市川男女蔵「いつも心の中にいる揺るぎない存在」 父・市川左團次さんを追悼
市川左團次さんの息子・市川男女蔵さん (C)松竹
右下葉肺がんのため82歳で亡くなった、歌舞伎俳優の市川左團次さんの訃報を受け、息子で歌舞伎俳優の市川男女蔵さん(55)がコメントを発表しました。
左團次さんは、三代目市川左團次の長男。1947年5月、東京劇場『寺子屋』の菅秀才で五代目市川男寅を名乗り初舞台を踏みました。1962年2月歌舞伎座『曽我の石段』の八幡三郎などで五代目市川男女蔵を襲名。1979年2月歌舞伎座『京人形』の左甚五郎、『毛抜』の粂寺弾正で四代目市川左團次を襲名しました。老け役から女方、敵役からユーモラスな役柄を幅広く演じてきました。
男女蔵さんは「父は、芝居のことを手取り足取り教えてくれることはありませんでしたが、いつも遠くから見守ってくれていました。恐い存在でもあり、いつも心の中にいる揺るぎない存在でした 。多くは語らないその背中は、息子の私からみてもかっこ良く、強く印象に残っております」と胸の内を明かしています。
左團次さんは、三代目市川左團次の長男。1947年5月、東京劇場『寺子屋』の菅秀才で五代目市川男寅を名乗り初舞台を踏みました。1962年2月歌舞伎座『曽我の石段』の八幡三郎などで五代目市川男女蔵を襲名。1979年2月歌舞伎座『京人形』の左甚五郎、『毛抜』の粂寺弾正で四代目市川左團次を襲名しました。老け役から女方、敵役からユーモラスな役柄を幅広く演じてきました。
男女蔵さんは「父は、芝居のことを手取り足取り教えてくれることはありませんでしたが、いつも遠くから見守ってくれていました。恐い存在でもあり、いつも心の中にいる揺るぎない存在でした 。多くは語らないその背中は、息子の私からみてもかっこ良く、強く印象に残っております」と胸の内を明かしています。
■市川男女蔵さん コメント全文
父は、芝居のことを手取り足取り教えてくれることはありませんでしたが、いつも遠くから見守ってくれていました。恐い存在でもあり、いつも心の中にいる揺るぎない存在でした 。
往年は、ゴルフという共通の趣味を共有し、一緒の時間を過ごせたことを嬉しく思います。
多くは語らないその背中は、息子の私からみてもかっこ良く、強く印象に残っております。
父を愛してくださった皆様に厚く御礼申し上げます。
市川男女蔵