ママは“元男性記者”家族の物語 パパだけどママ…それぞれの幸せのカタチ【バンキシャ!】
2月23・24・25日は、日本テレビの週末キャンペーン「カラフルウィークエンド」。一人ひとり違う私たちが、誰もが自分らしく生きられる社会について考えます。バンキシャ!が取材したのは、トランスジェンダー女性の谷生俊美さん。かつて“男性”として報道の最前線で活躍し、いまは女性として生きる谷生さんは、パートナーの女性と4歳の娘がいます。葛藤や悩みも抱えながら歩む家族の物語──。(真相報道バンキシャ!)
ここに、ちょっと珍しい3人家族がいる。4歳の女の子、ももちゃん。そして…
ゆりさん
「お城は誰が作るの?」
ももちゃん
「ママとかーちゃん」
ももちゃんの両親は、“ママ”と“かーちゃん”。“ママ”と呼ばれるのは、元は男性で、今は女性として生きる谷生俊美さん。
谷生俊美さん
「最初相談したんですよね。どう呼ばせようかと。パパとか父ちゃんは嫌だったので…」
ももちゃん
「かーちゃん、ドングリ探して」
一方、“かーちゃん”と呼ばれるのは、パートナーのゆりさん。ゆりさんは女性の体で生まれ、女性として生きている。
ゆりさん
「私もママって呼ばれたくなかった。ママは嫌だった。だから、かーちゃんでいいといって。(谷生さんが)ママとすぐ決まりました」
ももちゃん
「ママー!」
この家族にパパはいない。谷生さんは戸籍上は父親だが、ママだ。
谷生さん
「“普通”のパパとママがいて、それでようやく家族。それが家族でしょ?当たり前でしょ?と言う方がいらっしゃるとは思う。だけど、幸せのカタチは人それぞれで、こういう幸せのカタチがあってもいいんじゃないか」
谷生さんは日本テレビの社員で、映画のプロデューサーをしている。ここに至るまで、いろいろあった。
入社当時は、“男性”だった。
「平壌の人は皆これを食べているみたいです」と北朝鮮で取材する、2001年の当時27歳の谷生さんの映像がある。
報道記者として、30代はエジプトに駐在。当時は谷生俊治(としはる)として、中東情勢を取材した。特派員として戦争やテロの現場に身を置くうちに、“ある感情”が湧いてきたという。
谷生さん
「エジプト(駐在)の5年間で痛烈に感じた。人間はいつ死ぬかわからない。だったら後悔のないように生きなきゃダメだと。それはやっぱり、自分の奥底に眠っていた感情として女性として生きていきたい」
幼少期から抱いていた“いつか女の人になりたい”という思い。
そして、2018年の「news zero」で「谷生俊美です。日本テレビには男性として入社しまして…」と話す谷生さん。名前を変え、ニュース番組に出演。トランスジェンダー女性であることを、広く世間にカミングアウトした。
谷生さんは、10年前にパートナーの女性・ゆりさんと結婚。不妊治療の末、娘のももちゃんが生まれた。
谷生さん
「えらいね。ちゃんと手伝えている」
ももちゃんの誕生は、谷生さんにとって奇跡のようなことだった。
谷生さん
「最初に女性ホルモンを投与すると決断を下した時に、実子を持つということは完全に断念した。もう結婚もしないと思っていたし、ひとりで生きていくんだろうなと…」
元来、大の子ども好き。空いている時間はずっとももちゃんと遊んでいる。
ゆりさん
「あの2人は同等にケンカもするし、同等に私にヤキモチも焼くし、私を取り合いになったり、同じレベルでやっているんです、いつも。“きょうだい”みたい、本当に…」
きょうだいのようなママと娘。だが、谷生さんは常に大きな不安を抱えている。
谷生さん
「寝ちゃいました」
この先、ももちゃんが思春期を迎えた時、自分の家族を嫌いになりはしないか。トランスジェンダーの“ママ”として、自分には何ができるのか。
◇
谷生さんが“男の子”として生まれ育った故郷、兵庫・神戸。実家の2階には19歳まで過ごした部屋がそのまま残っている。
谷生さん
「ここが私の部屋。これは5歳の時の私の写真」
この頃から、自分が男だということに違和感を持ち始めていた。
谷生さん
「外形的に自分が男の子だというのはわかっているんだけど、“女の子になりたいな”という気持ちはずっとあった」
──自分では、つらいことではなかった?
