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中国の貿易見本市に福島の被災企業が出展

2011年10月15日 21:43

 中国・広州で開かれている世界最大級の貿易見本市に今年初めて、日本専用のコーナーが設けられ、東日本大震災で工場が全壊した企業が出展した。

 見本市会場には、世界中から集まった2万を超える企業のブースが所狭しと並んだ。その中に「JAPAN」の文字が書かれたブースもあり、震災の被災地の宮城、岩手、福島3県の企業の製品が置かれている。

 出展企業の中に、福島県で時計の部品などをつくるメーカー「林精器製造」があった。震災で福島・須賀川市の工場は全壊した。建物の中にいた従業員は全員脱出し、奇跡的に一人の犠牲者も出なかった。しかし、工場の機能は完全に停止せざるを得ない状況に陥った。

 震災から3か月後、使っていない工場を借り受け、早くも操業を全面再開した。建物の下敷きになっていた、工場の命ともいえる機械300台以上は、従業員らが力をあわせて運び出した。林明博社長は「自分たちでやるしかないと腹を決めて、一台一台、元の工場から機械を出した」と話す。

 しかし、製造を再開したばかりの林精器製造をさらなる困難が待ち受けていた。それは、歴史的な円高だった。石井広文部長は「(円高の影響で価格が)2~3割高いということになるので、非常にメーカーとして大きなハンディ(キャップ)になっていると実感している」と話す。価格競争力では到底かなわないのに加え、中国の部品メーカーも確実に品質を上げてきているのを実感したという。

 それでも、石井部長は「やっぱり日本でのモノづくりにこだわっていきたい。メード・イン・ジャパンというものでモノづくりを追求していきたい」と話している。価格に左右されない高級品に特化し、さらに磨きをかける戦略を打ち出した。

 石井部長は「復旧はできたが、復興するには今後、自分たちの製品をPRするチャンスを自分たちでつくらないといけない」と話す。世界中から約20万人の腕利きバイヤーが集結するという今回の見本市で、販路の拡大ができるのか。震災を従業員一丸となって乗り越えた企業の挑戦が続く。