“平成の園遊会”名場面の数々 時代を彩った人たちとの触れ合い【皇室 a Moment】
■園遊会 ~時代を彩った方々を招待
――こちらは、これまでの園遊会を彩った方々ですね!
はい。今月11日に、令和になって初めて園遊会が行われましたが、これまでも園遊会には、スポーツ、芸能、文化、学術など各界で功績があった人々が招待されてきました。
――文字通り「平成」の時代を代表する方々ですよね。
そうですね。園遊会は、ほぼ毎年、春と秋に赤坂御苑で開催され、昭和天皇の喪が明けた平成最初の園遊会は平成2(1990)年の春に行われました。
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上皇さま「ずいぶん、いい成績を続けておられるためには、努力しておられるんでしょう?」
千代の富士さん「日々の稽古を怠りなくやっております」
上皇さま「この頃、体の方は順調ですか?」
千代の富士さん「なんとか元気です」
上皇さま「そうですか。どうぞこれからも体を大事にして、がんばって」
千代の富士さん「ありがとうございます」
上皇さま「みんなのために、いい相撲を取ってください」
上皇さま「ワールドベースボールクラシック優勝、本当によろしかったですね」
王貞治さん「日の丸の力で後ろから押してもらって、思わぬ力が出ました」
上皇さま「日本の野球もいい選手がたくさん、大勢出てきて」
王さん「アメリカにどんどん行くようになりましたので、もっともっとレベルアップしたいと思っています」
上皇さま「そうですね」
上皇さま「お体の方はいかがですか?」
長嶋茂雄さん「だいたい60パーセントにはなってきました」
上皇さま「ああ、そうですか。60パーセントね」
美智子さま「よかった、元気になりましたか?」
長嶋さん「はい」
美智子さま「このあいだ、(国民)栄誉賞おめでとう」
長嶋さん「ありがとうございます」
長嶋さん「体の方は大丈夫ですか?」
上皇さま「どうもありがとう」
長嶋さん「大丈夫ですか?」
美智子さま「どうぞ、きょうはゆっくりね、なさってください」
長嶋さん「ありがとうございます」
上皇さま「どうぞ体を大事にして」
上皇さま「今回は、おめでとう」
佐々木則夫監督「ありがとうございます」
上皇さま「良い成績で良かったですね」
佐々木監督「ありがとうございます。日本国民の皆さんのご声援のおかげで、なんとか小さい娘たちがチャンピオンになってまいりました」
上皇さま「PK戦の時も、足で」
佐々木監督「セーブした」
澤穂希さん「キーパーが」
上皇さま「ああいうころができるのかなと思って、びっくりしました。」
佐々木監督「神がかりでございました(笑)」
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平成最初の園遊会は私も取材しましたが、昭和から平成初めに活躍した横綱・千代の富士関が招かれました。映像では王さん、長嶋さん、なでしこジャパンと続きましたが、この方々には共通点があります。
――「国民栄誉賞」受賞者ですか?
そうです。今年は国民栄誉賞を受賞した車いすテニスの国枝慎吾さんが招かれました。「国民栄誉賞」の受賞者が招かれることが多いですね。
――きょうは平成の園遊会の名場面の数々を井上さんとともに振り返りたいと思います。 井上さん、園遊会はいつからはじまったんでしょうか?
■園遊会とは? ジンギスカンに焼き鳥も
古くは平安時代に遡るようですが、宮中の園遊会のはじまりは今から140年以上前の1880年=明治13年になります。秋に菊を見る会「観菊会(かんぎくかい)」、春に桜を観る会「観桜会」が行われ、当初は外交団との交流が中心だったようです。
今年は食べ物やお酒の提供はありませんでしたが、これまでは、会場で栃木県の御料牧場の羊=ラム肉を使ったジンギスカンや、焼き鳥などがふるまわれてきました。
また、宮内庁の楽部による「雅楽」や、皇宮警察音楽隊による生演奏も行われます。
――ジンギスカンに焼き鳥。また復活するといいですね。私たちがいつも映像で見るのは招待客へのお声がけのシーンですが、これはどのようなタイミングで始まるのでしょうか?