谷生さん
「悩むというよりは…ずっと心にあった。どうしていいのかわからないので」
──小中学校の時は誰にも言っていない?
谷生さん
「言ってないですね。秘めたる気持ち。言ってはいけないもの」
まだ日本にトランスジェンダーという言葉がなかった時代。誰にも相談できず、いつか海外に行きたいと1人で英語を勉強していたという。
ももちゃん
「遠いよ、めっちゃあの町」
谷生さん
「遠いね」
ももちゃん
「あれ外国じゃない?」
谷生さん
「外国かな?そんなことないと思う。まだ日本だと思うよ」
当時は仲の良い母親にも言えず、10年程前にようやく打ち明けた。
谷生さんの母親
「あの子が幸せやったら、それでいい」
──反対はしなかったですか?
谷生さんの母親
「女性になることに対して? 何で?っていう疑問はありましたけど…。今でも100%どうぞ、というものではない。やっぱり親としては」
いまだ、複雑な心境だという母親。それでも結婚して、孫を連れてきてくれることが何よりもうれしいと、遊びに来る日をカレンダーにしっかり記している。
谷生さん
「普通に女の子の遊びもしてて、“ままごと”が大好きで。何も言わなかったね。そういうことは言わなかったね、お母さん」
谷生さんの母親
「男の子だから女の子だからとは意識はしなかった」
谷生さん
「あれは良かったよ。感謝している。男の子だからこうとか言われなかったから」
──お母さんに伝えるのに躊躇(ちゅうちょ)なかった?
谷生さん
「理解しないのはわかっているし、ちょっとずつ…何となく(伝えた)」
「まだ認めていないと思いますよ」
谷生さんの母親
「100%はやっぱり思っていない。仕方がないとは思っていますよ」
谷生さん
「仕方ないって認識なの」
谷生さんの母親
「そう…」
かつて、“母と息子”だった2人は、今、新しい親子の関係になろうとしている。
最近、そんな谷生さんが注目されている。トランスジェンダー女性で結婚、子育てをする人はまだまだ少ない。谷生さんは去年、ここまでの自分と家族の歩みを本にした。ももちゃんが大きくなったら読んでもらいたい。
谷生さん
「ママってこういう人間なんだよってことを、ちゃんと子どもに残すための手紙。こういう幸せのカタチもあるってことを子どもに伝えたい。大事なのは、ももが幸せだということ」
◇
休日のある日。パートナーの女性・ゆりさんの実家へ里帰りした。ゆりさんの両親は、谷生さんにとって何でも話せる大きな理解者だ。
──谷生さんを何て呼んでいる?
谷生さん
「トシちゃん」
ゆりさん
「たぶん私が母としゃべるよりも、谷生さんの方がよくしゃべっています」
10年前、谷生さんはここでゆりさんの両親に会い、結婚を申し出たという。
ゆりさんの母親
「会うまでは(結婚を)反対していた。(会ったら)自分たちで強い気持ちで決めていた。まわりが言うこともなかった」
ゆりさんの父親
「“ちょっと見”が違うじゃん? ただ、そう思っただけのこと。抵抗はなかったね」
ももちゃんが生まれてからは、ここが第二の故郷となった。
だが、子育てに対する不安は尽きない。トランスジェンダーのママ、という環境はモモちゃんにどんな影響を与えるのか。
ゆりさんの母親
「子どもを育てるのは大変かな、という思いはありました」
ゆりさんの父親
「今はパパママどっち?ってことだけかもしれないけれど、大きくなってくると、違う言われ方をすると思う」
この日の夜。自然と、ももちゃんの今後について話が及んだ。
ゆりさんの父親
「俺が思うのは、たぶんイジメにあうと思う、これから。そこをどういうふうにカバーしていけるか。説明してもまだわからないと思うし。そこだけ心配だよ、俺は」
谷生さん
「私も心配なんですよ。そこは一番気にしていますよね、やっぱり」
この先、小学校に行ったらいじめられるんじゃないか。ついそんな想像をしてしまう。
谷生さん
「場合によっては、これから『ももちゃんのママって本当はパパなんでしょ?』みたいなことも絶対にあるし。『そうだよ、そういう人もいるんだよ』と言えるような環境をどうやって作ってあげられるか。あの子をいかに守るか。それしか考えてないです。でも、少なくとも私は恥ずかしいことはしてないし」
ゆりさんの父親
「いや、いいんだよ。人に迷惑をかけているわけでもないし。自分の生き方を生きてるだけなんだから。人にいろいろ言われる筋合いはない」
なかなか解決法は見つからない。でも、人とはちょっと違う家族のカタチを受け入れ、一緒に歩んでくれる人たちがいる。
──ケーキはお母さんが用意されたんですか?
