東日本大震災から14 年 “絶望の夜”に見た星空の記憶 あの日をつなぐプラネタリウム
東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方。あの日に撮影された1枚の写真があります。
満天の星空。これは、震災当日、仙台市内の夜空を写したものです。真ん中には、冬の象徴「オリオン座」。他にも、青や白に輝く星がちりばめられています。
津波にのまれ、街は壊滅し、死者・行方不明者2万2000人以上となった東日本大震災。
電気が消え、多くの人が絶望のなかにいたあの夜、星空は明るく輝いていました。
撮影したのは、仙台市に住む写真家の越後谷出さん。
市内で仕事をしていたときに地震にあいました。
激しい揺れに天井が崩れ、本はすべて棚から落ちて散乱しました。
家に帰って迎えた夜、家族から言われ、窓の外を見ると…目に飛び込んできたのは、これまで見たことのない星空でした。思わずカメラを向けたといいます。
越後谷出さん:
「星空を撮りたいというよりは星空がきれいだと言ってくれて、それに気づいて撮ろうとした。そういうところを残しておきたかったのかもしれないです」
越後谷さんと同じように、空を見上げていた人がいます。
阿部任さん。津波で倒壊した家の中に、9日もの間、閉じ込められていました。
石巻市を襲った大津波。3200人以上が亡くなりました。
家ごと流され、押しつぶされた部屋から出られなくなった阿部さん。たまたま近くにあった冷蔵庫の中に入っていたもので空腹をしのぎました。
阿部任さん:
「食べられるものを片っ端から食べていくという感じで、逆に印象に残っているのは食べられなかったもの。当時石巻は雪が降っていたので、冷凍のたこやきは凍ったままで諦めた」
あまりの寒さに眠れない夜、天井に開いた穴から星が見えることに気づいたといいます。
阿部任さん:
「星が出ている間は本当に寒くて眠れない中で震えて耐えているだけだったので、なんていうかただひとつ見えるものがそれだった。それだけ夜の間ずっと見ていた覚えがあります」
あの日の星空を、被災した人たちはどんな気持ちで見上げていたのか。それを伝えていこうという取り組みがあります。
3月、愛知県刈谷市にあるプラネタリウム。震災後の夜空を再現したプログラムが上映されました。
その中には、阿部さんが救助を待つ間に見た光景も。
大切な人を亡くした人の思いも語られています。
見に来た人:
「震災で被害を受けられた方と同じ星空を見るという体験。すごくリアリティーがある」「星空って人を結ぶような感じがして」
2019年から上映されているこのプログラム。当初、70人以上来ていたお客さん。しかし、今では10人程度に減っています。
課題となっている記憶の風化。
3月11日、あの星空を撮った越後谷さん。今も変わっていく被災地を撮影し続けています。
しかし、そんな自分自身の記憶でさえも薄れていっていると感じていました。
越後谷出さん:
「私も当時のことを14年前となるとぼんやりとしか覚えていない。自分の場合だと写真を残しているので写真を見るとそのときの気持ちがよみがえってくるというか。それでつなぎ止めておくというか」
崩れた家のなかで星空を見ながら、救助を待ち続けた阿部さん。
しばらく口を閉ざしてきましたが、自分だから伝えられることがあると語り部として活動しています。
阿部任さん:
「この地域であったこと、教訓だったり悔しさだったりとかそういった大切なものをもっと伝え継いでいきたいなという気持ち」
変わらない星空と、薄れゆく震災の記憶。14年という月日が経った今、あらためて“忘れないこと”の大切さを問いかけています。
【中京テレビ 「キャッチ!」 3月11日放送より】