監督は「ヒーロー」で「愛された映画人」
15日に肺炎のために80歳で亡くなった映画監督の大島渚さんの葬儀・告別式が22日、東京・築地本願寺で営まれた。
崔洋一監督(63)が葬儀委員長として取り仕切る中、一国一城の主の著名映画監督や映画会社関係者が裏方として、大島監督のために献身する“大島組”の弔い。
篠田正浩監督(81)と岩下志麻(72)夫妻、司葉子(78)、ジョニー大倉(60)、山本晋也監督(73)ら故人とゆかりのある関係者約700人が参列した。
弔辞を読んだジャーナリストの田原総一朗氏(78)は「昭和が生んだ最大の芸術家でした。それも闘う芸術家でした」と評し、「強烈な爆弾のような作品を作り続けました。中年以降になると分別ができる人が多い中、年を取ってもより衝撃的な作品を出し続けた」と監督の制作姿勢をたたえた。
舌鋒鋭い言説は、田原氏が司会を務める討論番組でも発揮された。「タブーもコンプライアンスも、一切障害にならなかった」と裏表のない監督の発信力に触れた後、「私はおっかなびっくりだったのです」と本音を吐露するひと幕も。
米ニューヨークから駆けつけた音楽家の坂本龍一(61)は「監督が亡くなってからわが家は『大島祭り』です。作品を順番に見ています。最初に出会ったのは、15、16歳のころ、『日本春歌考』でした。1、2を争うくらい好きな作品で、それ以来、あなたは私のヒーローになりました」と監督との“作品上の出会い”を弔辞で回想。
監督の代表作のひとつ「戦場のメリークリスマス」に出演した際のことにも、言葉を尽くした。
「あなたが台本を抱えて、私に会いに来ました。繰り返し『出てください』とおっしゃってくれて、私は図々しいことに『音楽をやらせてください』と言いました。あなたは『いいです。お願いします』と即答しました。そこから、すべてが変わりました」と“運命の出会い”を振り返った。
“世界の大島渚”の悲報は、各国の巨匠にも衝撃を持って受け止められ、イタリアのベルナルド・ベルトルッチ監督、ヴィム・ヴェンダース監督やカンヌ国際映画祭の重鎮らから、弔電が届けられた。
わいせつか否かといった社会問題を引き起こした「愛のコリーダ」に出演した俳優の藤竜也(71)の弔文は、映画「御法度」で大島監督に抜てきされた俳優の松田龍平(29)が代読。「大島さん、あなたは偉大です。僕のヒーローでした。ロケ地紋別よりオマージュを込めて」と紹介した後、「大島さん、僕からも、ありがとうございました」と短く言葉を足し、感謝の気持ちを伝えた。
喪主のあいさつで小山明子(77)は「映画人としてたくさんの人に愛され、幸せな男だったと思います」と褒め言葉を送った後、裏方として献身した大森一樹監督や利重剛監督ら関係者に深く感謝。「私も大島渚の妻として、今日(こんにち)ほど誇りに思うことはございません。ありがとうございます」。
大島監督を乗せた車は、「戦場のメリークリスマス」のテーマ曲「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」が流れる中、ファンに見送られながら築地本願寺を後にした。