広島“平和への誓い”こどもたちがつなぐ戦争の記憶と思いとは 石川みなみアナウンサー企画・取材
毎年8月6日に行われる広島の平和記念式典で、子どもたちが読み上げる平和への誓い。広島市では、子どもたちに平和について考えるための取り組みとして、28年前から行ってきました。広島に原爆が落とされてから78年がたち、語り部が減る中、子どもたちは戦争や原爆をどのように知り、考えているのか? 広島市出身の石川みなみアナウンサーが取材しました。
石川アナが訪れたのは、広島県広島市にある平和記念公園。毎年行われる平和記念式典の準備が進められていました。広島市では、平和について考えてもらおうと、28年前から”平和への誓い”という取り組みを行い、平和記念式典でその誓いを読み上げています。この取り組みは毎年、広島市内の小学6年生から作文を募集し、その中から選ばれた20人で読み上げる内容を考えます。実はこの平和への誓い、石川アナも2008年に選ばれ参加していました。当時石川アナが書いた内容は…。
石川みなみアナウンサー
「祖父が被爆者で、この祖父のことを作文に書きました」
当時、24歳だった石川アナ祖父、與市(よいち)さん。このとき、陸軍を除隊し、現在の廿日市市に住んでいました。
(石川みなみアナの作文より)
『祖父は被爆者です。原爆投下後、知り合いを探しに広島市内に入り、二次被爆をしました』
『かたきをとってやるという気持ちでいっぱいだったそうです』
惨状を目の当たりにした強い怒り。優しかった祖父の初めて知る一面でした。
石川みなみアナウンサーの父
「あまり戦争のことを話したがらなかったんですが、この時はとてもうれしそうに話をしていたのを覚えています。かわいい孫が関心を持ってくれたことがすごく嬉しかったんだと思いますね」
石川みなみアナウンサー
「私もこの平和の思いというのをつなげていかなきゃいけないなというのを改めて感じました」
今年も8月6日に読み上げられる平和への誓い。すでにその内容は、今年選ばれた20人の児童たちで話し合っていました。
広島市立段原小学校 松重純怜さん(12)
「想像だけで伝えようとしたら違うこともあるかもしれないから直接聞いたほうがいい」
戦争の記憶と思いを正しく伝えていくことの大切さを話す、松重純怜さん。
松重さんの曾祖父は、原爆が投下された直後の広島市の様子を写真におさめていました。その写真は、“トラックで郊外に搬送される負傷者”というタイトルで、広島平和記念資料館に展示されています。カメラを向けることに抵抗を感じながらも、記録に残すためにシャッターを切ったといいます。
広島市立段原小学校 松重純怜さん(12)
「すごい事態だったのに、頑張って撮ったっていうのは勇気があるし、今に伝えてくださっているからとてもありがたいことだなと思いました」
曾祖父の写真を見た松重さんは“もっと戦争のことを知らなければ”と思うようになったといいます。
石川みなみアナウンサー
「松重さん自身はこれからどういうふうに伝えていきたいですか」
松重純怜さん
「本当に戦争は怖いものだったんだよっていうのを改めて思ってもらえるように、私もいろんなことを学んで伝えていきたいです」
広島の子どもたちがつないできた平和への思い。今年も平和記念式典で読み上げられます。