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戦闘機の幽霊? 目の前に現れた“零戦” 「自衛隊の怪談」から考えた国を守るという仕事

2024年8月24日 7:04
戦闘機の幽霊? 目の前に現れた“零戦” 「自衛隊の怪談」から考えた国を守るという仕事
旧日本海軍の戦闘機 零戦(写真:アフロ)

これは元航空自衛隊の戦闘機パイロットから聞いた話です。
「硫黄島の周辺空域で戦闘訓練をまさに始めようとした時、何かが下を通ったんです。確認のため追いかけるとレシプロ機で色はグリーン。零戦だと思いました。横に並ぶと飛行帽をかぶり航空眼鏡をした人物がこちらを見たんです」

記者は自衛隊を取材する機会が多かったのですが、取材の合間に隊員たちと話をしていると、基地や駐屯地にまつわる「怪談」になることがしばしばありました。インターネットで「自衛隊 怪談」と検索するとさまざまな投稿があり、一つのジャンルになっているようにも感じます。なんとなく多いなと感じていた「自衛隊の怪談」ですが、その背景にはなにがあるのか。あらためて取材をすると、見えてきたのは…。(日本テレビ報道局 調査報道班 松嶋洋明)

まず話をしてくれたのはベテラン海上自衛官のAさんです。Aさん自身はいわゆる幽霊を見たことがないそうですが、自衛官として働くなかで様々な怪談を聞いたそうです。

ベテラン海上自衛官 Aさん
「旧海軍時代からの資料を展示している場所があるのですが、そこに行った人間はみんな見たって言いますね。私も建物に入った瞬間、ものすごいゾクゾク感を感じました。階段をあがった先にある肖像の目が動いたと話している人もいました」

太平洋戦争の激戦地として知られるあの島の怪談も聞くことが多かったそうです。

ベテラン海上自衛官 Aさん
「硫黄島は普通に毎日“現れる”と聞いていました。隊員の間ではそれが前提です。硫黄島勤務になる場合、平気かどうか確認が入るとまで言われていました。戦跡などには近寄らない、行くなら1人では行かず誰かを誘って行け、と言われていました」

護衛艦にまつわる怪談も聞いたといいます。

ベテラン海上自衛官 Aさん
「海上自衛隊の艦艇では不慮の事故で亡くなった方々がいます。私は任務で様々な艦艇に乗りましたが、どの船でも“何かが通った”“声が聞こえた”といった怪談はありましたね」

■「隊員たちは“怨念桜”と呼んでいた」演習場内に咲く桜

次に話を聞いたのは、関東の駐屯地で勤務する陸上自衛官のBさんです。

関東の駐屯地に勤務 陸上自衛官 Bさん
「近畿地方の駐屯地にある資料館は、かつては旧日本軍の兵舎を使っていて、あそこは出ると言われていました。また岡山県にある日本原演習場内には桜の木が立っていて、周辺で草刈り機を使っていたらケガをしたり、木に向かって小用を足した隊員とその小隊全員が発熱したりしたと聞きました。隊員たちはその桜を怨念桜と呼んでいたそうです」

Aさんが話してくれた硫黄島やBさんの日本原演習場については、インターネット上でも怪談として伝えられていることが確認できました。

■自衛隊の怪談 防衛省の見解は

自衛隊内だけでなく一般にも広まっている怪談について、防衛省はどのように捉えているのでしょうか。硫黄島に基地がある海上自衛隊に問い合わせたところ「お答えする立場にありません。(海上幕僚監部広報室)」との回答でした。

一方、日本原演習場の怨念桜については、関係者から“過去にそういった話はあった”という話も。

陸上自衛隊 関係者
「かなり前の話ですが隊員たちに怨念桜と呼ばれる桜の木が演習場内の道路脇にありました。私も先輩から“切ったり触ったりしない方が良い”と指導されました。その桜の木は自然災害で倒れたと聞いています。現存はしていないです」

■「自衛隊の怪談」民俗学の観点から

隊員たちの間で語り継がれる怪談はやはり存在するようですが、その背景には何があるのでしょうか。「自衛隊の怪談」に着目して、民俗学の視点から研究を続ける市東真一(しとう・しんいち)さんに話を聞きました。

記者
「自衛隊の怪談を研究するきっかけは?」

民俗学者 市東真一さん
「民俗学の中で有名な“学校の怪談”の研究があります。学校は子供たちが集まる特定の環境で、いろんな怪談が生まれ広がっていくのですが、自衛隊の怪談はそれに似ているなと思ったのがきっかけで研究をしています」

記者 
「自衛隊の基地は、旧軍時代から使用されているものがたくさんありますが、これが怪談の多さにつながっているのでしょうか」

民俗学者 市東真一さん
「土地の記憶というものが背景の一つにあると思います。悲惨な歴史がある場所だと、ちょっとした現象も“心霊的なものの仕業だ”と考えがちになりますね。そして重要なのは、怪談というものは現象を体験した人の話とそれを聞く人の解釈、その2層構造で成り立っているということです」

記者
「どういうことでしょうか」

民俗学者 市東真一さん
「聞く人がいないと、それは個人的な体験でしかありません。体験談を聞いた人が、それは心霊的なものの仕業だと解釈をする。そしてそれを誰かに話す。それで初めて怪談として成立するのです」

記者
「自衛隊という組織の特色も怪談の多さに関係しているのでしょうか」

民俗学者 市東真一さん
「はい、隊員の数が多いだけではなく歴史などについて文化的な共通認識があります。また一般の社会に比べて集団で行動することが多く、それだけ話をする機会も増えます。学校の怪談もそうですが人が集まるところに怪談は生まれます。自衛隊の怪談が多いのはこうした環境によるものだと考えます」

