内館牧子さんや柳葉敏郎さん 受章に喜びの声 秋田県ゆかりの5人に「さきがけ創刊記念章」
郷土を伝える新聞、秋田魁新報が、今年、創刊150年を迎えました。
8日はセレモニーが行われ、秋田の発展に貢献した県ゆかりの5人に「さきがけ創刊記念章」を贈り、その功績を称えました。
秋田魁新報は、発行部数約19万部。
県内の世帯普及率は約50%で、広く県民に親しまれています。
東北では最も歴史のある新聞で、いまから150年前の1874年、明治7年の2月に、前身の遐邇新聞が創刊されました。
遐邇とは、「遠い所と近い所」という意味です。
その後、何度か名称を変え、1889年、明治22年の2月に「秋田魁新報」となり、発行を続けています。
また、5年ごとに、秋田の発展に貢献した県ゆかりの人物などに「さきがけ創刊記念章」を贈り、広くその功績を称えています。
8回目の今回は、5人に記念章が贈られました。
西洋美術の評論家で、東京大学名誉教授の高階秀爾さん92歳は、父が美郷町出身で、戦時中は大仙市に疎開したほか、旧制角館中にも通いました。
県立美術館の顧問として、県内の美術界に影響を与えています。
脚本家で、数々の人気ドラマを手掛けてきた内館牧子さん75歳は、母親の実家のある秋田市で生まれました。
新聞のコラムの執筆を17年続けるとともに、様々な場所で「秋田」を発信しています。
内館牧子さん
「うちは父が盛岡なんですね。それで、完全に東北の人間なんで、インタビューを受けた時に『老後は秋田か盛岡で暮らしたい』ってって言ったら、『十分老後だよ』って言われちゃって。でもやっぱりとっても食べ物もおいしいし、人情はあるしね。いいところだと思いますね。だから、発信できればと」
田村修アナウンサー
「ぜひ秋田でお待ちしています」
内館さん
「分かりました。待っていてください」
大仙市刈和野で暮らしながら俳優として活躍する柳葉敏郎さん63歳。
テレビ番組でも、ふとしたときになまりを披露するなど、秋田の発信を続けてきました。
柳葉敏郎さん
「自分は何をしたわけでもなくて、一緒にゴルフであったりテニスであったりお祭りであったり、そういったものの中で、一緒に共有できる仲間たちと一緒に時間を過ごしたことが、こういった形につないでいただいたのかなという喜びですかね。本当に恐縮至極です」
田村アナ
「いつも私疑問に思うんですけど、本当に刈和野に住んでいらっしゃるんですよね」
柳葉さん
「はい、んだすよ。刈和野だす」
地方から都会に出た若者たちの仲間づくりを支援する「若い根っこの会」を作った、秋田市出身・加藤日出男さんと、人気マンガ「釣りキチ三平」の生みの親で、東北の自然を描き続けた横手市出身の漫画家・矢口高雄さんも受章しました。
秋田魁新報は、これからも郷土の姿を日々伝え続けます。