難病と闘う22歳 絶望から救ったバスケ
足が動かなくても、笑顔でボールを追いかける。
22歳。ほたるさんの合言葉は。
立岡ほたるさん「“笑顔で明るく前向きに”」
高校時代のバドミントン部顧問・田中暁宏さん「おぉー!マジか!凄いところで花開きましたね」
立岡ほたるさん。車いすバスケと出会ってわずか4年で、25歳以下の女子日本代表選手に。
その一方で、いまも難病と闘っています。「多発性硬化症」。運動障害や感覚障害を引き起こす進行性の病。
ほたるさん「私の場合、事故でもないし怪我でもないし。その矛先というか当たってしまったのが両親と妹だったんで、めっちゃつらい思いさせてますよ。それこそ物投げたりとかしてますし」
つらい経験をしてきましたが、いつも笑顔を絶やしません。ほたるさんを家族も笑顔で支えます。
体の不調を感じたのは、16歳の時。大好きなバドミントンの大会直前でした。
ほたるさん「なんか急におなか痛くなって、入院して3日くらいたってから歩けなくなっちゃって。一生寝てやるって。一生親のスネかじって家でぐうたらしようって」
絶望の中、軽い気持ちで訪ねた車いすバスケチーム。
ほたるさん「苦手バスケ。大っ嫌いだった。体育館に行ったら、見学のつもりで行ったのに急に(競技用)車いすに乗せられて、ボール渡されて」
“大嫌い”は“大好き”に。
ほたるさん「今度こそ。ナイスディフェンス!」
いつの間にか夢中になっている自分に気づきました。
鳥取県の実家から離れ、兵庫県の専門学校に通うほたるさん。一人暮らしも、もう4年になります。
ほたるさん「こんな感じ。背もたれは絶対いるから」
22歳。やりたいことは山ほどあります。
ほたるさん「障害者が入るお風呂と思えんお風呂でしょ。私もびっくりしたもん最初見たとき。紙おむつ。ずっと24時間つけっぱなし」
進行性の病との闘い…
ほたるさん「だいぶ状態良かったですよね、私バスケ始めた時。(杖を使えば)歩けてたんですよ。まあ仕方ない、こればっかりは」
この日向かったのは、母校の高校。顧問の先生にいまの自分を報告。
田中さん「すごい選手になっとるって…」
ほたるさん「アルバム、日本代表の。U25だけどな」
田中さん「おぉー!マジか!すばらしい~。楽しかろう~」
ほたるさん「うんめっちゃ楽しかった」
当時の自分と同じ年代の後輩へ。
ほたるさん「障害を負ったことで人生が180度変わりました。そして絶望しました。でも障害者になって、よかったことってたくさんあります。やっぱり車いすバスケットボールに出会えたこと」
ほたるさんは、この春、専門学校を卒業。岡山県の企業に就職することを決めました。
車いすバスケの挑戦も続きます。
ほたるさん「いまは楽しい。いろいろあったけど、でもそれも含めてもっと生きたいなって。だから治療も頑張るし、バスケも頑張るし。自分らしく、笑顔で明るく前向きに。合言葉通りに生きんとなぁって」
※こちらの「ほたるの光~私の…逆転シュート~」は、日本海テレビで制作したものをリメイク。4月12日、日曜深夜のNNNドキュメントでフルバージョンを放送いたしました。
【the SOCIAL×NNNドキュメントより】