×

有働由美子 8月のウクライナ取材を振り返る「目の前の現実を受け入れることの難しさ」

2022年12月14日 15:10
有働由美子 8月のウクライナ取材を振り返る「目の前の現実を受け入れることの難しさ」
ウクライナの現状を目の当たりにした有働由美子キャスター

今年も残りわずかとなりましたが、1年を通して衝撃的なニュースが相次いだ年でした。

中でも、世界に大きな影を落としたのが2月に始まったロシアのウクライナ侵攻です。 圧倒的な軍事力で短期間での首都・キーウ陥落を目指していたロシアでしたが、欧米からの軍事支援を受けるウクライナの徹底的な抗戦によりロシア軍は4月にキーウから撤退。9か月以上たった今もなお、停戦の見通しは立っていません。

12月14日(水)放送の「有働由美子とフカボリ記者」でも今年最もみられたニュースのトップ50にランクインしました。

「有働由美子とフカボリ記者」で進行をつとめる有働由美子キャスターも8月、news zeroの取材で侵攻から半年のウクライナに入り、現地から連日生中継しました。放送では伝えきれなかった取材の「裏側」を振り返ります。

■ウクライナへの移動

キーウへは、飛行機では入れないため、ポーランドから陸路でウクライナ入りした有働キャスターと取材班。ポーランドとウクライナの国境で、まず目にしたのがウクライナに入る市民による車の長い列でした。侵攻から半年で、祖国に戻る人や買い物のためにポーランドを行き来する人の姿が多くみられました。また物資を運ぶトラックがずらっと幹線道路に列をつくり、中には3日~4日も並んでいるトラックもあったということには驚かされました。ロシアの侵攻で市民の自家用車が破壊されたため、中古車も多く運ばれていました。

ポーランド国境から西部の都市リビウまでは車で3時間ほど、さらにそこから首都キーウまでは車で8時間以上かかるという、ウクライナの国土の大きさを、身をもって感じました。

■西部の都市 リビウでは?

はじめに訪れた西部の都市リビウ。ここは日本でいう京都のような歴史のある文化都市です。路面電車で人々が通勤する穏やかな景色が広がる中、町の広場にはロシアから奪った戦車が陳列され、また歴史的な価値のある銅像を砲撃から守るため、四方を覆いで囲うなど、戦地であることを改めて思い知らされる光景を目の当たりにしました。

■ウクライナの食事は?

有働キャスターと取材班の昼食は主に、高速道路上のガソリンスタンドにあるコンビニエンスストア。ハンバーガーやホットドッグといったファストフードがメインでした。またコンビニエンスストアの品揃えはというと、物資が足りていないのかと心配していましたが、海外から入ってくるチョコレートや、ウクライナで作られたお菓子などが棚にぎっしりと並んでいました。

ウクライナの食事で特に印象的だったのが、スープの種類の多さです。滞在先のホテルでは日替わりでルビー色が特徴的なボルシチや、味わい深いチキンスープなどが提供されました。この写真の紫色の粒は、そばの実。農業大国であるウクライナでは、パンだけでなく、そばの実をゆでて主食として食べられていました。

ウクライナの公共放送「ススピーリネ」。報道局もロシアの標的になっているため、場所は明かさないという条件で、取材を許されました。

当時は4つのテレビ局が連携し24時間伝え続けていました。取材中も空襲警報が鳴りましたが、スタッフは一斉に、シェルターへと移動。その様子もシェルターの場所が特定されないようカメラを回すことはできないという徹底ぶりでした。特に驚いたのは、働くスタッフが若いということ。「ススピーリネ」を率いるミコラ会長も30代でした。

ミコラ会長は、「戦争中ということで、記者たちは気持ちがはいってしまうこともあるが、正しい情報を伝えようと努力している」

また、ウクライナ政府から、軍の移動は報道できないなどという制約をうけていることについても、理解は示しつつ「戦争中の検閲が政治的な思想の検閲にはならないよう気をつけていかなくてはならない」と話していました。

■虐殺のあったブチャでは…

首都キーウから、車で1時間ほどの場所にあるのが、ロシア軍が侵攻し市民を虐殺したブチャの町です。

住宅には銃弾のあとが残され、大きく壊れた住宅もそのままになっていました。1か月にわたり地下室に隠れていたという市民は、「侵攻前まではウクライナ人もロシア人も兄弟のようだった。誰があんなひどいことをしてくるなんて思うでしょうか?」と涙まじりに答えていました。家で家庭菜園をしていた男性は、手をとめて取材に応じ、近くの家が、ロシア軍の総司令部として占拠されていたと証言。住んでいた家族はその世話をしたあと、逃げだそうとして殺されたことを話してくださいました。思い出すのも苦しく悲しいであろう体験を、「世界に伝えてほしい」と多くの市民の方々が取材に応じてくださったことも印象的でした。

■侵攻から半年 「生活」と「戦争」の狭間で

首都キーウでは、空襲警報が朝から晩までずっと鳴っていました。有働キャスターと取材班は空襲警報が鳴るたびに急いで地下シェルターに入ったのですが、キーウの人たちは、我々に笑顔で「落ち着いて」と呼びかけ、また街角のレストランでは、小さい子供を連れた母親たちが、空襲警報が鳴っていてもご飯を食べたままでした。

侵攻から半年、生活をしていかなくてはならないし、仮にミサイルがあたったとしても仕方ないという「死と隣り合わせ」という状況が当たり前になっている現状に、戦争の恐ろしさを改めて感じた瞬間でした。

■侵攻から10か月、いま有働キャスターが今思うこと

「目の前の現実を受け入れることの難しさ」、「日々のニュースをじぶんごとに」。毎晩のnews zeroを伝えるにあたって心がけています。他人事と思って見るニュースは、ただの出来事。“じぶんごと”として捉えたときに、初めて今を考えること、生きることにつながる。

ウクライナ取材に入った8月は、激しい攻撃が予想されていました。それでも、現地を見ずして半年もの間伝えてきたウクライナは実際にはどういう空気なのか。人々は何を思い今を生きているのか。そして本当に“じぶんごと”として他国の戦争を見たときに、私たちは何を感じ、考えることができるのか。緊張と不安を抱えたままウクライナに入りました。

取材している間、心が大きくゆらぎ、目の前の現実を情報として処理するのが大変でした。子供から大人、おじいちゃんおばあちゃんまで、聞く人聞く人みな傷を、悲しみを背負っていた。じぶんごととして聞けば、涙や感情が溢れてきます。それでも、じぶんごととして考えたときに、私は何を知りたいのか。意識して話を聞いて回りました。

印象的だったのは、「来てくれてありがとう。取材してくれてありがとう」という言葉でした。忘れられたときにその事実は、当事者以外にとって存在しないことになる。ウクライナの人はそれを恐れていました。伝え続けること、それがウクライナへの取材に答えてくださった方々への恩返しであり、じぶんごととして考えることが、他人事ではない戦争というものを考える皆さんのきっかけになればとおもっています。