務に取り組まれる姿を幼い頃から見てきたことにも触れられました。天皇の姿を間近に見て育つことは皇室で重要なこととされますから、改めてその大切さを思います。
記者会見の準備についても話されました。「事前に頂いた御質問に対して、なるべく具体的に自分の言葉で自分の思いを皆さんに知っていただけるように伝えたいと思って準備してまいりました」。ひたむきに回答を考えられたことがわかります。言葉の選択についてご両親のアドバイスを受け、天皇陛下からは「皆さんの顔、お一人お一人の顔を見ながら、目を合わせつつ、自分の伝えようという気持ちを持って話していくというのがコツ」と助言も受けられたそうです。
宮内庁のホームページに掲載された会見録はA4用紙で6枚に上ります。約30分。メモに頼らずに話されるのは大変だったでしょう。側近によれば、愛子さまは時間をかけて推敲を重ね、自分の気持ちに合う言葉を探すなかで、内容を自然に覚えられたそうです。手の空いている職員に座ってもらって、記者をイメージしながらリハーサルもされていました。雅子さまは本番前に服装や髪の毛に気を配り、ごく近くの部屋で愛子さまの様子を案じられていたそうです。愛子さまは成年に伴う記者会見に全力で取り組み、ご両親は今回もまた間近で寄り添われたのです。
■青春は挑戦し、力を試し、模索する時期と語った陛下の初会見
42年前の1980(昭和55)年2月20日、浩宮時代の陛下も初めての公式会見に臨まれました。「青春をどう考えていますか」と聞かれ、「あらゆるものに挑戦し、それから自分の力を試す、自分の中のもの、外のものに限らずそういった力を試す時期であり、また、模索する時期じゃないかなって考えるんです」「精一杯生きたんだなと思えるような、そういった時期にしたい」(『新天皇家の自画像 記者会見全記録』薗部英一編 文春文庫)と話されています。
陛下の記者会見には、天皇になる自分を高めなければならないという意気込みのような熱量を感じますが、愛子さまの会見は感謝や抱負が笑顔で語られ、自然な柔らかさに包まれていたように思いました。
愛子さまのこれからの活動を楽しみに感じた人は少なくなかったでしょう。小泉内閣の時の有識者会議の考え方によれば、歴史上、「9人目」の女性天皇になる立場だったかもしれない内親王です。スペインなどヨーロッパの王国は次の代で半数以上が女王の治世を迎えます。それぞれの背景を踏まえつつも、どうして日本は女性の天皇ではいけないのか改めて考えてしまいます。
【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年東京生まれ。読売新聞社会部の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご成婚や皇后さまの適応障害、愛子さまの成長などを取材。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。