重い病気でも自分らしく…遊び・学びを支える「こどもホスピス」笑顔で過ごせる居場所に
去年11月、青空の下で体をゆらし、音楽を楽しむ吉田桃さん、18歳。
こどもホスピス「うみとそらのおうち」で開かれたコンサートです。演奏が終わると、友達と笑顔でポーズを決めて記念撮影し、思い出を刻みました。
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「うみとそらのおうち」は、命にかかわる重い病気の子どもたちが看護師や保育士に見守られながら安心して過ごせる施設です。
好きなときに利用ができ、過ごし方は自由。スタッフが一人一人の病気を理解したうえで遊びや学びをサポートします。
2年ほど前からこの場所を利用している桃さん。生まれてすぐに心臓に問題が見つかり、これまでに大きな手術を何度も受けてきました。
1日10回ほど、たんの吸引が必要で、外出できる場所や時間も限られています。のどに穴を開けて酸素を取り入れているため、酸素の持ち運びが欠かせず、うまく声を出すことはできません。
それでも、“やりたいこと”ができる場所を探して、この施設にやってきました。
お母さん 吉田恵子さん
「(娘が)やりたいと思うことを、一生懸命バックアップできればなと思っているなかで、こちらの施設を利用できて」
この施設で桃さんは、誕生日会やたこ焼きパーティーなど、病院や家族の支えだけではできなかったことも経験。自分を肯定し、自分の気持ちを伝えられるようになったといいます。
お母さん 吉田恵子さん
「アクティブに遊ぶこともできるし、のんびり過ごすこともできるので、そういうところが魅力。ものすごくたくさんの選択肢を生んでくれる。うれしいです」
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「うみとそらのおうち」は約2年半前の開所以来、のべ300を超える家族を見守ってきました。
今はスタッフとして働く梶原眞澄さんもその1人。娘の恵麻ちゃんと通っていました。
恵麻ちゃんは2歳のときに小児がんの一種「神経芽腫(しんけいがしゅ)」とわかりました。入院し、外で遊ぶことは難しくなりましたが、一時的に退院ができたときには「うみとそらのおうち」でスタッフのサポートを受け、クリスマスパーティーやサッカーを楽しむことができたといいます。
梶原眞澄さん
「我慢しないで、はしゃいでいい場所ができたことが一番大きいのかな。病院でも遊べるけど、自分1人の場所じゃないから。廊下走ったら怒られることもあった」
一度もしたことがなかった花火も夏に2回楽しみ、2回目の花火の2日後、恵麻ちゃんは短い生涯を閉じました。
梶原眞澄さん
「私たち夫婦だけでは、あの日の花火は絶対できなかったと思います。やりきったというか、まだやりたいこといっぱいあったのにという気持ちではなくて、本当に頑張って生き抜いたって思ったんですよね」
その後、施設で働くことを決めた梶原さん。今はスタッフとして子どもたちを見守っています。
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「こどもホスピス」と名の付く、こうした施設はまだ全国にたった数か所。各地で設立に向けプロジェクトが発足していますが、支援は不十分で時間がかかっているといいます。
自身も娘を病気で亡くした経験から「うみとそらのおうち」を設立した田川尚登さんは──
横浜こどもホスピス 田川尚登代表
「(重い病気の子どもは)孤立した状態の家族がほとんど。治らない病気がたくさんあって、そういう子どもと家族を孤立から守るためのこどもホスピスが必要。気楽に利用できて、笑顔で楽しい時間を過ごせる居場所なんだよって、もっと知っていただければ」
「こどもホスピス」が増えれば、もっと多くの子どもたちに笑顔が広がるはずです。