世界中の人を魅了…ダンサー田中泯76歳「踊りを通して命・人間・社会を学ぶ」 原点は“畑”
近年では俳優としても活躍、世界を魅了し続けるダンサー・田中泯(たなか・みん)さんにインタビュー。どのジャンルにも属さない“場踊り”についてや山梨県の山で農作業を始めた理由など話を伺いました。
田中泯さん(76)は10代の頃から、クラシックバレエとモダンダンスを経験。1966年からは、ソロダンサーとして活動し、パリ秋芸術祭(1978年)で海外デビュー。これまでに3000回を超える公演を世界中でおこなってきたダンサーです。
現在76歳の泯さんは、“場踊り(ばおどり)”という独自のダンスを追求。世界各地を訪れ、その場所で感じたことなどを身体で表現するダンスで、そのパフォーマンスは山田洋次監督や役所広司さん、大泉洋さん、宮沢りえさん、オダギリジョーさんなど多くの著名人たちも称賛しています。
映画『名付けようのない踊り』(1月28日全国公開)では、2017年8月から2年間、ポルトガル・パリ・東京・福島・広島・愛媛などを巡る泯さんを密着取材。さらに、泯さんの幼少期がアニメーションで描かれています。
■「踊りは言葉なしの世界」
――どのジャンルにも属さない独自の“場踊り”とは?
その場を僕が必死にキャッチするというか、感じるというか、あらかじめ勉強しておくこともあります。そこの場所では何が昔起きたのだろうかとかね。(ダンスを見て)笑ってもいいし泣いてもいいし怒ってもいいと思います。それが踊りの場だと思う。
――“場踊り”を見た海外の人の反応は?
踊りは言葉なしの世界なので、日本よりも簡単にいってしまえば向こうの人の方がリラックスして見てくれている。あまり日本人を見てると思っていない。「あなた本当に日本人ですか?」と聞かれたりすることもある。行く先々になじむのが早いんですよ。だから、アメリカ行くとタクシーの運転手に「お前はネーティブアメリカンか?」って聞かれることもあるし、食べ物もその場所の食べ物が好きで食べたり飲んだりしてます。
――泯さんは、40歳の時に畑仕事で身体を作り、その身体で踊ると決めたそうですがなぜ農業を?
農業の現場から踊りが生まれるというか「その元の元に身を置いてみたい」ということもあったし、結構時間がかかっちゃうので今はひとつだけにさせてください(笑)自然の中で僕は育ったので、農業は育った感覚に戻っていくには一番近い早道だと思っています。トレーニングも兼ねてますから(農作業は)全然つらくはないですよ。ただ、植物の方のタイミングに僕が合わなきゃならないので、こっちの都合でどうこうできない。向こう(植物)の都合の方が優先するんで、そこが申し訳ないことを結構僕はしているなって思いますけど。(農作業を)やりながら「あ!ここをもっと伸ばそう」と思って伸ばしながら作業したりとか、いろんなことやってます。
■「技術を見せるダンサーには僕はならない」
――田中泯さんにとってダンスとは?
僕にとってダンスって、動きを見せるだけなのは“ダンスの半分”だと思っている。要するに農業を始めた一番の動機は「技術を見せるダンサーには僕はならないぞ」って決めたんですよね。畑の中でも技術を磨くというのは、下が平らじゃないとできないと思う。都会のスタジオでやらないと(ダンスが)できない。それは僕には必要のないことなんです。「下がどんなに凸凹でも踊りは踊れる」というのが僕の主張です。
――世界的ダンサー田中泯さんにとって“踊る”こととは?
勉強することです(笑)踊りを通して、命・人間・社会とかいろんなことを僕は学んできたつもりです。踊りと出会わなかったら、僕は非常に何も知らないで育ってしまったかもしれないですよね。踊ることは何かを知っていく、いつも手がかりを教えてくれるということですね。