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死とどう向き合うか “安楽死”という選択

2015年6月5日 20:50
死とどう向き合うか “安楽死”という選択

 回復の見込みがない患者が本人の意思で命を絶つ“安楽死”。5つの州で認められているアメリカで、いま容認する動きが広がっている。―“死を選ぶ権利”とは何か―がんと闘う女性の思いを、木村真二郎記者が取材した。

 アメリカ・オレゴン州に住むグレッチェン・アイスノーグルさん、45歳。末期の脳腫瘍に冒され、2014年10月に“余命半年”と宣告された。「薬をちょうだい」との声に妹が手渡したのは、激しい頭痛を抑えるための“モルヒネ”だ。人生の最期は自分で決めたいと“安楽死”することを考えている。

 「生きていたいですが…耐えられる痛みには限界があるんです」

 夫と幸せに暮らしていた2年前、乳がんが発覚。その後、脳などに転移した。18年前にがんで亡くなった母親が最後に苦しむ姿を見て“死を選ぶ権利”を持ちたいと考えるようになった。アイスノーグルさんは心の内を吐露する。

 「安楽死すれば、自分自身の痛みだけでなく家族の苦痛も減らすことができます。私が苦しむ姿を家族が見なくて済むんです」

 2014年、同じオレゴン州では、末期の脳腫瘍と診断された29歳の女性が「安楽死する」と公表。大きな議論となり世論を動かした。オレゴン州では安楽死を選択する人が年々増え、2014年には初めて100人を超えた。現在、アメリカでは、5つの州で安楽死の権利が認められているが、新たに25の州で安楽死の法案の審議が始まっている。

 こうした動きは、隣の国カナダでも見られる。2015年2月、連邦最高裁判所が安楽死を認める判決を出し、1年以内に法律を作るよう促した。原告の1人、カーターさんが裁判を起こしたきっかけは、母親の安楽死だった。カーターさんはこう語ってくれた。

 「母親は手足が動かなくなり、ベッドで寝たきりで動けなくなる病気でした。母親は“尊厳のある死”を望んでいたのです」

 外国人の安楽死も受け入れるスイスに渡り、母親の願いをかなえたカーターさん。死を迎える瞬間は家族が集まり、隣で見守った。彼女はそのときの様子を教えてくれた。

 「ソファに座った母親は、こう傾いて、まるで腕の中で眠っているようでした。本当に安らかな死でした。カナダでも、オレゴンやスイスと同じように、母国で安楽死できるようになるべきです」

 一方で、安楽死については反対意見も根強くある。ガンを患い、2014年2月に「余命半年」と宣告された51歳のポラード・ジェイムズさんは、力強くこう語る。

 「すさまじい痛みがある時ですら“死ねればいいのに”とは思わない、決して。鎮痛剤を飲み、前に進む道を見つけ、残された人生を精いっぱい生きたいです」

 抗ガン剤の投与に放射線治療、痛みを和らげる緩和ケアなど、受けられる治療はすべて試みてきたジェイムズさん。診察に訪れた医師も安楽死はするべきではないと訴える。

 「『死にたいんですか?安楽死の薬の処方箋をどうぞ』というのは簡単です。私の仕事は、できるだけ長く良い人生を送ってもらうことです」

 取材したこの日、安楽死を考えているアイスノーグルさんは、夫と病院を訪れた。

 「今は身近な人たちとの最後の準備ですね。安楽死の薬の処方箋は?」

 担当医の問いにアイスノーグルさんはこう答えた。

 「まだですが、数日後にもらうつもりです」

 しかしこの後、激しい頭痛に襲われ突然、部屋の照明がまぶしいと訴える。

 「ちょっと、私のベストちょうだい。亀みたいにかぶるわ」

 その様子をみた担当医は「ダメだったら言ってください」と気遣う。長年寄り添った夫も見守ることしかできない。妻の決断に夫は何を思うのか。

 「妻の選択を理解しています。治らない病気なのです。できる限り妻が明るく生きることが大切なんです」

 取材中、アイスノーグルさんはこんな話もしていた。

 「余命半年の宣告が正しければ、死ぬのは私の誕生日、4月15日です。でも、誕生日が過ぎても生きていたいです」

 しかし、この12日後、誕生日を迎える前に息を引き取った。安楽死の薬を手にする力はなく、眠るように亡くなったということだ。人は“死を選ぶ権利”を持つべきなのだろうか、議論は尽きない。