ガザ地区へなぜ侵攻? イスラエルとパレスチナ “乳と蜜の流れる土地”をめぐる“2つの悲劇”を理解する【#みんなのギモン】
「中東情勢は、発端もその経過もとても複雑でわからないから、ぜひ解説してほしい」という声を頂いています。
●そもそもなぜ対立?
●侵攻の標的 ガザ地区
以上のポイントを中心に詳しく解説します。
イスラエルとパレスチナの対立には、長い歴史があります。パレスチナ問題の舞台となっているのは、イスラエルとパレスチナ自治区です。
イスラエルには主にユダヤ人が住んでいて、ユダヤ教を信仰する人が多い。
パレスチナ自治区は2つあります。ガザ地区と、ヨルダン川西岸に分かれていて、主にアラブ人が住み、イスラム教徒が多い。
対立の歴史を物語るうえで重要な都市が「エルサレム」です。聖地として宗教上、非常に重要な場所です。しかも聖地が3つ、この地に重なっていることが重要です。
エルサレム旧市街の地図をみると、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教とそれぞれ地域が分かれています。ごく近い範囲にそれぞれの聖地があり、世界中から信者が巡礼に訪れます。
イスラム教の聖地「岩のドーム」とキリスト教の聖地「聖墳墓教会」の距離は約500メートル。「聖墳墓教会」とユダヤ教の聖地「嘆きの壁」の距離も約500メートル。「岩のドーム」と「嘆きの壁」の距離は約200メートルです。
それぞれの宗教にとって重要な地域だからこそ、パレスチナでは争いが繰り返されてきたのです。信仰を持つ人にとって、それぞれに譲れない思いがあるといえるでしょう。
このエルサレムを含む地域を巡って、長い長い対立が続いています。そこには、迫害による“2つの悲劇”がありました。
そもそもこの地域、古代から「パレスチナ」と呼ばれていました。聖書で“乳と蜜の流れる土地”とたたえられるほど豊かで肥沃な土地でした。
ここに住んでいたのがユダヤ人です。しかし、ローマ帝国が勢力を伸ばし、この土地にいたユダヤ人が、この土地を追われてしまいます。これが1つめの悲劇です。その後、この地にはアラブ人が住むようになりました。