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【葛藤】妹を失った監督が描く震災 映画公開へ揺れる思い “内側から見た”被災地『every.特集』

2024年12月21日 6:23
【葛藤】妹を失った監督が描く震災 映画公開へ揺れる思い “内側から見た”被災地『every.特集』

都内の映画館で7日、東日本大震災をテーマにした2本の映画が公開されました。震災で妹を亡くした、宮城県・石巻市出身の佐藤そのみ監督。複雑な思いを抱えたまま作った映画を、今回劇場公開に踏み切った理由とは。鈴江奈々キャスターが取材しました。

■妹失った映画監督が描く“東日本大震災”

今月7日、都内の映画館で2本の映画が公開されました。テーマは東日本大震災です。1つは、監督自身の経験を元に描いたフィクション作品。もう1つの作品は、被災した若者たちが亡くなった家族や友人へ手紙で語りかけるドキュメンタリーです。

脚本、監督をつとめたのは、宮城県・石巻市出身の佐藤そのみさん(28)。震災で妹のみずほさんを亡くしました。

あの日、そのみさんの故郷を襲った巨大な地震。宮城県沿岸には大津波警報が出ていましたが、地元・大川小学校は、津波が来たときの具体的な避難先を決めていませんでした。避難が遅れ、児童74人、教職員10人が津波の犠牲に。

小学校6年生だった妹のみずほさんもその1人でした。

佐藤そのみ監督(28)
「自分が、どういう人間かを築くのに、震災がすごく大きく影響していて。震災と自分を切り離して生きることは、できない状態でした」

■人に見せることへの“ためらい”

実は、2つの映画を撮影したのは5年前。しかし、そのみさんは当初、人にみせることをためらっていました。私が当時、そのみさんから聞いたのは、揺れる思い。

佐藤そのみ監督
「映画としての評価よりも、遺族の女の子が作った映画と評価されてしまうんだろうな。いつもそんな葛藤があって」

映像制作を学んでいた大学時代の作品。今回、なぜ劇場公開に踏み切ったのでしょうか。

■いつか故郷を舞台に…“内側から見た”被災地

東京での公開直前、久しぶりにそのみさんと再会しました。

鈴江奈々キャスター
「映画について、どんな作品なのか、教えていただきたい」

佐藤そのみ監督(28)
「震災後にプロの方たちによって、いろいろな映像作品が作られていく中で、当事者・内側にいた私が描けることは、なんだろうと考えて」

そのみさんは、子どもの頃から映画監督になるのが夢で、いつか故郷を舞台にした作品をつくりたいと思っていました。

■テーマは震災 妹への思いも込めた映画

そんな夢を思い描いていた中での被災。テーマはおのずと震災になりました。映画には妹のみずほさんへの思いも込められています。3人兄弟の末っ子で、そのみさんとは2才違いのみずほさん。

佐藤そのみ監督(28)
「勉強とかピアノとか、努力することが好きな妹」

鈴江奈々キャスター
「真面目な子だったんですね」

佐藤そのみ監督(28)
「私が変なことをやっているのをすごい面白がってくれていた」

■“壊れていく地域の絆”を目の当たりに

地震が起きたとき、そのみさんは自宅、みずほさんは学校に。連絡がとれない状態が続いていました。

佐藤そのみ監督(28)
「妹たちは体育館かどこかで、みんなで暖かくして避難しているだろうと。まさか、あそこに津波が来るなんて思ってなかった」

しかし、なかなか帰ってこないみずほさんを迎えに小学校へ向かうと…。

佐藤そのみ監督(28)
「地域のおじさんが歩いてきて、私と母の顔を見て『妹さん、あがったよ』。ただそれだけ言う。最初その言葉の意味が全然わからなかった。あがったよ…あがったよ…遺体があがったんだって、わかったとき、私と母は崩れるしかなかった」

多くの住民が大切な人を亡くす中、当時中学生だったそのみさんが目の当たりにしたのは、壊れていく地域の絆でした。

佐藤そのみ監督(28)
「人の関係性が変わってしまうのが見ていてつらかった。特に大人。大川小で亡くなった人たちがあれだけたくさんいる分、遺族もいろいろな考え方があって、生き残った子たちの親も居づらい状況。震災がなければ、みんな仲良しだったのに」

■今はいない…でも同じ場所にいた

複雑な思いを抱えたまま作った映画。作品には、そのみさんと同じように家族を亡くした地元の人達も出演しています。

鈴江奈々キャスター
「どんなことを皆さんに伝えたい、という思いを込めたんでしょうか?」

佐藤そのみ監督(28)
「報道で大川を知る人たちは、亡くなった人たちがどんな人だったか、本当の意味で知ることはできない。今はもういないけれど、私たちと同じ場所にいた人がいたことを伝えたい」

映画の中では、震災で壊れた地域の絆が再生する描写も…。

佐藤そのみ監督(28)
「同じように家族を亡くしているけれど、全然違う立ち回りをしていって、お互いそこに何か思ってしまう。本当に地元の状況を反映していて、現実では修復できなかったけど、映画の中だけはせめて元に戻したい」

■地元の人の反応が一番怖かった…

大切な故郷への希望も込めて作った映画。しかし、なかなか公開に踏み切ることはできなかったといいます。

佐藤そのみ監督(28)
「自分をそのまま描いたわけではないけど、かなり自分の要素を入れていて、自分を直視されてしまうのではないかという不安もありました。地元の人がどういう反応するだろうっていうのが一番怖かった」

初めて地元の人達に見せたのは2年前。大川の人から声がかかり、上映会を行いました。そのみさんの不安とはうらはらに、集まった200人からは温かい拍手が。

地元の人
「当時のことが思い出されて、かなりウルウルとしました」

佐藤そのみ監督(28)
「大川の方たちが、すごく喜んでくださったのが大きかった。私も作品もそこですごく安心した」

■能登のために…劇場公開へ 妹への手紙も

これを皮切りに、全国30カ所以上をまわり、学校や公民館などで上映会を行ってきたそのみさん。そして今回、初の劇場公開。そこには大きなきっかけが…。

佐藤そのみ監督(28)
「能登で地震があったことが、劇場公開に結構影響していて。能登でも当時子どもだった私たちと同じように、いろいろな思いを抱えている子どもたちがいるんじゃないか。何かできることをやるべきだな」

映画をみた人からは…。

観客
「表には出てこない子どもたちの裏の感じ方、当時の子どもたちがどんなことを考えていたのか、すごく印象に残りました」

観客
「そのみさんご自身の中にも葛藤がある中、みることができて、ありがたかった」

映画にはそのみさんも出演し、妹のみずほさんにあてた手紙を読んでいます。

 「みずほへ。元気ですか?
  みずほはもう21の年だろうか。あっという間だね。
  お姉ちゃんは、あの後、中学と高校を卒業して、
  そのあと東京に出て、
  映画を勉強する大学に入りました。
  じゃあまた会える時まで元気でね。
  世界で一番愛しています」

■“全部込みでいいことだった…”と少しずつ

あの日から14年近く…。

鈴江奈々キャスター
「上映の初日を終えてみて、今、どんなお気持ちですか?」

佐藤そのみ監督(28)
「自分が背負ってしまっているものにとらわれず、行きたいところに行っていい。この2作品を作ったから、今のステージに進めたような気がする。全部込みでいいことだったと今は少しずつ思っています」

(12月17日『news every.』より)

最終更新日:2024年12月21日 6:23
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