同時多発テロから20年 元消防隊員の痛み
2001年9月に起きたアメリカ同時多発テロから20年。あの日、ニューヨークの世界貿易センタービルで救助活動を指揮した元消防隊員が初めて日本メディアの取材に応じました。20年間、抱え続けた“痛み”とは―
ニューヨークの中心地。20年前、この場所で多くの仲間を失った元消防隊員の男性。今もあの日のことを悔やんでいます。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ。一連のテロの犠牲者は約3000人。その中には、FDNY(ニューヨーク市消防局)の隊員たち343人が含まれています。調査委員会の報告書には当時の救助活動の壮絶さが記されています。
調査委員会報告書「消防隊員が命を落とす可能性が高いことは認識していたが、救助のために挑戦しなければならなかった」
20年たった今、報告書で証言をした消防隊員が初めて日本メディアの取材に応じました。ピーター・ヘイデンさん、74歳。ヘイデンさんは私たちを特別な場所に案内してくれました。
ヘイデンさん「ここが9.11の時に私が勤務していた消防署です」
消防署内には当時、隊員たちが使っていた物が大切に保管されています。ともに出動した7人の隊員は命を落としました。よみがえる20年前のあの記憶。
ヘイデンさん「晴れた美しい9月の朝、空には一点の曇りもなかった」「上空を低空飛行する飛行機の音が聞こえ、直後に墜落する音が聞こえた」
テロ発生から7分後に現場に到着。最初に旅客機が衝突した貿易センタービル北棟の1階で救助の指揮にあたりました。あの日、何が起きていたのか―
ヘイデンさん「フロアから出られなくなった人やヤケドの人、閉じ込められた人、体が不自由な人などから多くの救助要請があった」「ビルの窓から飛び降りる人もいて、多くの犠牲者がいることは予感していた」
1人でも多くの命を救うため、ビルの上層階へと隊員たちを送り込んだといいます。
ヘイデンさん「私自身も、そして他の多くの消防士たちも、生きて戻れないかもしれないと感じていた」「市民たちを避難させてからでも隊員全員を避難できると考えていた」「彼らは自らの命を危険にさらし、究極の代償を払った。他の人が生きられるように自分の命を犠牲にした」
343人の消防隊員たちが命を奪われました。あの日、自分の判断は正しかったのか―葛藤を抱きながら生きてきた20年。テロで犠牲になった消防隊員たちの慰霊碑。今もこの場所に通い続け、仲間に語りかけます。
ヘイデンさん「あんなことがもう二度と起こらないようしっかり備えたい」「彼らは私の心の中でいつも生きています」
悲劇を繰り返さないためにあの日の記憶を語り継ぐ―それが、生き残った者の責任だと感じています。