歌舞伎俳優・坂東竹三郎さん、骨髄異形成症候群のため89歳で死去
骨髄異形成症候群のため89歳で亡くなった歌舞伎俳優の坂東竹三郎さん
歌舞伎俳優の坂東竹三郎さんが17日に骨髄異形成症候群のため、大阪市内の病院で亡くなったことを、所属する松竹が21日に発表しました。89歳でした。
大阪出身の竹三郎さんは、1949年に四代目尾上菊次郎の弟子となり、大阪・中座『盛綱陣屋』の腰元で尾上笹太郎を名のり、初舞台を踏みました。
1959年9月に、三代目坂東薪車(しんしゃ)と改名し、名題に昇進。1967年3月に菊次郎の名前養子となり、朝日座『吉野川』の久我之助(こがのすけ)ほかで、五代目坂東竹三郎を襲名。1978年には、上方舞の東山村流の二世家元となり、山村太鶴を名乗りました。
自主公演『坂東竹三郎の会』では復活狂言にも取り組み、『松竹・上方歌舞伎塾』の講師も務めるなど、上方歌舞伎の振興と後進の育成に注力した竹三郎さん。2021年12月の南座『雁のたより』の仲居お君が、最後の舞台となりました。
その功績が認められ、2007年には第十三回日本俳優協会賞特別賞、2009年には文化庁長官表彰、2022年には松尾芸能賞功労賞を受賞しました。
大阪出身の竹三郎さんは、1949年に四代目尾上菊次郎の弟子となり、大阪・中座『盛綱陣屋』の腰元で尾上笹太郎を名のり、初舞台を踏みました。
1959年9月に、三代目坂東薪車(しんしゃ)と改名し、名題に昇進。1967年3月に菊次郎の名前養子となり、朝日座『吉野川』の久我之助(こがのすけ)ほかで、五代目坂東竹三郎を襲名。1978年には、上方舞の東山村流の二世家元となり、山村太鶴を名乗りました。
自主公演『坂東竹三郎の会』では復活狂言にも取り組み、『松竹・上方歌舞伎塾』の講師も務めるなど、上方歌舞伎の振興と後進の育成に注力した竹三郎さん。2021年12月の南座『雁のたより』の仲居お君が、最後の舞台となりました。
その功績が認められ、2007年には第十三回日本俳優協会賞特別賞、2009年には文化庁長官表彰、2022年には松尾芸能賞功労賞を受賞しました。