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戦没船員、残留日本兵――“戦争を知らない”天皇陛下の慰霊【皇室 a Moment】

2023年8月12日 12:54
“令和の慰霊”「戦没船員」と天皇皇后両陛下

ひとつの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。天皇皇后両陛下は、民間の「戦没船員」など、光の当たりにくい太平洋戦争の犠牲者の慰霊も重ねてこられました。日本テレビ客員解説員の井上茂男さんと、「令和の慰霊」にスポットを当てます。

■戦没・殉職船員追悼式に出席された天皇皇后両陛下

――井上さん、こちらは天皇皇后両陛下が慰霊碑に供花されている場面でしょうか?

5月24日、神奈川県の三浦半島にある「戦没船員の碑」で「第50回戦没・殉職船員追悼式」が行われ、天皇皇后両陛下が花を供えられている場面です。

太平洋戦争では、兵員や物資の輸送のために、民間の商船や漁船などが徴用され6万人を超す船員たちが亡くなりました。遺族らが出席した追悼式では、両陛下は参列者と共に黙とうを捧げられました。

(天皇陛下)
「先の大戦の記憶が薄れようとしている今日、我が国の平和と繁栄が、戦没・殉職船員を始めとする多くの人々の尊い犠牲の上に、国民のたゆみない努力によって築き上げられてきたものであることを、決して忘れてはならないと思います」

その後、両陛下は「安らかにねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに」と書かれた「戦没船員の碑」の前で供花されました。追悼式は毎年5月に行われ、節目の年などに皇室の方々が参列されてきましたが、追悼式が大きく取り上げられることはなかなかありません。

――軍人ではない民間の船員さんがたくさん亡くなったということなんですね。

そうです。今年も“慰霊の夏”が巡ってきました。8月15日には78回目の「終戦の日」を迎えます。

――きょうは井上さんと共に「戦没船員の慰霊」を中心に、天皇皇后両陛下の戦争犠牲者に対する慰霊にスポットを当てたいと思います。

■6万人以上が犠牲になった戦没船員

井上さん、改めて「戦没船員」について説明していただけますか?

「戦没船員」とは、先の大戦で亡くなった民間の船の乗組員のことです。日本殉職船員顕彰会のデータによりますと、戦没船員はおよそ6万600人に上ります。商船や漁船、発動機と帆を備えた機帆船の乗組員たちで、魚雷攻撃や空爆などで沈没した徴用船はおよそ7000隻に上ります。戦争で戦死した人の割合を「損耗(そんもう)率」で表しますが、軍人の損耗率は陸軍が20%、海軍が16%なのに対し、徴用された船員は推計で43%に上ります。

――随分高いですね。

はい、民間の船員は軍人の倍以上、実に4割が亡くなったんですね。
そして犠牲者が若いことも特徴の一つです。船員が次々と亡くなって若い船員が大量に養成され、犠牲になった20歳未満の船員はおよそ1万9000人、実に31.43%も占めています。今の中学3年生の14歳の少年も1000人近く含まれていますから、なんとも痛ましいです。

――私の息子がちょうど中学3年生14歳なんです。親としても、いたたまれない思いがします。

そうですね。あどけない少年達も次々亡くなったということです。
8年前の追悼式で、かつて仲間を失った元船員に日本テレビがインタビューしています。

(元船員 都竹利年雄さん)
「毎日のように夢に出るんです、船友が。なんといいますか、船友と言っても、若い人が多いですね、特に私の船には少年船員が4人くらい乗っていたんです。まだね、それこそ声変わりしていないようなね」

――都竹さんご自身も当時若くて17歳18歳くらいでいらしたと思うんですけれど、それよりも若い少年たちがいた。声変わり前の声で「助けて」と言ったのか「お父さん!」「お母さん!」と言ったのか・・・胸が痛みますね。ただ井上さん、こうした戦没者についてはあまり知られていないですよね。