ゆりさんの母親
「そうそう」
ゆりさんの父親
「俺もやってもらえねえけど」
ゆりさんの母親
「私もやってもらってないけど」
この日は、50歳になった谷生さんの誕生日をみんなで祝った。
谷生さんとゆりさんは、いつか思春期を迎えるももちゃんのために、“ある物”を準備していた。
「これを見る時は君はもう生まれているからね」
「出てきてね、ももちゃーん」
それは、未来のももちゃんに向けたビデオレター。我が子に向けて語りかける2人の姿が映っている。
生まれた直後の映像
「本当にありがとうございます。パパだけどママだからね。ママとかーちゃんで守るからね」
ゆりさん
「ひとん家は、ひとん家。ウチはこの家族だよ。こうやって大事にされて生まれてきたというのが、わかってもらえればいい」
谷生さん
「思春期になったら親なんか、うっとうしくなるものだし反発するもの。だから残しておく。親は少なくとも全力で自分のことが好きで、本当に愛してくれているんだということをちゃんと伝えることが大事。こういうふうにいろんな過程を撮っている」
保育園にももちゃんを迎えに行く谷生さん。ちょっと違う家族のカタチ。その歩みの記録であるビデオレターは今も増え続けている。
谷生さん
「上手になったねスキップ、もも」
谷生さんはこれからもママとして生きていく。
(2月25日放送『真相報道バンキシャ!』より)
ここに、ちょっと珍しい3人家族がいる。4歳の女の子、ももちゃん。そして…
ゆりさん
「お城は誰が作るの?」
ももちゃん
「ママとかーちゃん」
ももちゃんの両親は、“ママ”と“かーちゃん”。“ママ”と呼ばれるのは、元は男性で、今は女性として生きる谷生俊美さん。
谷生俊美さん
「最初相談したんですよね。どう呼ばせようかと。パパとか父ちゃんは嫌だったので…」
ももちゃん
「かーちゃん、ドングリ探して」
一方、“かーちゃん”と呼ばれるのは、パートナーのゆりさん。ゆりさんは女性の体で生まれ、女性として生きている。
ゆりさん
「私もママって呼ばれたくなかった。ママは嫌だった。だから、かーちゃんでいいといって。(谷生さんが)ママとすぐ決まりました」
ももちゃん
「ママー!」
この家族にパパはいない。谷生さんは戸籍上は父親だが、ママだ。
谷生さん
「“普通”のパパとママがいて、それでようやく家族。それが家族でしょ?当たり前でしょ?と言う方がいらっしゃるとは思う。だけど、幸せのカタチは人それぞれで、こういう幸せのカタチがあってもいいんじゃないか」
谷生さんは日本テレビの社員で、映画のプロデューサーをしている。ここに至るまで、いろいろあった。
入社当時は、“男性”だった。
「平壌の人は皆これを食べているみたいです」と北朝鮮で取材する、2001年の当時27歳の谷生さんの映像がある。
報道記者として、30代はエジプトに駐在。当時は谷生俊治(としはる)として、中東情勢を取材した。特派員として戦争やテロの現場に身を置くうちに、“ある感情”が湧いてきたという。
谷生さん
「エジプト(駐在)の5年間で痛烈に感じた。人間はいつ死ぬかわからない。だったら後悔のないように生きなきゃダメだと。それはやっぱり、自分の奥底に眠っていた感情として女性として生きていきたい」
