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支えだったのは「とにかく1人ではない」 石川・七尾の商店街を支援 【311東北から能登へ】

2024年3月9日 10:22
支えだったのは「とにかく1人ではない」 石川・七尾の商店街を支援 【311東北から能登へ】
宮城県南三陸町で水産加工会社を営む三浦洋昭さん(64)は、東日本大震災で自宅と会社が津波で全壊した。絶望の中、全国の商店街から支援を受けて、震災のおよそ1ヶ月後、避難所の一画を借りて「福興市(ふっこういち)」を開催した。13年前に受けた感謝の想いを、今度は能登半島地震で被災した石川県へ繋ごうと動いている。

■全国からの支援が「大きな支えになった」

取材した2024年2月、三浦さんは南三陸にある工場で梱包作業を行っていた。詰めていたのは、「復興マルシェ」をはじめた石川県七尾市の一本杉通り商店街へ発送する荷物だ。

宮城・南三陸町の三浦洋昭さん
「震災後、商売を始める際に全国の商店街の方々からご支援いただいて、最初の『福興市』を始めた経緯がありました。大変大きな支えになったので、私たちも少しでも七尾市の商店街立ち上げに力を貸せたらなと」
「(能登の方たちが)どういう心境でいるのかが、手に取るようにわかる。手伝いをして、その輪が広がっていく…。それが自分たちの時も大きな力になった」

■震災を経験した自分が能登に伝えたいこと

宮城・南三陸町の三浦洋昭さん
「最初はみんな1人で悩んでいたと思う。イベントを通して、みんなで立ち上がって話し合いをしながら進めると、その中で悩みとか課題とか、みんなで共有することによって大きな力になっていった」

「みんなで集まって色々な悩みを話し合うことが、“精神的な大きな支え”になっていくと思う」

「その輪を拡大しながらその想いを持った人たちの輪も広がりながら、七尾市、被災地全体の復興に立ち向かう大きな原動力になっていくと思います」

■「銀行からの借金どうしたら」みんなで頭抱え…

―――心に残った言葉は何かあるか

「“一人じゃないよ”というのがありましたね。最初はどうしても、『これからどうしたらいいんだ』とか、『銀行からの借金どうやって返したらいいのか』とか、経営者だと出てくるんですよ」

「近くに同じような境遇のメンバーがたくさんいて、そういった意味では“みんなで頑張る”というのが
開き直って頑張ったことでスタートできたので」

「とにかく1人ではない。みんなで頑張ろうということが、私にとって大きな支えになった」

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