愛子さま 就職と共に始まった成年皇族としての活動【皇室 a Moment】
■「困難を抱えている方の力に」という思い
――1つの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。きょうの瞬間はこちらです。
――日本赤十字社に入社された愛子さまですね。
はい。4月1日、多くの新社会人と同様、愛子さまも成年皇族としてのスタートを切られました。
愛子さま:「先ほど、社長より辞令をいただき、あたたかいお言葉をかけていただきまして、うれしく思うと同時に、社会人としての一歩を踏み出したのだと、身の引き締まる思いが致しました」「これから、社会人としての日々が始まりますが、早く職場に馴染み、皆さまのお役に立てますよう頑張って参りたいと思っております」
――スーツ姿の愛子さま、一段とりりしさが増されたような印象がありますね。
きょうは社会人となられた愛子さまに注目します。井上さん、愛子さまは入社翌日、文書で感想も寄せられましたね。
はい。大学卒業と就職への思いを綴られています。
――それがこちらです。
愛子さまの感想:「皇室の役目の基本は『国民と苦楽を共にしながら務めを果たす』ことであり、それはすなわち『困難な道を歩まれている方々に心を寄せる』ことでもあると認識するに至りました。大学では福祉に関する授業を履修し、福祉活動への関心が増す中で、公務以外でも、様々な困難を抱えている方の力になれる仕事ができればと考えるようになり、大学卒業後は社会に出て、福祉関係の仕事に就きたいという思いを抱くようになりました」
「困難を抱えている方の力になりたい」という思いが明確で、うれしいですよね。
愛子さまは「社会人としての責任感を持って、様々なことを身に付け、早くお役に立てるようになるよう精進したい」とも記されていまして、「社会人」「精進」という言葉に、強い“覚悟”がのぞいているように感じます。「青少年・ボランティア課」に配属され、個人ボランティアの情報誌の編集や研修の運営などの仕事をされています。
◾️「敬宮愛子」という呼び方に込められた思い
――4月1日は社長から「敬宮愛子(としのみや・あいこ)」と呼ばれて辞令を受けたそうですね。
その呼び名に大きな意味があると思います。
愛子さまが幼稚園に入園した時、天皇陛下の「姓と名で呼ばれるほかの子と同じように」という思いから、陛下の時の「徳仁親王殿下」にならった「愛子内親王殿下」ではなく、称号の「敬宮」と、名前の「愛子」を、一般の人の姓名のように並べる新しい“呼び方”になりました。
成年皇族になって、“ほかの子と同じように”と考えられた名前をそのまま使われるところに、“一社会人”としての覚悟、気構えがのぞいていると感じます。
◾️外宮参拝の前に上がった雨
愛子さまは3月26日から1泊2日で三重県の伊勢神宮と奈良県の神武天皇陵を参拝されました。大学卒業と就職を報告するためで、愛子さまにとって初めての“一人旅”でした。
――井上さんも現地で取材されたそうですね。
はい。伊勢神宮では、愛子さまは外宮(げくう)、内宮(ないくう)の順に参拝されましたが、私も外宮、内宮のそれぞれ外で取材をしました。
この日は朝から激しい雨でしたが、外宮参拝の直前に雨がやんで青空が広がったのには驚きました。沿道では愛子さまをひと目見ようと多くの人たちが並び、「愛子さまー!」と大きな声を出して迎えました。
◾️お手振りは人のいる側に“ズリズリ”と移動して
驚いたのは、夕方の内宮からの帰り道です。愛子さまの車が宇治橋をゆっくり渡って来て、進行方向の右側に並んだ人たちの歓迎に応えられています。私は少し離れた反対側の人波の中にいまして、当初、こちらの方の窓は閉じられていました。
こちらはその時、私がスマホで撮った映像です。大勢の人たちから大きな声が上がると、窓が開き、愛子さまは奥から手前にズリズリと体を移動させて手を振られました。
とっさに人がいる方に寄って、にこやかに笑顔で手を振られるシーンが初々しく、歓迎がとてもうれしかったんだろうなと思いました。すてきな表情でした。
――360度目線を配られていらっしゃる、愛子さまのお気持ちが伝わりますね。
◾️“公務の始まり”を感じた小学生との触れ合い
翌日は、奈良県橿原市にある神武天皇陵に参拝されましたが、天気が良かったこともあり、大変な人出でした。この日も愛子さまが、懸命に手を振られていたのが印象的でした。
――人波といいますか、人垣が何層にもなっていて、本当にたくさんの人が集まったんですね。
この日、神武天皇陵参拝にさきがけ、午前中の三重県での視察が、お1人での初めての“公務”と言っていい訪問でした。明和町にある「斎宮(さいくう)歴史博物館」のご視察です。「斎宮」は天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えた未婚の皇族女性が、日常を過ごした場所です。
愛子さまは到着すると、歓迎の小学生たちに迷わず近寄って声をかけられました。
沿道の人:「卒業おめでとうございます!」
小学生:「卒業したんやで大学!ニュースで見た!」
愛子さまは、子どもたちに「小学校は楽しい?」などと声をかけられていました。
続く「いつきのみや歴史体験館」では、平安貴族のハマグリの貝殻を合わせる「貝覆い」という遊びにも挑戦されました。
男性:「はい、そちらが対になる貝です」
愛子さま:「コツはなにかありますか?」
こうした地元の小学生らと交流される様子を見て、成年皇族としての活動・公務がごく自然に始まったと思いました。
――恥ずかしがるようなそぶりの子どもたちに、1歩1歩近づかれる愛子さまが印象的ですね。愛子さまご自身も楽しまれているような素敵な笑顔ですね。
そうですね。
文書回答で「行った先々で多くの方々に温かく迎えていただいたことに感激し、非常に印象深い訪問となったことを心から有り難く思いました」と綴られていますが、「感激」という言葉は、率直な気持ちなんだろうなと思いました。
――愛子さまのはじけるような笑顔から感激という気持ちがよく伝わります。
◾️遠からず始まる地方へのお出かけや外国訪問
――愛子さま、これからどんな公務が始まるのでしょうか?
宮中行事では国賓を迎えた時の宮中晩さん会などに出席し、宮中祭祀にも参加されることになります。遠からず地方への単独のお出かけや、外国の親善訪問も始まることと思います。
参考になるのは、紀宮時代の黒田清子さんです。清子さんは26歳の1995(平成7)年に「日本ブラジル修好100周年記念式典」出席のためブラジルを1人で訪問し、日系移民らに熱烈な歓迎を受けました。
それまでも「旅行」として海外を何度も訪問していますが、ブラジルは初めての「公式訪問」でした。結婚で皇室を離れるまで公式訪問は8回に上ります。愛子さまも、清子さんのように、これから親善を担われていくと思います。
愛子さまの日赤就職は、公務との両立を考えて「嘱託」という立場ですが、毎日出勤されています。
4月10日午前、愛子さまは明治天皇の皇后の昭憲皇太后が亡くなって110年で明治神宮を参拝されました。日赤は“お休み”と思いましたが、午後から出勤されました。
どうも愛子さまは、全力で、本気で、仕事に向き合われている印象です。これから公務などとの両立で忙しい日々になるでしょうが、初心を忘れず、ご自分の思う道をまっすぐに進んでいただきたいです。
――愛子さまがこれから成年皇族として、そして社会人としてどのようなご活躍をされるのか楽しみですね。
はい
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)