幼少期から抱いていた“いつか女の人になりたい”という思い。
そして、2018年の「news zero」で「谷生俊美です。日本テレビには男性として入社しまして…」と話す谷生さん。名前を変え、ニュース番組に出演。トランスジェンダー女性であることを、広く世間にカミングアウトした。
谷生さんは、10年前にパートナーの女性・ゆりさんと結婚。不妊治療の末、娘のももちゃんが生まれた。
谷生さん
「えらいね。ちゃんと手伝えている」
ももちゃんの誕生は、谷生さんにとって奇跡のようなことだった。
谷生さん
「最初に女性ホルモンを投与すると決断を下した時に、実子を持つということは完全に断念した。もう結婚もしないと思っていたし、ひとりで生きていくんだろうなと…」
元来、大の子ども好き。空いている時間はずっとももちゃんと遊んでいる。
ゆりさん
「あの2人は同等にケンカもするし、同等に私にヤキモチも焼くし、私を取り合いになったり、同じレベルでやっているんです、いつも。“きょうだい”みたい、本当に…」
きょうだいのようなママと娘。だが、谷生さんは常に大きな不安を抱えている。
谷生さん
「寝ちゃいました」
この先、ももちゃんが思春期を迎えた時、自分の家族を嫌いになりはしないか。トランスジェンダーの“ママ”として、自分には何ができるのか。
◇
谷生さんが“男の子”として生まれ育った故郷、兵庫・神戸。実家の2階には19歳まで過ごした部屋がそのまま残っている。
谷生さん
「ここが私の部屋。これは5歳の時の私の写真」
この頃から、自分が男だということに違和感を持ち始めていた。
谷生さん
「外形的に自分が男の子だというのはわかっているんだけど、“女の子になりたいな”という気持ちはずっとあった」
──自分では、つらいことではなかった?
谷生さん
「悩むというよりは…ずっと心にあった。どうしていいのかわからないので」
──小中学校の時は誰にも言っていない?
谷生さん
「言ってないですね。秘めたる気持ち。言ってはいけないもの」
まだ日本にトランスジェンダーという言葉がなかった時代。誰にも相談できず、いつか海外に行きたいと1人で英語を勉強していたという。
ももちゃん
「遠いよ、めっちゃあの町」
谷生さん
「遠いね」
ももちゃん
「あれ外国じゃない?」
谷生さん
「外国かな?そんなことないと思う。まだ日本だと思うよ」
当時は仲の良い母親にも言えず、10年程前にようやく打ち明けた。
谷生さんの母親
「あの子が幸せやったら、それでいい」
──反対はしなかったですか?
谷生さんの母親
「女性になることに対して? 何で?っていう疑問はありましたけど…。今でも100%どうぞ、というものではない。やっぱり親としては」
いまだ、複雑な心境だという母親。それでも結婚して、孫を連れてきてくれることが何よりもうれしいと、遊びに来る日をカレンダーにしっかり記している。
谷生さん
「普通に女の子の遊びもしてて、“ままごと”が大好きで。何も言わなかったね。そういうことは言わなかったね、お母さん」
谷生さんの母親
「男の子だから女の子だからとは意識はしなかった」
谷生さん
「あれは良かったよ。感謝している。男の子だからこうとか言われなかったから」
──お母さんに伝えるのに躊躇(ちゅうちょ)なかった?