■自衛官たちが語った“不思議な体験”

市東さんは怪談が成立するプロセスを
①不思議な体験をする 
②それを聞いた人が心霊的なものと解釈 
③その解釈が広がる と分析していますが、今回自衛官に取材をしていると、プロセス①の「不思議な体験談」にもいくつか行き当たりました。

伝聞の怪談とは違い「私は見た」という直接的な体験談になりますが、みなさんはどのように解釈されるでしょうか。

関東の駐屯地に勤務 陸上自衛官 Bさん
「息子が3歳のとき、知人の家に正月のあいさつに行きました。家を出るとご先祖のお墓があったので2人で手を合わせた。すると息子が“いま僕、兵隊さんを見た”と言うんです。帽子に星のマークがついた人や大きな眼鏡(航空眼鏡?)をかけた人がいたと。“兵隊さんはなにか言っていた?”とたずねると“うん、パパはまだきちゃだめだ”と言っていたと」

陸上自衛隊の化学科隊員だった宮澤重夫さんは生き物のような飛行物体を目撃したそうです。

元陸上自衛隊化学科隊員 宮澤重夫さん
「深夜の演習で対空警戒任務中、オレンジ色の発光物体を発見しました。アルファベットのL字型で下の部分は旗のようにゆらゆらとなびいていて全体が微妙に前後左右に動いている。空飛ぶ円盤ではなく生き物のように見えました。周囲の隊員も皆目撃し驚いていました。その謎の物体は30分ほど上空にとどまった後、山陰に消えました」

記者が聞いた体験談のなかで特に異色だったのが、現代に現れた“零戦”の話です。話してくれたのは航空自衛隊でF-4戦闘機のパイロットだったCさん。

元F-4戦闘機パイロットCさん
「あれは1990年ごろだったと思います。硫黄島(東京都)の周囲は海が広がり戦闘機の訓練に適しています。目撃したのは硫黄島から離陸して訓練空域に入り、対抗する戦闘機と訓練を始めようとしている時でした」

空中戦に入ろうとしたまさにその時、下の方を何かが、後ろから前に抜けていくのが目に入りました。

元F-4戦闘機パイロット Cさん
「こっちは時速700~800キロくらいで飛んでいるんですが、追い抜いていったので、“うん?なんだ?”と。訓練中止を宣言して確認のため加速して追いかけたんです」

近づくと航空自衛隊の戦闘機とは形が異なることに気がつきました。

元F-4戦闘機パイロット Cさん
「F-4やF-15とは明らかに形が違うんです。レシプロ機で色はグリーン、翼に日の丸が描かれていて私は詳しくないんだけれど零戦だと思いました」

零戦は旧日本海軍が主に太平洋戦争で運用した戦闘機。日本国内に飛行可能な状態の機体はないはずです。Cさんが確認のため真横にならぶとー。

元F-4戦闘機パイロット Cさん
「飛行帽をかぶり航空眼鏡をした人物がこちらを見たんです。(搭乗員が)見えたんです。その後、向こうはスーッと加速して上昇し視界から消えました。普通だったら追いかけるんですけどしませんでした。今考えるとなぜ追いかけなかったのか不思議です。それで訓練しなきゃと。なんのちゅうちょもなく訓練を再開した記憶があります」

太平洋戦争中、硫黄島の周辺では零戦に乗った多くの搭乗員が戦死しています。Cさんは自分が見た“零戦”は「この世に存在するものではない」と認識していますが、当時の事をあらためて振り返ると自分も通常とは違う状態に入っていた気がするそうです。F-4戦闘機にはCさんのほかにもう1人、航法などを担当するナビゲーターが搭乗していたのですがー。

元F-4戦闘機パイロット Cさん
「“零戦”を見たんですけど、それについて後ろ(ナビゲーター)と話した記憶がないんです。普段はよく会話するんだけど、後席が騒いだ記憶がない。今思えば異次元に入っているような、不思議な感覚です」

訓練を終えて硫黄島に着陸した後、Cさんは一緒にフライトした人たちに確認しましたがー。

元F-4戦闘機パイロット Cさん
「“いたよね”と話をしたんですがみんなに流されたんです。ひょっとするとあれは私の幻想だったのかもと思うときもあります。でも、見たという記憶は確かにあるんです」

この零戦の目撃談を民俗学者の市東さんはどのように解釈するのか、筆者は興味がありました。市東さんは一般論と断った上で。

民俗学者 市東真一さん
「自衛官が扱う装備品はジェット戦闘機や戦車、護衛艦など大型のものが多いうえに爆薬やミサイルなどもあり、扱いを間違えば死に直結します。さらにいざという時には敵と戦うことが任務になります。常日頃から死というものを意識せざるをえず、一般の人たちよりも生死の境に近いのだと考えます。実戦を想定した訓練という特殊な環境や心理状態から、Cさんは心の内にあるものが目の前に現れたと認識したのかもしれません」

零戦を目撃した当時の心理状態をCさんはこう振り返ります。

元F-4戦闘機パイロット Cさん
「あの頃は四六時中、空中戦で勝つことだけを考えていました。訓練でいかに相手パイロットを陥れてマウントをとるのか、それだけです。ひたすら訓練を重ねていたので、パイロットとしての感覚ががんがんに研ぎ澄まされていました。ですので零戦を見た時は、全然違う空間に入ったような感じがしたんです。ひょっとすると、あのまま訓練に入っていたら事故に至っていたのかもしれません」

研ぎ澄まされた感覚が異変を感知して、零戦を出現させることで事故を回避した。記者はそう解釈しましたが、みなさんはいかがでしょうか。