それは次のような事情があるんですね。

(日本殉職船員顕彰会常務理事 岡本永興さん)
「沈められた事実については軍の機密ということで当時は国民の皆さんには伏せられたということですね」「兵隊さんはいろんな意味で亡くなっても戦死という形であがめられるんですけども、船員の場合はそういった形であがめられることはなかった」

■天皇ご一家3代に受け継がれる戦没船員の慰霊

確かに、“慰霊の夏”を迎えますと、亡くなった軍人や、原爆で亡くなった方々に目が向けられますけれど、「戦没船員」が取り上げられる機会はありません。

こうした戦没船員たちに加え、戦後に殉職した船員も慰霊する「戦没船員の碑」が、戦後25年以上たった1971年、浦賀水道を望む三浦半島・観音崎の公園内に建てられました。この年の5月、皇太子夫妻時代の上皇ご夫妻を迎えて第1回の追悼式が行われました。

1982年(昭和57)年には昭和天皇と香淳皇后が立ち寄っています。

いまの天皇陛下は皇太子時代の1990(平成2)年と翌年にお一人で、さらに94(平成4)年には皇后さまとお2人で追悼式に臨まれました。

そして、2000(平成12)年の「第30回追悼式」には上皇ご夫妻が出席し、上皇さまは、天皇として初めてお言葉を述べられました。

(上皇さま)
「ここに祀(まつ)られた船員が、碑の前に広がる果てしない海に抱いたであろうあこがれと、その海が不幸にもその人々が痛ましい最後を遂げた場所となったことを思う時、かけがえのない肉親を失った遺族や亡くなった船員と共に航海をした同僚の人々が抱き続けてきた深い悲しみが察せられます」

さらに上皇さまは、戦後の平和と繁栄が戦没船員を始めとする数知れない人々の尊い犠牲の上にあることを決して忘れてはならない、と強調されました。

この「戦没船員の碑」の敷地内には、上皇ご夫妻の歌碑があります。上皇后さまの歌は、激しい雨の中で行われた第1回追悼式を詠まれています。

――その歌をご紹介します。

「かく濡れて遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝(ゆ)き給ひしか」
<上皇后さま(当時 皇太子妃)1971(昭和46)年>

雨の中、海でぬれて亡くなっていった人たちのことを思う、という歌ですけれども、ぐっと胸に迫ってきますよね。

――この古い映像からは雨の様子というのがちょっと分かりづらいのですが、みなさん傘を差してレインコートも着ているような雨の中で、上皇ご夫妻は傘も差さずに花を供えられるという場面がありました。

そして冒頭に紹介したように、今年5月に天皇皇后両陛下は第50回の節目の追悼式に参列されました。もともと2020年(令和2)年に予定され、新型コロナで延期となっていたものです。両陛下は追悼式のあと、5人の遺族の話を聞き、これまでの苦労などをいたわられました。両陛下は高齢となった遺族が健やかに過ごされるよう願われているということです。

――まだお若い皇太子時代の上皇ご夫妻が始められた戦没船員の方々への慰霊が、50年を経て今、天皇皇后両陛下に引き継がれているということですよね。

■両陛下 インドネシアでは「残留日本兵」に光

――そして、両陛下は6月に訪問されたインドネシアでも慰霊をされていますね。

6月20日、ジャカルタ近郊の「カリバタ英雄墓地」で、両陛下は花を供えて拝礼されました。先の大戦後、旧宗主国のオランダとの独立戦争で亡くなった人たちが眠る墓地です。

私も現地で取材しましたが、手元の温度計で、気温32度、湿度60%、墓地のスロープは大理石が敷き詰められ、照り返しですごい熱気でした。

両陛下は慰霊塔に2分近く拝礼されました。あくまで独立戦争で亡くなったインドネシアの人たちの慰霊でしたが、この墓地には、先の大戦が終わった後も現地に残って独立戦争を戦った「残留日本兵」28人も眠っています。

900人以上に上ったとされる残留日本兵たちは、様々な事情で残り、インドネシアの独立のために戦いましたが、死亡・行方不明も6割に上るといいます。日本側から見れば、「脱走兵」「逃亡兵」、インドネシアから見れば「無国籍」「不法残留」の人たちで、独立戦争が終わっても長くインドネシア国籍が認められず、厳しい立場に置かれ続けました。

