×

「俺がやる」メガネスーパー社長の実行力1

2017年6月23日 13:13
「俺がやる」メガネスーパー社長の実行力1

 キーワードを基に様々なジャンルのフロントランナーからビジネスのヒントを聞く「飛躍のアルゴリズム」。今回は「メガネスーパー」代表取締役CEOの星崎尚彦氏。赤字が続いていたメガネスーパーをわずか3年で黒字に転換させたその手腕に迫る。


■星崎尚彦氏のプロフィール

 1966年生まれ、東京都出身。1989年に早稲田大学法学部を卒業後、三井物産に入社。1999年にスイスのIMDビジネススクールへ留学。在学中にスイスの宝飾メーカー「フラー・ジャコー」と出会い、MBAを取得後は同社日本法人の経営者に就任。以後、アメリカのスノーボードブランド「バートン」などの代表取締役を経て、2013年に投資ファンドの要請でメガネスーパーに入社。同年7月に社長に就任。


■ひと言でいうなら「やる気」

――星崎さんは、赤字が続いていたメガネスーパーをわずか3年で黒字に転換させたということですが、ズバリその秘訣(ひけつ)をひと言でお願いします。

 ひと言で言うと「そこにいる人たちにやる気を出してもらった」ということだと思います。


――具体的には?

 「やる気を出す」って簡単なんですが、赤字が続いていると基本はネガティブになってたりとか、思考停止なるんですよね。そこを「じゃあ、君たちがこの店を黒字にするにはどうしたらいいと思う、自分で考えてごらん」と、言うんですね。

 そうすると考えたことないからわからないと。でも、一生懸命がんばって思いついたら、今度はそれをやってごらんと。やっても基本、失敗するよと。なぜかというと、野球選手のイチローでも4割打ってないですから、僕ら凡人が、普通のことやったって10回に3回当たれば成功です。

 つまり、失敗しても当たり前だと思って軌道修正すればいいだけの話なので、まずはチャレンジをしてごらんなさいと。なぜ失敗したのかを考えて、次はバージョンアップしてチャレンジしなさいと。ということの繰り返しをやるんです。


■いろいろやるのに赤字が増えていく

――さて、1つ目のキーワードは「6年連続の赤字から『安売りはしない』という決断」ということですが、星崎さんが入社する前は、投資ファンドが経営権を引き継いで、不採算店の閉店や希望退職者を募るなどをしていました。実際にそのメガネスーパー入社された頃、どういう状況でしたか。

 やっぱりファンドが入って、いよいよ黒字になるんじゃないかとみんなが期待して1年半、いろいろやってはいるけども赤字がどんどん増えていく、トンネルの先が見えないという感じで、社内的には、いい雰囲気じゃなかったですね。


■“見せかけの正論”の弊害

――「いい雰囲気でない」というのは具体的には?

 例えば、私は“他責”とよく言うんですが、ようするに人のせいにするんです。雨が降ってることすら人のせいのこととか。あとは部署間が足を引っ張り合う。仕事を「それは僕の仕事じゃありません」と押しつけ合うんですよね。

 あと、僕はよく言うのですが「見せかけの正論」。一見正しそうなんですけど、それは「やらない理由でしかない」というものを私はそう呼んでいます。そういうのが横行して、みんながやる理由を探さないで、やらない理由に逃げ、そして誰も責任をとらない。誰も何も決めないという組織になってました。


■「安売り合戦」に勝利はない

――実際のメガネ業界の状況というのはどうでしたか。

 メガネ業界は、安売りのファッション軸や価格軸で勝負している競合他社に引っ張られて、メガネスーパーをはじめとする、いわゆる歴史のある全国チェーンが、価格をどんどん下げにいってしまった。本来自分たちの武器である、いわゆる技術とか検査力っていうところをおざなりにして値段勝負にいってしまった。

 私は「値段勝負」に勝利はないという持論があるので、安さで戦うのであれば、究極的には自動販売機でいいですから、なのでそこは変えなきゃならないと思いましたね。


■じゃあ、俺らはどこで戦えるのか?

――ただ、低価格路線のブランドが好調という事実もあり、しかしそれでは「勝てない」という星崎さんの持論もある。そのギャップの部分を社員のみなさんにはどう伝えたんでしょう。

 例えば「あなたはファッションで売ってるブランドに対して、ファッションを軸にして戦えるのか」と、俺らはダサいよね、戦えないよね、消費者目線からも、私たち自身の能力も。

 じゃあどこで戦えるのかというと、やっぱり、昔からコツコツと勉強してきたメガネ屋としての検査軸とか、加工技術とか、メガネや目に対する思いとか、そういうのではないかと。じゃあその戦えるところを伸ばして、それで戦おうじゃないかと。こういう話ですね。


■「振り切ってしまう」という発想

――ただ、老舗の店舗やブランドがそう思っても、なかなか踏み出せない。いわゆる“おきて破り”とも呼ばれた戦略に踏み出せたきっかけはどこにありましたか。

 当時、会社が絶対に助からないレベルかというと、私はやっている人たちがコツコツやっていて顧客もいたので、絶対に「正しいことを正しくやれば黒字にはなる」と思っていました。ただ、みんなが自分のやっていることと向き合わないとダメで、中途半端な戦略では未来がない。ここを差別化するように徹底的に付加価値をのせる。

 私が入った当時は、検査の時間がどんどん短くなっていって、今まで30分やっていた検査を20分にしましょうみたいなことを言っていたんですが、それを「1時間やりましょう」と真逆に振ったんですね。