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成田空港建設めぐる歴史「立場」超え伝承

2016年12月31日 9:34
成田空港建設めぐる歴史「立場」超え伝承

 シリーズ“記憶”をつなぐ小さな展示館。日テレNEWS24では戦争、震災などの記憶を風化させない取り組みをシリーズで紹介している。

 年間3500万人が利用する「日本の空の玄関口」成田空港。その建設をめぐって激しい対立が起きた歴史を伝える施設が、実は空港の近くに存在している。

 1966年7月、千葉県成田市に国際空港が建設されることが閣議決定された。地元住民には突然とも言える決定。その後、反対する住民たちによる運動が展開された。

 空港建設をめぐる対立構造、いわゆる「成田空港問題」。その歴史をはじめ、空港と地域の関わりを伝える施設がある。2011年6月、千葉県芝山町に開館した「成田空港 空と大地の歴史館」。成田国際空港株式会社をはじめ、学識経験者、地元住民、かつて反対派だった人たちが、立場を超えて運営に関わっている。成田空港をめぐる歴史を様々な視点から伝承・検証するのが目的だ。

 空港公団OB(1期生)板橋孝さん「成田の歴史というものがどういうものか、検証するということと同時にですね、こういう歴史が二度と繰り返されないように、後世に伝えていきたい」

 突然の国際空港に驚く住民たち。反対する住民らが大勢で土地を登記し、土地取得をしづらくする運動をはじめ、様々な反対運動を行った。その後、支援者たちも加わり、反対運動は激しくなった。そのとき、実際に反対派が使ったヘルメットや火炎ビンなども展示。当時の状況を生々しく伝えている。

 板橋さん「ここ(歴史館)の場合、成田空港を取り巻いたいろんな反対運動、その他の動き、その中で、いろんな事件を含めて、いろんな現象が起こったわけですね。そういう現象を通して、地域と空港がどういう関係にあったのかという、現象だけではなく、原因となったこと、結果としてどういう影響を与えたか、トータルのところを展示している」

 1978年、滑走路1本で開港した後も続く対立構造。一方で、国と一部反対派が問題解決に向け、対等な立場で公開討論をするという初の試みを経て、国・空港側は地域とともに歩む「共生」に取り組んだ。

 空港だけではなく、交通網の整備や地域づくりにも力を入れている。その間にも、新しいターミナルや平行滑走路の供用開始など、成田空港は機能を拡大していった。

 板橋さん「成田にこういう歴史があったということを知らなかった、そういう方たちがけっこう多い。そういう人たちが、こんな歴史があったんだからいい空港にしてほしいという意見が非常に多い。あの当時、反対した方々の心情をきちっと理解し、思い出して、今後もやっていかないとだめだよと(励ましも)」

 様々な立場の人たちの歴史に刻まれた空港と地域をめぐる苦悩と思い。この地で起きた出来事を「正確に後世に伝えるため」の展示がそれらを静かに伝えている。