“関東大震災から100年”横浜の街中に残る震災遺構から学ぶ命を守る防災とは
1923年9月1日、神奈川県西部を震源とした関東大震災が発生。震源の近い神奈川県の横浜市には、今もその爪痕が残されています。やがて来る大地震への備えを考えるきっかけにもなる横浜の震災遺構を河出奈都美アナウンサーが取材しました。
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河出奈都美アナウンサー
「今日はよろしくお願いします」
NPO法人 横浜シティガイド協会・高原和夫さん
「よろしくお願いします」
今回、案内してくれるのは、横浜市内を中心に地域の歴史や今も街中に残る遺構のガイドをしている高原和夫さんです。100年前の1923年9月1日、神奈川県西部を震源とした関東大震災が発生。横浜では火災や土砂災害など、甚大な被害を被りました。まず最初に向かったのは、街中に突然現れるレンガの壁。
NPO法人 横浜シティガイド協会・高原和夫さん
「こちらが震災遺構の一つになりまして」
河出奈都美アナウンサー
「このレンガの壁が」
こちらは、当時あった開通合名会社という商社の外壁の一部とみられています。震災によって大部分が倒壊し、ドアと窓の部分だけ残ったことから、震災の記憶を伝えるために現在まで保存されています。
河出奈都美アナウンサー
「こうやって見てみると本当に実感しますね」
NPO法人 横浜シティガイド協会・高原和夫さん
「震災当時のことが少しでもわかってもらえれば、理解してもらえればいいなということで保存している」
続いて訪れたのは山下公園。実はこちらは、震災復興のシンボルとしてつくられました。実は、もともと海岸だったところを、震災によって出た膨大な瓦礫で埋め立ててできたのです。
NPO法人 横浜シティガイド協会・高原和夫さん
「大震災があった悲しみが地下に眠っている公園だと覚えていただければ」
観光客も多く訪れる赤レンガパーク。震災遺構はここにもありました。それが花壇です。ここには3階建ての税関事務所がありましたが、地震によって崩壊・焼失し、基礎部分だけ残りました。レンガをようく見てみると、焼け焦げたあとが、今も残っています。
最後に訪れたのは横浜地方気象台。当時の写真が展示されていて、見学もできます。関東大震災の状況を気象台長の赤石一英さんに聞きました。
横浜地方気象台・赤石一英台長
「神奈川県内で見ると火事だけではなくて揺れの被害がすごかったというのが大きな特徴」
神奈川県では揺れによって、約9万棟もの住宅が全・半壊しました。横浜に残る震災遺構、関東大震災から復興した町からは、次の災害へ備える課題も見えてきました。
横浜地方気象台・赤石一英台長
「当時は人が住んでいなかったような低地に、たくさん家を建てて高層ビルがたくさん建ってという状況になっています。大きな揺れでエレベーターが全部止まってしまったり、都市化されたことによる大きな被害がたくさん心配される。しっかり備えて、いざというときに悲しい思いをしないようにするのが大切」
関東大震災から100年。当時の爪痕と教訓が残る横浜の震災遺構から、多くのことを学び、備えにつなげることを考えるきっかけになりました。