倉本聰、舞台に込めた思い「汚れてしまった人々の心を新鮮に洗濯」 若い演劇人ら富良野に集結
■富良野GROUP実験舞台 創作ワークショップ
今回、富良野で勉強したいという若い演劇人たちから二十数人をオーディションで選び、冬の富良野で合宿。常に人生の喜怒哀楽を深く掘り下げ、傷つき悲しむ人に寄り添い続ける舞台を創ってきた倉本さんが本作に込めた思いとは―
■若い演劇人と富良野塾卒業生が集結
■創り手のための劇場『富良野演劇工場』
物語は、UFOの目撃情報や、滑って頭を打ち記憶をなくした謎のサンタクロースが現れるなど、いつにも増して忙しい富良野警察署のクリスマスの夜の群像劇。
初めは単純な人身死亡事故と思われていた事件が、新たな動きを見せる。車を運転していたと自供していた女性が、目撃者の証言で同乗していた恋人の男性をかばっている可能性が出てきた。しかし女性は、かたくなに運転していたのは自分だと言い張る。
恋人との約束をめぐり電話口で大げんかする警官は冷静さを欠いたまま荒れる冬道の事故現場に向かい、悲劇が降りかかる。そんななか、過去に起きた飲酒運転事故により半年間意識不明だった妻の最期をみとった署長は、取調室で運転を自供していた女性と向き合い、真心に問いかける――もしもあなただったら――と。
個性豊かな登場人物たちが「会話」や「間」で表現する様々な人間ドラマ。クリスマスの慌ただしさの中で行き違い、すれ違う心と心の物語です。舞台上だけでなく、舞台裏の見えない部分にも物語があると感じさせる形で繰り広げられ、約1時間10分の舞台は閉幕。カーテンコールでは客席から大きな拍手が送られました。
■新たな一歩を踏み出すきっかけに
久保さんは続けて「倉本先生は、『木』に例えて話してくれました。『木は根っこがなければ立たない』。どこかで見たことがあるような、表面的で手垢(てあか)のついた演技ではなく、役の奥深くにある『根(人間)』を感じさせる、地に足のついた演技を目指す―それが富良野塾の教えだったように思います。(中略)この地で過ごした時間が、参加した役者たち一人ひとりの中に新しい根を張り巡らせ、新たな一歩を踏み出すきっかけとなることを、僕は心から願っています」と思いを込めました。
■汚れてしまった人々の心を新鮮に洗濯
倉本さんは『新版・富良野警察物語』について、「人間がいる以上ドラマはおこる。人々はみな懸命に、大真面目で生きる。だがその大真面目な生き方は、本人が真剣であればある程、俯瞰的、ロングの目線で見ると喜劇である。チャップリンの唱えた、これが真正の喜劇である。(中略)テレビも映画も舞台も同じ。昔人々は感動を求めて劇場に集り、良い顔になって家路についた。今は感動でなく快感を求めに劇場に集い、家に着く頃にはもう忘れている。舞台劇場とは元々そういうものではなく、日常の暮しで汚れてしまった人々の心を新鮮に洗濯する仕事である。そういう洗濯の一助になればうれしい」(原文ママ)とコメントしています。