【新市長・広沢一郎氏に生直撃】河村市政15年“継承”へ...市民税10%減税、名古屋城の木造復元にどう挑む?
名古屋市の新市長・広沢一郎氏と河村たかし前市長が、中京テレビ「キャッチ!」選挙特番に生出演。河村市政の“継承”を掲げた広沢氏。“市民税10%減税”は実現するのか?名古屋城の木造復元は何から取り組んでいくのか?直撃しました。
名古屋市長選の争点となったのは、「市民税の減税」や「名古屋城木造復元」など河村市政の“継承”か“転換”か。選挙結果から見えた市民の選択、それは15年続いた河村市政の“継承”でした。
15年にわたり、名古屋市政を牽引した河村たかし前市長。特に力を入れたのが、市民税の減税。地域経済の活性化を目的に、従来の税率から5%引き下げました。そしてもうひとつが、総事業費505億円のビックプロジェクト、名古屋城天守閣の木造復元。2022年までの実現を目指していましたが、文化庁から石垣の調査が不十分と指摘され工事は延期に。エレベーター設置に関連する差別発言問題もあり、計画は進んでいません。
様々な課題も“継承”することとなる、新市長・広沢氏。今後、どのように「かじ取り役」を担っていくのでしょうか。
“市民税5%の減税”により、4人家族で世帯年収が500万円の場合、年間の減税額は5000円となった名古屋市。この変化により、昨年度は約96億円分の減税となりました。
広沢氏の政策は、“市民税10%減税”。この政策が実現されると、先ほどの家族の場合、年間約1万円の減税となり、約200億円の減税に。つまり、名古屋市の税収が200億円減るということになります。
それを補う“財源”について、広沢氏は・・・。
広沢氏:
「5%減税の場合は、やって数年でやはり元に戻った。つまり、これは市民へ投資をして、それを回収できた。これと同じ流れを今回、10%でやっていきたいと思う。財源は減税でやる。ただ、それはもう数年で、その税収は元に戻るというそういう前提で組み立てる」
広沢氏は財源について明言しませんでしたが、減税で消費を促すことで税収は増えると主張しました。
広沢氏:
「減税をして皆さんの懐を温めて、それで消費活動が活発になって、それでお金が回るようになって、結果として税収は元に戻ると。今はまだそういう時期だという認識。」
広沢氏がそう答えたあと、「元に戻るのではなくて、増えるんです」と断言したのは河村たかし前市長。「経済だってそうだがね。値段を下げると、売り上げが増えて、全体の売り上げや利益が多くなるわけでしょう。そんな財務省みたいなことを言っていたら、いかんで」と話しました。
広沢氏と事実上一騎打ちとなった前参議院議員の大塚耕平氏に推薦をだした自民党。その自民党の名古屋市議に中京テレビの記者が取材すると「河村さんですら、減税5%に妥協した。10%にする根拠が見当たらない」「議会は混乱は避けられない」という話も。
広沢氏を支持する「減税日本」は、議会の中では少数派。自民党など“議会との対話”に難しさも出てくる可能性があります。
広沢氏:
「丁寧に説明を尽くしていく、に尽きる。当然、もともと10%減税のときも相当苦労して。ただあれは初めての減税だった。今回は“5%減税”の実績をもっての“10%”。またちょっとその時とは、状況が違うかなと。」
「説得は可能だとお考えですか?」という問いかけに対しては、「今回、これだけの民意をいただいたという後押しもある。」と力強く答えていました。
中京テレビ「キャッチ!」のLINEアンケートで、新市長に聞いてみたい政策について調査したところ、「名古屋城木造復元」と「市民税減税」が同率1位、3位が「敬老パス」という結果に。
総事業費505億円のビックプロジェクト、天守閣の木造復元。このプロジェクトについて、広沢氏は“何から”取り組んでいくのでしょうか?
広沢氏:
「やはり今課題となっているのは、バリアフリー、ここをしっかりと。これも丁寧に説明をして、合意形成に進んでいきたい。まず、やはり文化財である、その価値を認めていただいた上で、我々はどこまでバリアフリーにできるか。これにチャレンジをしていく、こういうスタンス。」
“バリアフリーしません”ではなく、“どこまで、何ができるかを話し合っていく”という姿勢を見せる広沢氏。
広沢氏:
「あとはこの名古屋城というのが、“復元”という、現存するお城とほぼ近い価値を取り戻すという熱意でやっている。まずここをご理解をいただいた上で、そしてその上で我々はどこまで、このバリアフリーできるか、これをチャレンジしていく。」と、今後への思いを語りました。
河村前市長の後継候補として立候補していたことから、愛知県の大村知事との関係も気になるところ。
広沢氏:
「私は県会議員もやっていましたので、大村知事とは割とよくコミュニケーションはとっていた。今後もちゃんと県民・市民のためになることは、一緒にやれるところはやっていきたい。」
「河村市政時代とは、ちょっと和らぐという感じでなんでしょうか?」との質問には、「そうなれるといいと思う…」と、にこやかな笑顔で答えました。
河村前市長から「昔は(仲が)良かったんですよ」という大村知事との関係性を訂正する“ツッコミ”が。
「村・村コンビ」と呼ばれていた時代もあった河村前市長と大村知事。河村前市長は当時を懐かしむような笑みを浮かべながら、「昔はいいところもあった。人間、変わるでいかんわ。」
選挙中の演説で、自身のアピールポイントについて、「自分でいうのもなんですけど。割と丁寧な言葉遣いを選んでいる」と答えていた広沢氏。
“ニューリーダー”が牽引する、名古屋市の未来に注目です。