小泉孝太郎「車は時を刻んでくれる」 夢や思い出が詰まった愛車『トヨタ マークⅡワゴン』
孝太郎さんは、1978年に元内閣総理大臣・小泉純一郎さんの長男として誕生。2001年に芸能界デビューすると、総理大臣の息子として注目を浴びました。その後は、俳優として様々なドラマや、映画に出演。現在はバラエティー番組でMCを担当するなど幅広い活躍を見せています。
■現在の愛車『メルセデス AMG CLA 45 S 4MATIC+』
孝太郎さんが、運転して登場したのは現在の愛車『メルセデス AMG CLA 45 S 4MATIC+』。2019年登場の2代目でフロントには、下側の幅が広く縦にルーバーが入ったAMG専用ラジエーターグリルを採用。完全新設計の2リッター直列4気筒ターボエンジンは、エモーショナルな加速感を味わうことができます。
孝太郎さんは、「僕にとって、初めての外国車。初ベンツなんです。この2、3年で車に対する意識が大きく変わった。それまで、スポーティーなものは無縁で、こういう感じのコンパクトなスポーティーな車に乗りたいなと思って決めました。これは、誰かを乗せるというより、1人で楽しんでゴルフ場に行くのに十分な車ですね。後部座席を下ろすと、ゴルフバッグが縦に3本入ります」と、趣味に特化した愛車だと明かしました。
実は孝太郎さん、好きなゴルフをやめていた時期があったそうで、「20代は結構やっていたんですよ。30歳になる直前に、初めて連続ドラマの主演をいただいて、いまゴルフをやっている時期ではない、趣味は断ち切ろうと思いました。しっかり自分というものを芸能界で作りたかった。それが、あるゴルフ番組の出演依頼があって、十数年我慢していたものがウワッと出て、“やっぱり僕はゴルフが好きなんだ ”(と再認識した)。いま楽しくてしょうがない」と、笑顔で明かしました。
■家族旅行で車を運転するのは誰?
子供の頃の家族と車の話題になると、孝太郎さんは「父の運転している姿を一度も見たことがないんです。僕が生まれたときから、(父は)政治家だった。免許は持っているんですけど何かあったらということで、“政治家は運転しない方がいい”という考えだった」と、小泉家のルールを明かしました。
そのため、家族旅行に行くときには「秘書の方の運転なんですよ。父と僕は後ろに乗っていた。秘書とは寝食を共にして、僕をかわいがってくれた親戚のおじさんのような感じですね。神奈川・横須賀生まれなので、夏の時期には大磯ロングビーチが大好きで行っていた。(父は)東京にいたので、普段はほとんど家にいなかった。だけど、忙しい合間を縫って正月や夏休み、ゴールデンウイークは旅行に連れて行ってくれましたね」と振り返りました。
■デビュー前の愛車『トヨタ マークⅡワゴン』
続いて登場したのは、孝太郎さんが芸能界デビューする前の愛車『トヨタ マークⅡワゴン』。5ナンバーフルサイズの上級ステーションワゴンで、エンジンは直列6気筒ハイメカ ツインカム エンジンを搭載し、FR(後輪駆動)を採用。この車は、1990年に追加されたLGグランデエディションで、電動格納式ドアミラーを装備するなど、グレードだけでなく使いやすさも向上しました。
愛車との出会いについて、「子供の頃からかわいがってくれた、おじいちゃん代わりの人に、中古で買ってもらった。弟の進次郎も免許を取って、兄弟で共有しました」と明かしました。
かつての愛車との再会に、孝太郎さんは「改めて『マークⅡワゴン』を見ちゃうと、青春時代を思い出す。マリンスポーツは、一通りやりました。船の免許も取りましたし、水上スキーだったり、ウェイクボード、サーフィン、釣りはもちろん、そのままバーベキューをしたことも。地元の後輩で(タレントの)上地雄輔とドライブに行き、“芸能界に興味がある”と打ち明けたのもこの車」と、愛車のなかで互いの将来を語り合ったそうです。
■政治家の家に生まれて…
かつての愛車のハンドルを握り、孝太郎さんは「大人になってから、弟・進次郎と話したんですけど、(進次郎が)“オニイが政治の道を行くだろう。そしたら僕は秘書になろう。オニイを支える人生に。芸能界に行くのはビックリした。どうせ失敗して帰ってくるんだろう”と思っていたみたいです。(進次郎は)“じゃあ、自分は政治の道を志していいのかな。だったら自分は挑戦したい”」と、兄弟の会話を明かしました。
政治家の長男として生まれた孝太郎さんでしたが、政界への誘いはなかったそうで、「本当に感謝していますね。プレッシャーや政治家になるしつけは一切なくて、(父は)“自分が夢中になれることを探しなさい。政治家になろうなんて思わなくていい”という教えだった。オーディションの話をしたときも、2秒くらい間があって、(父は)“そうか、一生懸命やってみなさい”と、(父から)“俺の跡をやってほしい”と言われていたら、きっとそちらの道に進んでいた」と、人生の岐路を明かしました。
■初めて自分で買った愛車『トヨタ ヴォクシー』
愛車の思い出について、孝太郎さんは「納車のときのことを、よく覚えています。写真も撮って。正面の顔が好きでした。年代と共に愛車に対する考え方が変わるんでしょうね。この先、またみんなと乗りたいとか、もし結婚できたら、こっちに戻るかも。迎えに行くとか送るのが好きですもん」と、懐かしい愛車に思いを寄せました。
久々に愛車のエンジンをかけた孝太郎さんは、「よく横須賀・東京間、総理公邸を行き来しました。当時水面下ではいろんな危ない情報も入ってきて、僕の身の危険もあった。(警察の方から)“なるべくいられるんだったら、総理公邸にいてください”と言われていた。20代半ばで自分の人生が終わるのも覚悟していました」と、当時の緊迫感を伝えました。
最後に、“孝太郎さんにとって車とは?”と聞かれ「ひとことで言えば、時計です」と答えた孝太郎さん。「ヴォクシーに乗れば20代前半の、あの時を刻んでくれた。その時間、時代を刻んでくれるもので、そのときの思い出が詰まっている」と、笑顔で明かしました。
(3月2日放送のBS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)