招待客が庭での食事や歓談を楽しんだ後、アナウンスがありまして、三笠山と呼ばれる小高い丘に両陛下と皇族方が登場し、三権の長らの挨拶を受けて、道筋に並んだ招待客1人1人に声をかけて回り始められます。
――そのような流れで、いよいよ著名な方々へのお声かけが行われるんですね。
はい、テレビカメラがある場所にはあらかじめ選ばれた著名人とその配偶者などが並んで、その人たちにマイクがつけられています。
――招待客の方にマイクがあるから、貴重なやりとりを私たちも聞くことができるんですね。
はい。平成の時代の招待客は一回1700人ほど。カメラが捉えるのはごく一部ですが、時代を映し出す華やかな招待客とのやりとりがいろいろありました。特にオリンピックのメダリストは毎回、大きな話題になりました。
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■大きな話題に 五輪メダリストを招待
小平奈緒さん「500mで金メダルをとらせていただきました、おかげさまで」
上皇さま「良かったですね、本当にね」
美智子さま「立派でございましたね」
小平さん「また主将もやらせていただいて、百花繚乱というテーマを掲げさせていただいたんですけれども、本当に選手の皆さんががんばって、それぞれの競技で本当にきれいな花を咲かせてくださいました」
上皇さま「ずいぶん練習を重ねられたんでしょうね」
羽生結弦さん「そうですね、ケガをしてしまったので直前はなかなかうまく練習ができなかったんですけれども、それまでにいたる過程でたくさん練習は積んでこられたなというふうには思っています」
上皇さま「ああ、そうですか」
上皇さま「(ケガに)気をつかっての練習だった?」
羽生さん「はい。学ぶこともとても多く、練習ができない期間も学べることがたくさんあったので、ある意味ではいいきっかけになったかなというふうには思っております」
上皇さま「いい成果をあげて、本当におめでとうございます」
羽生さん「ありがとうございます」
上皇さま「ずいぶん厳しい練習を重ねてこられたんでしょう?」
吉田沙保里さん「そうですね、私は3歳からレスリングをはじめて」
上皇さま「3歳から!? そうですか」
吉田さん「父親が指導者で、ずっと家の中に道場があるっていうので、逃げ隠れできない状況の中で育ってきましたので」
上皇さま「でも、こういう成果が出て本当に」
吉田さん「本当にあきらめずにここまで走り続けてきて、良かったです」
上皇さま「ずいぶん小さいときから卓球やっておられるんでしょう?」
福原愛さん「はい、3歳から」
上皇さま「3歳から!?」
美智子さま「バンビとか、カブとかいう時代から。時々テレビで泣いていらっしゃるところを(笑)」
福原さん「お恥ずかしい」
美智子さま「(メダルを)見せてくださる? これが個人の銀(メダル)で、大きく飛ばれたのね」
上皇さま「何年になりますか? 選手生活は長いんでしょう」
葛西紀明さん「そうですね、33年ですかね」
上皇さま「33年」
美智子さま「ようございますね、続けてこられてね」
上皇さま「それはやはり体の、なんていうか常に良い状態に保って」
葛西さん「いろんな方に支えてもらったので、ここまで、41歳までやることができました」
上皇さま「どうぞこれからもお元気でね」
葛西さん「がんばります」
◇
――招待客の皆さんをねぎらっていらっしゃいましたね。また葛西紀明選手のメダルにお2人そろって手で触れられている姿は園遊会ならではでしたね。
選手も、上皇ご夫妻も、うれしかったのだろうと思います。また、園遊会では、芸能界からも招かれます。
■芸能界からも数多く招待
上皇さま「もうじき90に、おなりになるんだそうですね」
森光子さん「来年、なりますんです」
上皇さま「ああ、そうですね。現役でやっていらっしゃる」
森さん「ありがとうございます。私は京都に生まれまして、天皇さまがお生まれになりました日も、近い京都の市役所のすぐそばに住んでおりまして、サイレンがなりました。『鳴った鳴ったサイレン皇太子さま お生まれなった』という歌詞もちゃんと覚えております」
上皇さま「そうですか」
上皇さま「前にデフシアターのときに」
黒柳徹子さん「おいでいただきまして」
上皇さま「あれ何年前になります?」
黒柳さん「もう30年くらい前」
上皇さま 「そうなりますか」
美智子さま「わが街」
黒柳さん「あのとき、おいでいただいたんで、手話というものが皆の目に入って日本中で手話をやることが恥ずかしくないってことになりましたので、とってもありがとうございました」
谷村新司さん「中国と日本のかけ橋になるべく、家族スタッフ共々頑張っております」
上皇さま「ああ、そうですか。ご苦労さまです」
