韓国 時代とともに変わるデモ…「ペンライトにK-POP」若者に根付いた“民主主義”
韓国・尹錫悦大統領が突如として宣言した非常戒厳をきっかけに、尹大統領の罷免を求め国民が声を上げた。行われたのはK-POPが流れ、色鮮やかなペンライトが揺れる、幻想的ですらあるデモ。これが多くの若者を引き寄せ、民主主義を守る力となった。
(NNNソウル支局 西山聡)
「大変なことになってます!」
2024年12月3日午後10時41分。NNNソウル支局の韓国人記者から電話がかかってきた。その声は上ずり、緊張感と切迫感があった。
この電話の13分前の午後10時28分。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が“非常戒厳”を宣言した。1979年以来、45年ぶり。韓国が1987年に民主化して以降、初めてのことだった。
電話を受けた私はすぐにタクシーに飛び乗り、韓国の国会へと向かった。しかし、移動しながら疑問が湧いてきた。「そもそも『戒厳』とは何だ?」
言葉は知っている。戦争やクーデターなどの国難の際に、軍が行政などを掌握するものだ。ただ、そんな状況ではないし、それが実際に行われる現場に遭遇したこともなくイメージができなかったのだ。
韓国メディアから次々に届く速報で、戒厳司令部が出した布告令の内容が分かってきた。
⚫国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁止
⚫すべての報道と出版は戒厳司令部の統制を受ける
などとある。
さらに「違反者に対しては、令状なしで逮捕や拘禁、捜索ができる」という。
これが事実だとしたら民主主義が根底から覆される。
韓国では1961年から26年間続いた軍事独裁政権から、多くの流血と引き換えに民主主義を勝ち取った過去がある。その韓国にとってはなおさらの重大事件である。
私が国会前に着いた午後11時45分には、すでに多くの韓国国民が集まっていた。国会前の8車線の道路を塞ぐほどだった。「戒厳をやめろ!」「戒厳無効!」――皆がそう声を張り上げていた。
その声をかき消すように頭上を低空飛行の軍のヘリが通過する異様な光景。正門前では、集まった国民と投入された警官隊が激しい怒声とともに衝突した。長いもみ合いの末に警官隊が追い返されると拍手と歓声が上がった。
戒厳のさなか、国会の本会議場には国会議員が次々に集まった。大統領自らが戒厳を解除する場合を除き、解除を要求できるのは「国会」だけだ。
着の身着のままで国会の塀を乗り越えてきた議員も多いという。国会内では国会の開会を阻止しようと乗り込んできた軍の兵士らを椅子や机などで作ったバリケードで食い止めた。
午前1時3分。何とか集まった議員190人全員の賛成で、戒厳令の解除を求める決議案が可決した。
国会前には時間を追うごとに人が増え、道路を完全に埋め尽くした。性別、年齢に関係なく、冬の平日の夜、突如として訪れた国の危機に、一つになって声を上げ続ける姿があった。
「私は民主主義の下で生まれて育った。その民主主義が私たちに助けを求めていると思った。止めないといけないと思うのは当たり前だ」――怒りに震える声で語ったのは、若者だった。
午前4時半。尹大統領は非常戒厳を解除。6時間の戒厳令に、野党は翌4日、尹大統領に対する弾劾訴追案を国会に提出。しかし7日、与党議員のほとんどが採決を棄権、廃案となった。ここで国民の怒りが爆発した。
その日、国会前では弾劾案の可決を求める集会が開かれていた。15万人の国民(警察推計)が集まったが、目立ったのは若者の姿だ。「弾劾しろ」「民主主義を守れ」などと書かれた紙のほか、多くが「ペンライト」を持っていた。
韓国では2016年にも大規模なデモが起きた。当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領の罷免を求めたもので、その時の参加者が手にしていたのは、火のついた「ろうそく」だった。1987年に起きた民主化闘争の際に飛び交っていた「火炎瓶」から「ろうそく」に持ち替え、平和的に民主化を求めたのが始まりだという。
それが今は、会場に人気のK-POPが流れ、軽快な音楽のリズムに乗り色鮮やかな「ペンライト」が揺れる。さながら音楽ライブの会場だ。これが、政治への関心が薄れていた若者たちを引きつけるきっかけの1つになった。
デモがポップになったからといって訴えていることは今も昔も変わらない。
「“民主主義”のために…」
7日の弾劾訴追案は、与党議員の大半が投票せず、廃案になった。ここから街の雰囲気が明らかに変わり、若者たちがさらにデモに参加しやすい環境が作られた。
14日に行われた2回目の弾劾訴追案の採決。歩道にいくつものテントが並び、そこでは飲み物や軽食が無料で配られていた。
耳当てやカイロなどを配る集団がいた。地元企業の従業員だという。社長は非常戒厳のニュースを見て「将来の世代に顔向けできない」と思い、日本円で約40万円分を自費でまかない、無償での提供を決めたという。
「20代から30代などの若い人に少しでも役立つものを準備した」
国会周辺に集まったのは24万人(警察推計)。若者の数は格段に増え、氷点下に迫る中、皆が巨大なモニター越しに採決の行方を見守り、声を上げた。見渡す限り揺れるペンライトは幻想的ですらあった。
午後5時すぎ。大統領の弾劾決議案の開票結果の判明を目前に会場は静まりかえり、モニターに映し出される国会中継の音だけが響いていた。そして可決が決まった瞬間、静寂をのみ込むように大歓声がソウルの空にとどろいた。若者たちが手をたたき、抱き合い、そして涙を流していた。
今回の非常戒厳をきっかけに、初めてデモに参加したという22歳の女子大学生は「若者は政治に関心がないと思うことが多いが、今回のデモでは20代の女性が本当に多い。20代の女性たちが自国の政治に関心があることを見せられたことは、意義深いと思う」と話した。
また、母親とともに参加した15歳の女子中学生は「泣くほどうれしかった。これからも民主主義がさらに発展する大韓民国になってほしい」と語った。
12月3日の非常戒厳以降、多くの若者が声を上げた。その声が、再び訪れた民主主義の危機から守ったという実感を得たはずだ。
尹大統領の弾劾判断の舞台は憲法裁判所に移った。2025年には罷免の可否が決まる。「民主主義を守るために――」受け継がれてきた思いを同じく、若者たちは声を上げ続ける。