熊本地震1年、わずかに進む“心の復興”
熊本地震の発生からまもなく1年になる。被災地の様子はどうなっているのか、諏訪中央病院・鎌田實名誉院長は3月、益城町の3組の夫婦に話を聞いた。復興への道のりはそれぞれだったが、心の復興は、進んでいるようにも感じられた。
■「ここで十分、何の不自由もない」
まず、鎌田氏が向かったのは、被害の大きかった益城町の住宅街。建築が始まったところもある。復興の第一歩だと言えるだろう。地震発生から5か月の時点で、鎌田氏が取材した時には、道の両側にガレキが積み上げられていたが、先月の時点ではガレキが撤去され、ほとんどが更地になっていた。住民の多くは仮設住宅に移ったという。
そんな中、今もこの地区で暮らす住民に話を聞いた。この地区の区長を務める増永信喜さん(71)。自宅は全壊してしまったが、現在は自宅の横に建てたプレハブ住宅で生活している。徳永さんと妻の春代さん(70)は、生活は2人だったらここで十分で、何も不自由はないという。増永さんは、最後までこの慣れ親しんだ土地を離れたくないと話していた。
■自宅で生活できることの喜び
続いて、鎌田氏が向かったのは半年前、避難所で出会った梅村勝さん(78)夫妻の住まい。笑顔で出迎えてくれた梅村さんだったが、半年前、避難所で話を聞いた際には、体は慣れたが、精神面がめちゃくちゃだと、つらい避難生活を嘆いていた。
しかし、去年10月、地震で半壊した家を修復し、自宅で生活できるようになったことで、笑顔で暮らせるようになったという。やはり我が家が一番だと語る梅村さんだが、妻の政子さん(75)は、5か月もの避難生活を送る中で持病の腰痛が悪化してしまい、この2日後、入院することに。夫の勝さんは、避難所での生活を抜け出した事で元気になったものの、政子さんは腰痛のせいで精神的にも参っていた。「早く良くならないと苦しい」と話す政子さん。鎌田氏は、早く、夫婦で元気に生活できるようになると声をかける。
■「その日その日を楽しんで生きる」
また、鎌田氏は同じく避難所生活を送っていた夫婦に会いに行った。内村一徳さん(77)は現在、仮設住宅で暮らしているが、体がなまってしまわないようにと家庭菜園のできる場所を借りて、畑での作業に精を出している。ここで、キュウリやトマト、スイカなどを作る予定だという。
以前、脳梗塞を患い、もの忘れも多くなってきているという内村一徳さん。それでも、体調は良く、仮設住宅での暮らしも今は満足しているという。妻の光代さん(74)は、「仮設(住宅)が決まって入ってからはいろいろ考えない。何も考えない。もう今から考え出しても同じことだもの」と話す。内村さん夫婦にとって大切なのは、その日その日を楽しんで生きる事だという。
実は“元気の源”は、妻の光代さんにある。光代さんは、私に半年前、「火の国」の女は、こんな地震には負けん!と話していた。74歳ながら、まんじゅう屋さんで働いていて、ぜいたくをしなければ、十分暮らしていけると話していた光代さん。仮設住宅の中で1人暮らしの人におかずを毎日おすそ分けしたり、夫だけではなく、いろんな人に気を配っている。この奥さんがいるから、夫の一徳さんは、笑顔でいられるんじゃないかと、鎌田氏は話す。
今回の取材で鎌田氏は、取材した3組の夫婦は考え方や状況は違うものの皆、畑仕事や夫婦での協力など、生きがいを持って暮らしていたという。「生きがい」を見つけること、それが復興への第一歩だと改めて感じさせられたそうだ。