家を失い大切な人を亡くし…それでも挙げる魂のバーベル 日本一を目指す飯田高校
目の前のバーベルを持ち上げ、その重量を競う「ウエイトリフティング」。
古代オリンピックの時代から世界中で行われてきた力比べ。一見シンプルだが、力、技、タイミング、スピードさまざまな要素が求められる。そして何より重要なのが…心の強さ、精神力だ。
己と向き合い続けるこの競技で、被災した珠洲市から日本一を目指す高校生たちがいた。
「ごまかしでやって通用するような試合ではありません。そういう状況でもありません」
飯田高校ウエイトリフティング部は8月のインターハイに向けて追い込みの時期に入っていた。厳しい視線を送るのは日本代表監督を務めたこともある浅田久美さん。
飯田高校ウエイトリフティング部・浅田久美 監督:
「日本中どこを探してもあの時期に練習ができなかったのは本当にこの飯田高校のこのメンバーだったわけですよ。試合は待ってくれないし当たり前のようにやってくるし、当たり前のような戦い方をしないといけないし」
「ひどすぎる…」
浅田監督の頭の中ではインターハイに向けた明確なプランがあったが、元日、全てが崩れた。
被災からおよそ1カ月半後に練習を再開させた。
浅田監督:
「1日休むと3日、3日休むと1週間取り戻すにはかかると言いますけど、『こんなことがあったので結果はこんなでしたけど頑張っています。』じゃあダメなんですよ。出る以上は思った結果を残させたい、思っている結果を出させたい」
こんな状況で練習を再開させていいものか…苦渋の決断だった。
「お帰り~」「遅かったね~」
2年生の橋本侑大選手。自宅が全壊し、地震後半年間、ビニールハウスでの生活が続いていた。
「いただきます!「最高!」「おいしい?」
この日のカレーには隠し味があった。
橋本侑大さん:
「ばあちゃんの玉ねぎ、好きでしたね。ばあちゃんの野菜で野菜嫌いが治ったっていうのもあるので」
祖母・みち子さんは地震で亡くなった。
「ハッピバースデーディアばあば~ハッピバースデートゥーユー」
1月1日は大好きなおばあちゃんの誕生日だった。
橋本侑大さん:
「本当に太陽のような、みんなから好かれるようなおばあちゃんで。大会があるたびに見に来て応援しに来てくれたり、結果を出したら地域の人に自慢したりとかしてくれて」
1月2日。行方が分からなくなっていたおばあちゃんを最初に見つけたのは侑大さんだった。
橋本侑大さん:
「本当に寝ているような感じで自分は生きているのかなって思うくらい。本当に感情もぐちゃぐちゃになったりとか、精神的に辛かったし、力が入らなかったんです、身体に」
浅田監督の声掛けもあり、ほかのメンバーより少し遅れたものの、練習を再開。ビニールハウスで生活をしながら、インターハイ出場を決めた。そして7月…
仮設住宅への引っ越しが決まった。
橋本侑大さん:
「やっと仮設に入れるんだって感じ」
引っ越し先の仮設住宅にはピアノがあった。ピアノは5歳の頃から続けている。震災後初めて奏でるおばあちゃんが大好きだった侑大さんの音色。
橋本侑大さん:
「いま自分が生きているのは祖母が生きたかった1日を生きているってことなんで。本当に1日1日精一杯生きたいって思っているのと…1月から本当にたくさんの方々に支援とか応援をしていただいて、期待もしていただいて、その期待に応えられるようにしっかり結果を出したい」
インターハイまで1週間。練習場に浅田監督の怒声が響いた。
「大事な練習なのにこんな冷え切った所にいたらどうなっちゃうよ」
エアコンの設定を低くしすぎて、部屋が冷え切っていた。
「私一人こんなに心配したってお前たちがやるんじゃん。あんたらがそれを認識しなかったらだめでしょ!私が試合に出るんじゃないよ。君が出るんだよ!」
日々の積み重ねがバーベルを軽くすると浅田監督は言った。
「競技以外の方が絶対大事ですよ。競技なんかそこにあるの上げれば良いだけだもん、極論を言ったらね。上げれば良いだけだも ん。上げるまでにどうやって一 番上げやすい状況、状態を保っていくかっていう。私の胃がチクチク…毎日痛み。そのうち胃潰瘍か…はははは」
最低限の自己管理ができないと、この先大学では活躍できない。選手の将来を考えるとつい語気が強まる。
インターハイの醍醐味は学校対抗の団体戦。各階級で上位進出者にポイントが加算されその合計を競う。浅田監督は団体戦のキーマンとして唯一の2年生。橋本の名前を挙げた。
「(橋本が)いま記録がどんどん伸びている。君がポイントであるよって…得点のポイントであるよともう言ってある」
しかし…
「安定性がきょうゼロ!冷やしてきなさい」
失敗が続き、手首を痛めた。
インターハイまであと7日。不安要素が残った…
インターハイの舞台は長崎。全国から強豪が集う中、飯田の選手たちは着実にポイントを加算していく。
そして迎えた大会3日目。珠洲から橋本選手の両親が応援に駆け付けた。
「大丈夫?手。腫れ引いた?」
「大丈夫」
橋本選手が出場する89キロ級は前回チャンピオンの山下由起選手と飯田からは2人がエントリー。この時点で団体戦では4位につけていた。表彰台に上るにはここが正念場となる。
1回目 105キロ。
いつもなら上がるはずが、ケガの影響か…まさかの失敗。
2回目で105キロを成功するも、ポイントが入らない8位圏外に。
3回目、浅田監督と侑大選手が選んだのは108キロ。
成功すればポイントが入るのは確実だが、直前の練習で失敗していた重量だ。
見事成功。
スナッチで6位。スナッチとクリーン&ジャークを合わせたトータルでは7位。
役割を果たした。
橋本侑大さん:
「ここまで支えてくれた方々に本当に感謝を伝えたいですし、結果7位でしたけど、最高のパフォーマンスが出来たんじゃないかと思います」
浅田監督:
「結果を残したので、あの記録を来年抜くつもりで、できるからな。やろうね。ばあちゃんいたんじゃないか?」
そして飯田高校からは最後の1人。エースの山下選手が登場。
スナッチ、クリーン&ジャーク、トータルとすべてで大会新を更新する大活躍。
飯田高校ウエイトリフティング部は5人全員がポイントを稼ぎ、見事準優勝に輝いた。
浅田監督:
「準がつきましたけど、この子たちが良く頑張ってくれたので。本当にあんなことがあって、それを乗り越えてここまで来られたというのはね。本当にまだまだこれから乗り越えないといけないことが待っているから」
家がなくなった。
日常が変わった。
大切な家族を失った。
それでもここまでたどり着いた。
拳を突き上げた彼らの笑顔は金メダルよりも輝いて見えた。