大きくなった赤ちゃん~ゆりかご15年~
親が育てられない子を匿名で受け入れるいわゆる「赤ちゃんポスト」が熊本市の病院に開設されて15年。初日に最初に預けられた男の子は18歳になった。自分は誰から生まれたのか?いつも心に隙間を抱えていた。
◇◇◇
赤ちゃんポストに預けられた僕は、高校を卒業しました。
宮津航一さん
「僕は“ゆりかご”に預けられていまの生活がある。隠しもしていないし、人生を歩んでいるので」
宮津航一さん。名前は、当時の熊本市長がつけました。
宮津航一さん
「小学校の時に、自分の生い立ちを書く授業があった時に、当時の様子もわからないわけじゃないですか。周りのみんなは写真があるのに、自分だけないことに関して少し悲しかったというか」
望まない妊娠などで生まれた赤ちゃん。思い悩んだ親が行き着く場所。「こうのとりのゆりかご」、赤ちゃんポスト。扉の中にある病院からの手紙を受け取るとカギが開き、匿名で赤ちゃんを預け入れることができます。
2007年5月、「こうのとりのゆりかご」は開設されました。
慈恵病院(当時)故・蓮田太二理事長
「できるだけ私たちのところに相談をしていただきたいと」
開設日当日に最初に預けられた子ども。それが、当時3歳の航一さんでした。里親になってくれたのが、5人の息子の子育てが終わった宮津美光さん・みどりさん夫婦。
母・みどりさん
「(写真は)保育園の運動会、頑張っています。小学校の入学の時だもんね。最初はこの子も全然泣かなかったですもん。泣かないし、抱っことか全然言わなかったんですよ。甘えなくてね」
甘え方を知らない、手のかからない男の子。
母・みどりさん
「ベビーカーを押すお母さんがいると、立ち止まって、じっと赤ちゃん見たりお母さんを見たりして。そういうことがよくあったんですよ。それで、自分のお母さんを思い出しているのかしらと思って」
自分はいったい誰なのか…。
宮津航一さん
「“ゆりかご”に預け入れられた時に置いてあったのが、この靴と服だけで。写真や手紙はなかったので。自分にとって大切なものなので、ずっと残しているという感じですかね」
2021年11月、18歳の誕生日。
「おめでとう!」
航一さんが来た時からずっと、お父さんが手作りケーキで祝ってくれています。小学生のある日、本当の誕生日を知ることになります。
宮津航一さん
「僕に似て、この写真でも髪がくるくるしていますけど、あぁ一緒だなと思って」
産んでくれたお母さん。実は、航一さんが生まれてすぐ、交通事故で亡くなっていました。“ゆりかご”に預けたのは、その後、引き取った親戚でした。預けた親戚は、ゆりかごの扉を開けた人しか持っていない病院からの手紙を持ち続けていました。この親戚の告白をきっかけに、航一さんの出自がわかったのです。
幼少期の航一さん
「小学校でも勉強やお友達をたくさん作って、頑張ったり遊んだりします」
いつも側で見守ってくれた両親。産んでくれたお母さんがわかったときも、一緒に喜んでくれました。高校2年の冬、養子縁組をして戸籍の上でも家族になりました。高校を卒業する前に両親と訪ねたかった場所、「こうのとりのゆりかご」へ。
父・美光さん
「これを覚えとったんだろうな。この絵をね」
宮津航一さん
「この扉の物質的な重さではなくて、(ポストを)開けてみたり、こっちから見てみたりすると、感じるものがありますね。やっぱり」
2022年4月、大学に進学した航一さん。
宮津航一さん
「出来た?」
母・みどりさん
「後ろ向いて」
父・美光さん
「値札がついているぞ」
スーツは両親がプレゼントしてくれました。祝ってくれる人がもう1人。
宮津航一さん
「これですね。母が亡くなって10年の時に、小学生だったと思いますけど、記念で植えた桜で。いままでずっと咲かなかったんですけど、今年やっと咲いて。なんか節目に合わせて咲いてくれたのかなと思いますね」
お母さん、見てくれていますか。
