佐藤弘道、脊髄梗塞の診断に「絶望のふちに立たされた」 光照らした家族の支えと目標を明かす
“体操のお兄さん”として幅広い年代の人に知られる佐藤さん。異変が起きたのは今年6月、研修会指導に向かう途中、飛行機の機内で体調を崩し、緊急搬送され入院。病名は「脊髄梗塞」と明かし、下半身まひとなり歩けなくなったことを公表しました。
そして先月、退院したことを報告。下半身のまひやしびれは残っているため、通院や自宅でのリハビリは続けていくことを発表していました。
■「6~7割ぐらい戻ってきた感じ」も体に残るまひ
――現在の体調はいかがですか?
体調自体は調子がいいです。体が言うことを聞いてくれないので、その辺だけですかね。今、腰回りが全くまひしているので、触られても全くわからないのと、腰回りがまひしているのと一緒に、排せつ機能がちょっと…。きちんと便が出せないとか。今お薬を飲みながら無理やり便を出してもらっているという状況。あと脚は今、両脚ともしびれていて、皆さんが正座をして立ち上がる時に脚がしびれるじゃないですか。あれが24時間ずっと両脚にあって。肌感覚的には6~7割ぐらい戻ってきた感じで。
――立ったり座ったり、歩いたりは?
立ったり座ったりするのは、できるようになって。歩くのは、普通の人のようには、まだきちんと歩けなくて。左脚の方がまひが強いので、たまに引きずるようなことがあったり、つま先がひっかかったり、そういう状況です。
■機内で腰の激痛「自分の脚がついてるのかな?」
――脊髄梗塞の前兆はあったのでしょうか?
(発症する)2日ぐらい前に背中がすごく痛くて、ちょうど真ん中ぐらいだったんで、自分で湿布が貼れなかったので、妻にちょうど背筋のところにパッと貼ってもらって。貼ったら翌日痛みがなかったので。よく考えるとそれが前兆なのかな。
(2日後に)飛行機の中であまりの腰の激痛で。これちょっと尋常じゃないってことで、CAさんに車いすをご用意してもらって、飛行機の通路が車いす通れないぐらい狭かったので「前まで来てください」と言われたので、立ち上がろうと思ったら、“あれ?”っていう。“自分の脚がついてるのかな?”っていう感覚になって。もう腕だけで一番前まで行って、車いすに乗せていただいたような状況でした。
■病名を聞き「もうダメだ」…リハビリの日々
――脊髄梗塞と聞いたとき、どう思いましたか?
落ち込みました。もうダメだと。絶望のふちに立たされたというか。とにかく見たときに“治らない病気”って書いてあって。治らない病気があるんだ、ということに驚きました。
――(体を)自由に動かせなくなることの怖さは?
ありましたね。恐怖もありましたし、喪失感というか、これからどうしようという気持ちもありました。
――入院中のリハビリはどんなことをしましたか?
最初は病室で脚をマッサージしてもらったりとか、指を動かすこと。あとは「この指、今どこ触ってるかわかりますか?」という感覚。理学療法士さんに行ってからは、膝の曲げ伸ばしとか上げ下げとか。今もそうなんですけど、右脚の膝を曲げたときに左脚が同じところまで曲がるかとか、感覚のリハビリもするんですけど、そこがいまだにズレがあるので。“ここに脚をタッチしてください”って言われたときに、足がスッと出ないので。股関節の周りの筋肉を鍛えたり。
――何が一番大変でしたか?
病気と向き合うことが大変でした。体を鍛えるとかはずっとやってきたので、全然苦ではないんですけど、精神面を乗り越えることは一番キツかったですかね。
まず、受け入れられない。“なんで自分だけ”みたいな。“なんでこんな病気になったんだ”とか。“何が原因だったんだろう”とか。ただでさえ健康については人一倍気をつけていたので、“なんでこんな神様、意地悪するんだろう”とか。そんなことばっかり考えていました。マイナスなことばっかり。
原因は不明です。今まで人間ドックとかでも特にひっかかるような要素もないですし、本当にある日突然、誰がなってもおかしくない。
――現在はどのようなリハビリを?
通院に関しては週に2、3日通わせてもらって、理学療法士とパーソナルトレーナーにメンテナンスと体を鍛えることをやっていただいて、あとは自宅で生活自体がリハビリなので、立ったりしゃがんだり動いたり、掃除したり洗濯したり、洗い物したり料理したり…っていうのが全部リハビリになってくるので。
トレッドミルで歩く練習したり、エアロバイクで両脚同じ動きをすることによって、右脚の機能に左脚が近づけるようにトレーニングしたりとか。
■前向きになれた“家族”の支え
――佐藤さんが強く意志を持てる理由は?
今は家族の支えがあって、初めて前向きになれたことが大きかったので。息子たちも“パパ早くゴルフできるようになろうね”とか。妻も人一倍、僕以上に頑張ってくれてるというか、僕が本来やらないといけない仕事も全部やってくれているし。そういった感じで、家族がみんなポジティブになってくれたおかげで、僕自身もポジティブになれた。
――家族がいなかったら?
変な話、死んでいたかもしれないですね。本当にキツかったです。
■病気になって伝えたいこと
――難病指定されていない?
三大疾病にも入ってなくて。
――治療費も大変?
大変です、自腹なんで。入院費はなんとか保険でまかなえるんですけど、病院でかかったお金は、全部自己負担なので。そういうことも、今まで皆さん知らなかったと思うし、僕より以前に脊髄梗塞にかかった方も、相当大変だったと思うので。今後、脊髄梗塞という病気になったときに少しでも助けられるようなことが、今後できたらいいなと思っています。
――病気になったことで、伝えたいことはありますか?
本当に絶望のふちから、脚が全く動かない状況で入院して、やっぱりリハビリを重ねることによって、ちょっとずつ切れてしまった神経が、ちっちゃい神経が、周りの生きている神経がつながっていこうとするんですよね。そういった意味では、あきらめないで日々リハビリを頑張ると、“もしかして回復するかもしれない”っていう希望を持ちながら、今もいるんですけど。そこのモチベーションだけは、下げないように、日々あきらめないっていうことが大事かな。
■目標は「自分自身で成功例を作りたい」
――あきらめない気持ちはどこから湧いてくる?
皆さんから応援メッセージをいただいたり、(病気を)経験をされた方から「私は今、何年前に脊髄梗塞を発症して今こういう状況です。だから弘道さんあきらめないでください」っていう成功例とかも、実際にメッセージを送ってくださったので。じゃあ僕もそこまで行けるかもしれないっていう勇気をいただいたというか。
――絶望の中で家族の支えはどう感じた?
うちの家族、誰も涙ひとつ流さないくらい強い意志で、病室にも来てくれて。僕はもう精神的にボロボロだったので“本当によく来てくれたー”って感じで、一人で泣いていたんですけど。そういうやっぱり明るいポジティブな家族がいてくれたおかげで、自分自身も変われたというか、そこはすごく強かったですね。
――目標は?
やっぱり、脊髄梗塞っていう病名を一人でも多くの方に知っていただきたいっていうことと、リハビリをすれば、ある程度のところまでは回復できますよっていう。僕が、発症された方から勇気をもらったように、僕もそういう人たちに勇気を与えたいなと思って。自分自身で成功例を作りたいっていうのが、今の大きな目標です。
――最終的なご自身の目標は?
今までできたこと、ゴルフとかスキーとか、あとはジョギングとかも。今、全く走れないので。マラソン100キロとか、できるぐらい回復したいなとは思っています。