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取材したウクライナ兵の死 日々命奪われる「こう着」の現実

2024年4月21日 9:07
取材したウクライナ兵の死 日々命奪われる「こう着」の現実
Avantguardia

NNNが今年2月にウクライナで取材したある兵士が、ひと月後に戦死した。生前最後の取材となった私たちとのインタビューでは、戦争の長期化を見据え、次世代の兵士を育成する必要性を語っていた。戦線に大きな動きがないなかでも、日々命が失われる戦争の現実が、きょうも続いている。
(国際部 坂井英人)

■「戦場で役立つ技術講習」若者や女性が参加

2月18日、キーウ市内にある国立大学のグラウンドで行われていたのは、戦場などでのけがを想定した応急処置やけが人の搬送方法の講習。50人余りの参加者の平均年齢は19歳と若く、女性も10人程が参加していた。ウクライナ軍の部隊が民間向けに実施しているもので、参加者からは「将来、軍に入隊したいので知識を得るために参加した」との声も聞かれた。「戦場」を強く意識した内容にもかかわらず、時折、笑い声もあがるなど、若者らしい和気あいあいとした雰囲気の中で講習は進んだ。

■取材のひと月後に戦死した主催者・オレクサンドルさん

ロシアによる軍事侵攻開始から2年を迎えるタイミングで現地入りしたNNNの取材班は、若者や女性が戦いの備えを進めるこの講習を取材した。

講習の主催者で、現役の軍人であるオレクサンドル・セルジュコウさんは、40人程の部隊の指揮官だ。この取材のおよそ1か月後の3月20日に戦死したと、所属部隊がSNSで発表した。23歳だった。

私たちが取材した時点でオレクサンドルさんの部隊はキーウ近郊のジトーミル州に配置されていたが、わずか6日後の2月24日に前線がある東部へ移動した。オレクサンドルさんの上官などによると、アウディーイウカ近郊の村でロシア軍の待ち伏せ攻撃にあい、オレクサンドルさんは飛び散った砲弾の破片があたり、銃撃も受けたという。部隊はSNSでオレクサンドルさんについて「信頼できる仲間であり、信義を重んじる男だった。サムライのように常に率直で誠実だった」と追悼した。

■戦争の長期化を覚悟…口にした「次世代」

生前最後に受けたインタビューとなった私たちの取材の中で、オレクサンドルさんは「備えること」の意義を語っていた。

オレクサンドルさん
「(応急処置などの)技術は毎日の生活で必要になります。我が国はロシアとの全面戦争の最中で、ほとんどのウクライナの大都市は砲撃や弾道ミサイルで攻撃を受けています。もはや安全な街や地域というものはありません。そのため、応急処置を施さなければならない時はいまこの瞬間に来るかもしれないし、5分後か、10分後か、1週間後か1か月後かもしれない。しかし、必ずその時はやってきます」

インタビューの撮影を終え、細かい点についていくつか追加の質問をした。遮るもののないグラウンドに冷たい風が吹く中、私からのしつこい質問の数々にも嫌な顔ひとつせず丁寧に答えてくれた。その中で、彼が言ったある言葉が印象に残っている。

「この戦争は長く続くので、(若者は)入隊の備えができていないといけません」

ロシアとの戦いの長期化を見据え、オレクサンドルさんは兵士の「次の世代」を育てることを意識していた。それは必然的に、戦闘の犠牲者が増え続けること、そしてより若い世代に死者が出ることをも前提とした言葉だった。戦場で死線をくぐり抜けてきた彼の表情からは悲壮感は感じられず、口調は極めて淡々としていた。その言葉に込められた覚悟をどう受け止めるべきか考える度に、和気あいあいとした参加者の若者達の笑顔が脳裏に蘇る。日本人である私より、遙かに「死」が近い世界で生きざるをえない彼らとオレクサンドルさんは、自らが戦って死ぬことに果たして折り合いをつけられていたのだろうか。

■「ウクライナで起きていることを忘れないで」

彼について記事を書くことを伝えると、オレクサンドルさんの家族や恋人がメッセージを寄せてくれた。

父・セルギーさんのメッセージ
「オレクサンドルと最後に話したのは(亡くなる2日前の)3月18日。信頼できる仲間に囲まれ、重要な仕事をし、幸せだと話していました。私とはしばらく会えそうにないとも言っていました」
「オレクサンドルは責任感のある誠実な人間でした。国の変化を夢見て、自分のできることをやっていました」
「私の息子の運命について知ってくれた日本の皆様に感謝したいです。残念ながら、彼は亡くなりました。私たちは非常に仲が良い親子だったので、私にとってとても大きな喪失です」

恋人・カリーナさんのメッセージ
「最後にメッセージをやりとりしたのは(亡くなる前日の)3月19日で、私から写真を受け取るのが『いつも嬉しい』と言っていました。ひと月近く会えていなかったので、これからもっと写真を送ってあげようと思っていました」
「彼はとても責任感が強く、規律正しい人でしたが、同時に楽しく冗談が大好きで、心の広い人でもありました。みな、彼を思い出すとき笑顔になりますが、それが多くを語っているでしょう」
「彼の物語が人々を悲しませることを、私は望んでいません。彼は自らの愛した人々が彼の死を受け入れ、前に進み、彼のやりかけたことを受け継ぐよう、できるかぎりのことをしていました」
「これを読む人には、占領された土地のひとつひとつを取り戻すためにどれほどの犠牲が払われているかを知ってほしいです。しかし、こうした犠牲は決して無駄にならないと信じたいです。ウクライナで起きていることを忘れないでください。そして、ロシアとの戦いで最も価値あるもの(命)を捧げ戦死した兵士達に敬意を表してください」

ウクライナ軍の戦死者の数について、ゼレンスキー大統領は今年2月の会見で3万1000人にのぼると明らかにしている。戦線に劇的な変化が起きていなくとも、戦闘が落ち着いている訳ではない。私たちがオレクサンドルさんを取材した2月以降も、軍の部隊や自治体関連のSNSには数日おきに戦死者の情報が投稿されている。ロシアの軍事侵攻さえなければ、失われることはなかった数多くの命、大きく報じられることのない数え切れない犠牲が、きょうも積み上がっている。