両陛下はこの慰霊に先立って残留日本兵の遺族4人とも会われました。天皇陛下は、残留日本兵たちが長くインドネシア国籍が与えられなかったことを遺族のヘル・サントソ・衛藤さんから聞いて「大変ご苦労されましたね」とねぎらい、皇后さまは遺族の1人に「あすは心を込めて供花させていただきます」と話されていました。

(ヘル・サントソ・衛藤さん)
「まず、一番頭に浮かんだのは、そこに飾ってある親父の顔とね、戦時中に苦労された部分が頭に浮かんで涙出ましたね」「一番嬉しかったと思いますよ。我々2世、3世よりも一番天皇陛下・皇后陛下と会いたいのは残留兵の皆さんなんですよ」

残留日本兵には、戦後50年の1995(平成7)年、日本の大使によって友好に功績があったとして感謝状が贈られ、その名誉が回復されました。上皇ご夫妻の訪問はその4年前でしたから、会える環境が整っていなかったんですね。残留日本兵の最後の一人の方も2014(平成26)年には亡くなったそうですから、衛藤さんの言葉が胸に迫ります。

――残留日本兵の方々のことを知りませんでした。知らずにいました。でも両陛下が会われたことでそういった歴史を我々も知ることになりますね。

そうですね、そっと気付かされるといいますか、そういう歴史があったことを改めて思いました。

■天皇陛下 “戦争を知らない世代”としての思い

――天皇陛下はこれまでも海外で慰霊を行われていますよね。

天皇陛下の日本兵への慰霊では、皇太子時代の2007(平成19)年7月のモンゴル訪問が思い出されます。公式訪問ではその国の英雄墓地などを訪ねて供花されますが、この時、旧ソ連のシベリア抑留でモンゴルに移され、現地で亡くなった2000人を慰霊する碑で供花し、抑留を経験した在留邦人の代表と懇談されました。

陛下は今年、インドネシア訪問前の記者会見で戦争に対する思いを話されています。

(天皇陛下)
「私たち自身は、戦後生まれであり、戦争を体験していませんが、上皇上皇后両陛下からも折に触れて戦時中のことについて伺う機会があり、両陛下の平和を大切に思われる気持ちをしっかりと受け継いでまいりたいと思っております」

陛下はこれまでも、戦争を知らない世代だからこそ、展示や書物、映像などを通じて戦争の悲惨さを記憶に留め、平和を愛する心を育むことが大切だと述べ、真摯に向き合おうとされていることが伝わってきます。

――きょうは天皇陛下の「戦没船員の碑」やインドネシアとモンゴルでの慰霊を見てきましたが、陛下のいつも心を込め、真摯に慰霊される姿はとても印象的ですね。

上皇さまは、かつて「日本がどうしても記憶しなければならない4つの日」として、6月23日の「沖縄戦終結の日」、8月6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、15日の「終戦の日」を挙げ、天皇ご一家は、その日は“慎みの日”として静かに過ごされてきました。

今年の沖縄戦終結の日は、インドネシア訪問の最後の日でしたが、両陛下はホテルで黙とうし、犠牲者を悼まれたそうです。

「戦没船員」「残留日本兵」「モンゴルで亡くなった抑留者」――。いずれも陛下が慰霊されることで改めて光が当たりました。

2年後の2025年には戦後80年の節目を迎えますので、戦後生まれの両陛下が、どのように節目に向き合い、何に光を当てられるかに注目しています。

――"戦後生まれ""戦争を知らない世代"と言われた人たちの、さらに子世代、孫世代がこれからの社会の中心になっていきますから、「忘れてはならない」という思いを、両陛下のご活動を通して、我々もまた新たにしなくてはならないと思います。

――「皇室日記@日テレNEWS24」。きょうは日本テレビ客員解説員の井上茂男さんとともにお送りしました。ありがとうございました。

【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)