2022年11月27日放送 NNNドキュメント’22『大きくなった赤ちゃん~ゆりかご15年~』をダイジェスト版にしました。
◇◇◇
赤ちゃんポストに預けられた僕は、高校を卒業しました。
宮津航一さん
「僕は“ゆりかご”に預けられていまの生活がある。隠しもしていないし、人生を歩んでいるので」
宮津航一さん。名前は、当時の熊本市長がつけました。
宮津航一さん
「小学校の時に、自分の生い立ちを書く授業があった時に、当時の様子もわからないわけじゃないですか。周りのみんなは写真があるのに、自分だけないことに関して少し悲しかったというか」
望まない妊娠などで生まれた赤ちゃん。思い悩んだ親が行き着く場所。「こうのとりのゆりかご」、赤ちゃんポスト。扉の中にある病院からの手紙を受け取るとカギが開き、匿名で赤ちゃんを預け入れることができます。
2007年5月、「こうのとりのゆりかご」は開設されました。
慈恵病院(当時)故・蓮田太二理事長
「できるだけ私たちのところに相談をしていただきたいと」
開設日当日に最初に預けられた子ども。それが、当時3歳の航一さんでした。里親になってくれたのが、5人の息子の子育てが終わった宮津美光さん・みどりさん夫婦。
母・みどりさん
「(写真は)保育園の運動会、頑張っています。小学校の入学の時だもんね。最初はこの子も全然泣かなかったですもん。泣かないし、抱っことか全然言わなかったんですよ。甘えなくてね」
甘え方を知らない、手のかからない男の子。
母・みどりさん
「ベビーカーを押すお母さんがいると、立ち止まって、じっと赤ちゃん見たりお母さんを見たりして。そういうことがよくあったんですよ。それで、自分のお母さんを思い出しているのかしらと思って」
自分はいったい誰なのか…。
宮津航一さん
「“ゆりかご”に預け入れられた時に置いてあったのが、この靴と服だけで。写真や手紙はなかったので。自分にとって大切なものなので、ずっと残しているという感じですかね」
2021年11月、18歳の誕生日。
「おめでとう!」
航一さんが来た時からずっと、お父さんが手作りケーキで祝ってくれています。小学生のある日、本当の誕生日を知ることになります。
宮津航一さん
「僕に似て、この写真でも髪がくるくるしていますけど、あぁ一緒だなと思って」
産んでくれたお母さん。実は、航一さんが生まれてすぐ、交通事故で亡くなっていました。“ゆりかご”に預けたのは、その後、引き取った親戚でした。預けた親戚は、ゆりかごの扉を開けた人しか持っていない病院からの手紙を持ち続けていました。この親戚の告白をきっかけに、航一さんの出自がわかったのです。
幼少期の航一さん
「小学校でも勉強やお友達をたくさん作って、頑張ったり遊んだりします」
いつも側で見守ってくれた両親。産んでくれたお母さんがわかったときも、一緒に喜んでくれました。高校2年の冬、養子縁組をして戸籍の上でも家族になりました。高校を卒業する前に両親と訪ねたかった場所、「こうのとりのゆりかご」へ。
父・美光さん
「これを覚えとったんだろうな。この絵をね」
宮津航一さん
「この扉の物質的な重さではなくて、(ポストを)開けてみたり、こっちから見てみたりすると、感じるものがありますね。やっぱり」
2022年4月、大学に進学した航一さん。
宮津航一さん
「出来た?」
母・みどりさん
「後ろ向いて」
父・美光さん
「値札がついているぞ」
スーツは両親がプレゼントしてくれました。祝ってくれる人がもう1人。
宮津航一さん
「これですね。母が亡くなって10年の時に、小学生だったと思いますけど、記念で植えた桜で。いままでずっと咲かなかったんですけど、今年やっと咲いて。なんか節目に合わせて咲いてくれたのかなと思いますね」
お母さん、見てくれていますか。
2022年11月27日放送 NNNドキュメント’22『大きくなった赤ちゃん~ゆりかご15年~』をダイジェスト版にしました。