谷生さん
「理解しないのはわかっているし、ちょっとずつ…何となく(伝えた)」
「まだ認めていないと思いますよ」
谷生さんの母親
「100%はやっぱり思っていない。仕方がないとは思っていますよ」
谷生さん
「仕方ないって認識なの」
谷生さんの母親
「そう…」
かつて、“母と息子”だった2人は、今、新しい親子の関係になろうとしている。
最近、そんな谷生さんが注目されている。トランスジェンダー女性で結婚、子育てをする人はまだまだ少ない。谷生さんは去年、ここまでの自分と家族の歩みを本にした。ももちゃんが大きくなったら読んでもらいたい。
谷生さん
「ママってこういう人間なんだよってことを、ちゃんと子どもに残すための手紙。こういう幸せのカタチもあるってことを子どもに伝えたい。大事なのは、ももが幸せだということ」
◇
休日のある日。パートナーの女性・ゆりさんの実家へ里帰りした。ゆりさんの両親は、谷生さんにとって何でも話せる大きな理解者だ。
──谷生さんを何て呼んでいる?
谷生さん
「トシちゃん」
ゆりさん
「たぶん私が母としゃべるよりも、谷生さんの方がよくしゃべっています」
10年前、谷生さんはここでゆりさんの両親に会い、結婚を申し出たという。
ゆりさんの母親
「会うまでは(結婚を)反対していた。(会ったら)自分たちで強い気持ちで決めていた。まわりが言うこともなかった」
ゆりさんの父親
「“ちょっと見”が違うじゃん? ただ、そう思っただけのこと。抵抗はなかったね」
ももちゃんが生まれてからは、ここが第二の故郷となった。
だが、子育てに対する不安は尽きない。トランスジェンダーのママ、という環境はモモちゃんにどんな影響を与えるのか。
ゆりさんの母親
「子どもを育てるのは大変かな、という思いはありました」
ゆりさんの父親
「今はパパママどっち?ってことだけかもしれないけれど、大きくなってくると、違う言われ方をすると思う」
この日の夜。自然と、ももちゃんの今後について話が及んだ。
ゆりさんの父親
「俺が思うのは、たぶんイジメにあうと思う、これから。そこをどういうふうにカバーしていけるか。説明してもまだわからないと思うし。そこだけ心配だよ、俺は」
谷生さん
「私も心配なんですよ。そこは一番気にしていますよね、やっぱり」
この先、小学校に行ったらいじめられるんじゃないか。ついそんな想像をしてしまう。
谷生さん
「場合によっては、これから『ももちゃんのママって本当はパパなんでしょ?』みたいなことも絶対にあるし。『そうだよ、そういう人もいるんだよ』と言えるような環境をどうやって作ってあげられるか。あの子をいかに守るか。それしか考えてないです。でも、少なくとも私は恥ずかしいことはしてないし」
ゆりさんの父親
「いや、いいんだよ。人に迷惑をかけているわけでもないし。自分の生き方を生きてるだけなんだから。人にいろいろ言われる筋合いはない」
なかなか解決法は見つからない。でも、人とはちょっと違う家族のカタチを受け入れ、一緒に歩んでくれる人たちがいる。
──ケーキはお母さんが用意されたんですか?
ゆりさんの母親
「そうそう」
ゆりさんの父親
「俺もやってもらえねえけど」
ゆりさんの母親
「私もやってもらってないけど」
この日は、50歳になった谷生さんの誕生日をみんなで祝った。
谷生さんとゆりさんは、いつか思春期を迎えるももちゃんのために、“ある物”を準備していた。
「これを見る時は君はもう生まれているからね」
「出てきてね、ももちゃーん」
それは、未来のももちゃんに向けたビデオレター。我が子に向けて語りかける2人の姿が映っている。
生まれた直後の映像
「本当にありがとうございます。パパだけどママだからね。ママとかーちゃんで守るからね」
ゆりさん
「ひとん家は、ひとん家。ウチはこの家族だよ。こうやって大事にされて生まれてきたというのが、わかってもらえればいい」
谷生さん
「思春期になったら親なんか、うっとうしくなるものだし反発するもの。だから残しておく。親は少なくとも全力で自分のことが好きで、本当に愛してくれているんだということをちゃんと伝えることが大事。こういうふうにいろんな過程を撮っている」
保育園にももちゃんを迎えに行く谷生さん。ちょっと違う家族のカタチ。その歩みの記録であるビデオレターは今も増え続けている。
谷生さん
「上手になったねスキップ、もも」
谷生さんはこれからもママとして生きていく。
(2月25日放送『真相報道バンキシャ!』より)