デビュー25周年 2005年仙北市に移住したシンガーソングライター大木彩乃 12年ぶりのオリジナルアルバムをリリース
東京都出身の大木は1999年「眠る魚」でビクターエンタテインメントからデビュー。透き通る歌声とピアノが戯れるような弾語りスタイルで、独創的な世界観を持つ楽曲を次々と世に放ってきた。
2005年に仙北市に移住してからも、大手化粧品メーカーのCMに「あなたのキスは」(2007年)。地元の酒造会社のCMに「雪がとけたら」(2012年)といったキャッチーな楽曲を提供。
また、音楽を使った情操教育「リトミック」の教室を主宰するなど、地方で生活基盤を深めながら全国へ歌いに行くという、どこにも属さない自由で深い音楽活動を続けている。
そして自然あふれる秋田県での暮らしを満喫し、音楽とともに日本蜜蜂の養蜂にも力を注いでいる。
2012年のオリジナルアルバム「サーカスの夜」以降、名曲をさまざまなアレンジで調理したカバーアルバム「タイムトラベル」「タイムトラベル2」や、自らの曲をコンセプトで選び、弾き語りでカバーした「Piano & Songs 星」「Piano & Songs 雨」といったアルバムをリリース。
新曲も少しずつ発表してはいたものの、子育ての多忙な時期と重なり、詞や曲を書くことができない状態になっていたという。
きっかけは子どもの後押し
曲ができない焦り、苦しみ。そんな大木がオリジナルアルバムをリリースすることができたのは、最近成人した子どもから"変わっている"と指摘されたことがきっかけだという。
お祝いやお礼を表立って表現するのはあまり得意でないと自覚する大木だが、長年"変わっている"自分の友達でいてくれたり、自分を支えてくれたりする人に「25周年の感謝はちゃんと表そう、曲が書けないとか言ってる場合じゃない!」と一念発起。
歌詞が書けない曲については、インストゥルメンタルにまとめて、12年ぶりとなるオリジナルアルバムを完成させた。
アルバム「おとぎの夜に」に収録されているのは全8曲。「ユフラテノ森」が唯一既発曲のリメイクで、「おとぎの夜に」「秘密の庭」がインストゥルメンタル。
長い間、詞とメロディが書けなかった彼女自身の苦しさや、20年近くを過ごしてきた東北の鈍色の冬空をイメージさせるような7曲がならんだあと、アルバムを締めくくるのが今年6月にできたばかりだという「ハローグッバイ!」。
デビュー当時、世話になりながらも、決裂してしまった人物の訃報がきっかけで完成した楽曲とのことで、歌詞からは後悔とそれを乗り越えて歩きだそうとしている彼女の決意を感じ取ることができる。メロディは芽吹きや春の到来をイメージさせる前向きで明るい仕上がりとなっており、今後の創作活動が楽しみな1曲となっている。
アルバム「おとぎの夜に」は通販サイトや配信サイトでの販売がはじまっており、このあと時間をおいてサブスクリプションでの配信もされていく予定だ。
大木彩乃メッセージ
1999年にレコード会社からメジャーデビューしてから25年。
今年はデビュー25周年の年でした。25年は数で考えるととても長い年月で一つ一つ思い返せばいろんなことがありましたが、音楽家としてはまだほんの数歩しか進めていないような、、あっという間に時間だけが過ぎ去ってしまったようで感慨深いというよりも焦燥感を覚えました。
記念に何かできることはないか、と考えて
ささやかながら自分のこれまでの音楽活動の拠点となってきた東京、大阪、秋田の3箇所でのライブツアー、12年ぶりとなるオリジナルのニューアルバム制作に取り組みました。
思い出に浸ったり考えたりするよりも活動を続けること、曲をお届けすることが支えてくれる周りのかたがた、リスナーの方々への1番の感謝であって、私の25周年は「ありがとう」の一年にしたいと企画、10月~11月のツアー、そして6月頃から取り組んできたアルバム「おとぎの夜に」も12月リリースすることが出来ました。
今、それらを終えてみて 14歳の頃からプロのミュージシャンになると決めて自分の創作する世界と向き合ってきた中で 一人では音楽活動は成り立たないのに、性格的に人と関わるのが苦手で相反する状況に葛藤しながら続けてきたことで学んできたことがたくさん。気がついたら自由にわがままに、思うままに形にすることで風通しが良くなり居心地の良いところに辿り着きました。不思議と幼い頃に夢見ていた音楽の原点の種は大きく湾曲しながらもいい形に枝葉を伸ばした今の自分がありました。
ちょっと抽象的になってしまいましたが、ちゃんと経験が力に変わっているとはじめて実感できたのでした。
また、秋田での暮らしももうまもなく20年になろうとしています。
自分の活動の拠点である関東、関西から遠く、子育ての最中
距離以上の隔たりを抱えていた時期もありましたが
秋田の自宅での深い時間とそれを取り巻く深い自然の美しさの2つを得ることができていて東京では得られなかっただろう人生を味わいながら生きている実感があります。
この春からは子供たちが進学して手元を離れ私も東京のひとり暮らしの母に会いに行く機会も増え秋田と東京の2拠点生活になっていきそうです。
来月で50歳になります。
自分の音楽はとても個人的な研究の域に入ってきていて自分がどんなことをどう表現したいのか、どんな音世界を描きたいのかに興味があります。
マニアックな状況です。良いのか悪いのか。。
そしてこれからも活動は続けます、ささやかにどこまでも。
これまで創ってきた音楽をいつまでも大事に集中して表現し続けていきたいと思っています。