ウクライナから広島に避難した姉妹 医師の母は祖国に残り… 広島で感じた「復興」への思い
G7広島サミットがいよいよ、19日に開幕します。その広島にウクライナから避難してきた姉妹がいます。祖国に医師として残った母親とは離ればなれの生活。2人の暮らしに密着しました。
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鉄板の上の生地にたっぷりとキャベツをのせ、お好み焼きを作っていたのは、ウクライナから日本に避難してきたファジレさんとマリアさんの姉妹です。
――お好み焼きを作るのは慣れた?
妹・マリアさん(19)
「あんまり」
日本にきて7か月です。慣れた手つきで昼食のお好み焼きを完成させました。2人は今、広島の調味料メーカー、オタフクソースが運営するお好み焼き教室「WoodEggお好み焼館」で働いています。この日の教室には、外国人観光客ら6人が参加。英語で作り方を説明しながら、準備や片付けをしていました。
2人の自宅を訪ねると、壁には大きなウクライナ国旗が掲げられていました。
妹・マリアさん(19)
「私たちと一緒に来日しました」
去年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、当たり前だった日常が一変しました。
姉・ファジレさん(20)
「(戦争が始まるまでは)19歳の女の子らしい生活を送っていました。でも、ある朝起きた時に母が『きっと戦争が始まった』と言いました」
ファジレさんは、風呂場に身をひそめる様子を捉えた写真を見せてくれました。
姉・ファジレさん(20)
「浴槽をベッドのようにして私はその中で寝ていました。母と妹は床で寝ていました」
ファジレさんとマリアさんはクリミア半島の出身ですが、2014年にロシアから侵攻を受けた後、祖父母と離れ、母親とともにウクライナの首都・キーウに移り住みました。
姉・ファジレさん(20)
「すべてが順調だと思っていました。でも、戦争でそのすべてを奪われたのです」
ロシアによって2度もふるさとを奪われました。軍事侵攻の話をしたり、ニュースを見たりするのは、「今も抵抗がある」と話します。
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2人は日本を訪れたことはありませんでしたが、母親の知人の紹介で広島に避難しました。2人の母・エディエさんは、今なおキーウに留まり、医師として各地を飛び回っています。この日、2人はエディエさんとテレビ電話で話しました。
母・エディエさん(46)
「明日、大規模な砲撃がなかったらハルキウに行く予定よ。心配しないで」
姉・ファジレさん(20)
「そうね、きっとうまくいくわ」
長引く戦争で、エディエさんの同僚の医療関係者にも招集がかかったといいます。
姉・ファジレさん(20)
「泣かないで」
母・エディエさん(46)
「同僚を招集されるのは悲しい」
離ればなれの生活を送る中、週3回ほどのテレビ電話は互いの近況を共有できる大切な時間です。
母・エディエさん(46)
「2人に会いたくてたまらないけど、2人は世界で一番安全な国にいて、優しく歓迎されているのよ。母親として、とても感謝しています」
妹・マリアさん(19)
「お母さん、愛しているよ」
母・エディエさん(46)
「私もよ」
姉のファジレさんは、ウクライナの大学の授業をオンラインで受け、建築の勉強をしています。
姉・ファジレさん(20)
「広島を見ると、街並みや建物などを再建できるとわかります。ウクライナの復興に貢献したいんです」
妹のマリアさんは、ウクライナでお好み焼き店を開くことにも興味があるといいます。
妹・マリアさん(19)
「(広島の経験は)時間がたてば、すべてを乗り越えられることを示しています。ウクライナが広島のようにきれいで静かな国になればいいと思います」
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19日にG7広島サミットが開幕します。ウクライナ情勢が主要なテーマとなる中、姉妹は一刻も早く平和な祖国に戻れる日を願っています。