谷村さん「ありがとうございます」
上皇さま「いろいろな過去の歴史もありますしね、それをしっかり踏まえてそしてそのうえで良い交流が開かれるということが望ましいですね」
上皇さま「ずいぶん作詞もいろいろ」
阿木耀子さん「はい」
上皇さま「なかなか苦労も多いでしょう、どうですか?」
阿木さん「そうですね、なかなか言葉が思うように思いつかなかったりして、悩むこともございます」
上皇さま「そうですか。やはりお2人で相談をされながら作詞作曲をやられるわけですか?」
宇崎竜童さん「はい」
阿木さん「ケンカしつつ、夫婦の危機を迎えつつ(笑)、ケンカしながらやっています」
イルカさん「イルカと申します」
美智子さま「イルカさん」
イルカさん「生物多様性を着物にも3年前から描きまして、今日は自分で描いた着物でやってまいりました。陛下のご研究されているタヌキも」
美智子さま「あっ、ここに(笑)おりますね」
イルカさん「はい、タヌキ」
美智子さま「見えますね」
上皇さま「ここにあるわけね」
イルカさん「全てテーマが生物多様性で、人間と生き物が皆で共存して生きていかれる地球というものを目指しておりますので」
上皇さま「(心臓の)手術の時は、CDを」
由紀さおりさん「やっぱりそうでございましたか。あの、体調を崩されてご入院の折に、私の『夜明けのスキャット』も何かBGMの音楽の中でお聞きくださってるということを伺ったんでございますが」
上皇さま「それに合わせて歩いて」
美智子さま「リハビリをなさって。どうもありがとう」
由紀さん「いいえ、光栄なことでございまして、ありがとうございます」
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――お話を伺っていると、お二人も伝えたかったことをこの場で直接伝えられている感じが、うれしそうですね。
森光子さんとのやり取りは私も取材していました。上皇さま誕生の時は、サイレンで男子の誕生か女子の誕生かが知らされました。男子なら2回、女子なら1回。全国各地でサイレンが2回鳴って、「ああ、皇太子さまが誕生したんだ」と沸いたんですね。そして「皇太子さまお生まれになった」という歌が作られ、多くの人が口ずさんだそうです。森さんは76年後にその歌を上皇さまの前で披露したわけで、とても印象に残っています。
■さまざまなジャンルから招かれる“時の人”
園遊会には、その時どき、非常に話題になった人物なども招かれます。CMに出演し一躍「時の人」となった100歳の双子が招かれた時は大きな話題となりました。
ぎんさん「なにぶんにも、よろしくお願いいたします」
美智子さま「お大事にね、気をつけてね」
上皇さま「どうぞ元気で、過ごしてくださいね」
きんさん「ほんと、ありがとう。皆さまのおかげですよ、これも。会わせていただくのも、皆さまのおかげです。ありがとうございます」
上皇さま「どうでした?」
毛利衛さん「真っ暗な宇宙の中にですね、地球というのは青々として非常に神々しくて、ほんとうに生命を育む水の惑星だということを感じました。本当に感動いたしました」
上皇さま「テレビで『地球は1つだ』ということを言ってらしたのが、とても印象に残りました」
尾身茂さん「おかげさまで鳥インフルエンザは、日本含めてですね、アジア全体落ち着いたと思いますが、これからも同じような感染症、これは必ず来ますので、これからも日本の皆さんと一緒にですね、努力をしていきたいと思います」
上皇さま「本当に感染症の問題が非常に重要な課題になってきましたね」
尾身さん「そうですね、国際化があるんで、人の動きが多いということでこれからますます重要になってくると思います」
上皇さま「皆の健康のためによろしくね、努めてください」
尾身さん「よろしくお願いします」
上皇さま「あのテレビで『ゲゲゲの女房』を見ました」
武良さん「ありがとうございます、光栄でございます。本当にありがとうございます」
上皇さま「すいぶん、あれを見ていると、絵を描くのは大変なことですね」
水木しげるさん「はい、大変です。やっぱり年とってもあんまりラクじゃないです。絵を描くの」
羽生善治さん「棋士になって、もう32年経ってしまいました」
上皇さま「ひと試合すると、疲れるんですか?どうですか?」
羽生さん「そうですね、2日間の試合ですと体重が少し減ったりするときがあります」
上皇さま「そうですか」
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――さまざまなジャンルの方々がいらしているんですね。
宇宙飛行士や学術・文化の功労者も招かれてきました。
――新型コロナ対策で一躍、時の人になった尾身茂さんも、すでに19年前に招かれていたんですね!
