教皇を広島・長崎に導いた1枚の写真
ローマ教皇を長崎と広島へ導いた、1枚の写真。
「幼い子どもの写真です。弟の亡きがらを背負って火葬場の前で順番を待っています。長崎で原爆が落とされた後のことです」
教皇は写真をポストカードにして全世界の教会に配りました。「戦争がもたらすもの」と書き添えて…。
教皇「この写真は1000の言葉よりも人の心を動かし得るものです」
この写真を撮影したのは、ジョー・オダネルさん。米軍の従軍カメラマンでした。
「私の父が撮影しました」
父と同じカメラマンの道を選んだ、タイグ・オダネルさん。
タイグ・オダネルさん「父が焼き場に近づき、若い男の子が緊迫して立ち、唇をかみしめているのを見ました。写真を撮ったあと、唇から血が出ていたそうです」
葛藤と闘いながら、オダネルさんはシャッターを切り続けました。焼野原の長崎や広島で300枚の写真を撮ります。
オダネルさんは生前、こう語っていました。
「Q.アメリカをどう思いますか?」
ジョー・オダネルさん「間違っていたと思った。おばあさん、おじいさん、子どもたちを殺してしまった。軍人は死んでいない。何もしていない人たちを殺してしまった」
タイグさんは父が撮った『焼き場に立つ少年』がきっかけで、教皇フランシスコと長崎で対面することになりました。
タイグ・オダネルさん「父の写真を使ってくれたことへの感謝をお伝えしたい。戦争の最終的な犠牲者は子どもなんだと伝えてくれていることを感謝したい」
父の思いを胸に、長崎へ。
そして、38年ぶりに日本へやって来た、ローマ教皇。
原爆で7万4000人が亡くなった長崎からローマ教皇が訴えたこと…。
教皇「ここは、核兵器が人道的にも環境的にも、悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です」
傍らには、『焼き場に立つ少年』の写真。
タイグ・オダネルさん「こんにちは、教皇様。父の写真を使ってくださってありがとうございます」
教皇「あなたのお父様はこの写真を通して平和のために大きな貢献をしました」
タイグ・オダネルさん「とても感動しました。一瞬の出来事でしたが、教皇様は私の目を見て話しをしてくれて、とても誠実で謙虚な方でした」
広島では、2000人が、教皇を出迎えました。被爆地ヒロシマから、世界に向けて発信した14分間のメッセージ。
教皇「私は平和の巡礼者としてこの場所を訪れなければならないと感じていました。ここで大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光(せんこう)と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。あの時を生き延びた方々を前に、その強さと誇りに深く敬意を表します」
いまも「核なき世界」は訪れていません。だからこそ、行動を続けて欲しい。教皇は1人1人に語りかけます。
教皇「戦争はもういらない。兵器の轟音(ごうおん)はもういらない。こんな苦しみはもういらない」
2019年11月24日放送 NNNドキュメント『ローマ教皇へのメッセージ~被爆地の高校生が託す思い~』を再編集しました