尾身さんは当時、WHO西太平洋地域事務局長として、アジアで流行した鳥インフルエンザの収束の指揮などにあたっていました。今を予言するかのように新たな感染症の危険性を訴え、生物学者でもある上皇さまが話を食い入るように聞かれていたのが印象的です。
■被災地で対応された方々も招待
――他にはどんな方が招かれるのでしょうか?
平成の時代はしばしば大きな自然災害に見舞われましたけれども、被災地で対応にあたった、あるいは復興に尽くした方々も招かれました。
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島原市長・鐘ヶ江管一さん「被災者を代表して御礼を申し上げます」
上皇さま「本当に在任中はご苦労が多い日々を過ごされたことと思います」
鐘ヶ江さん「はい。暑い中お見舞い賜りまして、あれでみんな生きる望みを得ました。遺族も皆元気にしております。ありがとうございました」
上皇さま「本当に大変なときの村長で」
旧山古志村長・長島忠美さん「一言、村民に代わって御礼が言いたくて、きょうは伺いました。ありがとうございました」
上皇さま「今はみんな、仮設だから」「健康状態は大丈夫ですか?」
長島さん「はい、おかげさまでいつも見知った人たちが近所におりますので、そんな意味では心強く健康で暮らさせていただいております」
上皇さま「あ、そうですか」
上皇さま「このたびの大震災、大変で、日々ご苦労のこととお察ししています」
震災当時の福島・富岡町長 遠藤勝也さん「ありがとうございます」
上皇さま「放射能の方の問題もあると思いますが」
遠藤さん「これから一生懸命、除染をしてですね、一日も早くふるさとに帰還できるように一生懸命努力したいと思います」
上皇さま「どうぞよい復興がね、行われるように願っています」
震災当時の宮城・南三陸町長 佐藤仁さん「美智子さまには、体育館の冷たい中をですね、スリッパをぬいで被災者に声をかけていただきました。あの姿、一生忘れませんので、ありがとうございました」「おかげさまでですね、昨年の市場の水揚げ、震災前と同じ量と金額になりました」
上皇さま「そうですか」
佐藤さん「ですから、そういう意味では、町民の皆さんにもですね、そういった産業が少しずつ元に戻っていくという姿が今ありますので、皆、元気で今、がんばっております」
上皇さま「ほんとにね、町長ご苦労多いと思いますが、町民のためによろしくね」
佐藤さん「はい、がんばります」
◇
この時、私も取材しておりましたが、上皇さまは上皇后さまと、いまだ火砕流が続く中、避難所や仮設住宅をワイシャツを腕まくりし膝をついて回られ、これが後に「平成流」と呼ばれる自然災害の被災地お見舞いの出発点になりました。
――こうしてみますと、園遊会というのは単にお話をして楽しむというだけでなく、両陛下が現場の生の声、あの後どうなったんですかと、過程をお聞きになるような大事な機会になっているんですね。
おっしゃる通りだと思います。園遊会は、両陛下や皇族方が国民と触れ合う大切な機会だと思います。平成の両陛下も、今の両陛下も、名簿に事前に目を通し、どんな人が招かれているかを頭に入れて、名札を見ながら話しかけられているそうですから、この機会をいかに大切にされているかがわかります。そこには笑顔があって、励ましがあって、労いがあって、国民と共にあろうとする皇室にとってこれが大切な場であることがうかがえると思います。
――これから令和の時代、両陛下がどんな方々と会ってどんなお話をされるのか楽しみですね。
1人でも多くの方々と触れ合っていただきたいと思います。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)