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【全文】沖縄慰霊の日「平和の詩」朗読の高校生 ~「怒り」から「祈り」へ~

2024年6月23日 13:41
【全文】沖縄慰霊の日「平和の詩」朗読の高校生 ~「怒り」から「祈り」へ~

23日は、79年前の沖縄戦の犠牲者を悼む「沖縄慰霊の日」です。糸満市で行われた「沖縄全戦没者追悼式」では、離島の宮古島の男子高校生が平和への祈りを詩に込めて朗読しました。詩を書いたきっかけは、いまも世界の各地で続く戦争への「怒り」でした。

今年、「平和の詩」を朗読したのは、沖縄県宮古島市在住で、県立宮古高校3年の仲間友佑さん(18)です。

祖父母が戦後生まれで、身近な人から戦争体験を聞くような機会はなかったという仲間さん。幼い頃、沖縄戦はずっと昔のことで、どこか人ごとのように感じられたそうです。

しかし、ここ数年、ニュースやドキュメンタリー番組を通じて、ウクライナやパレスチナ自治区ガザ地区など、世界各地で続く戦争の実相を知るにつれ、湧き起こってきた「怒り」の感情が、仲間さんの目を沖縄戦に向けさせたといいます。

「平和を祈り続けた人々の思いを踏みにじるような行為が、いまだに世界には、あるんだ」

およそ1週間で書き上げた「これから」と題した「平和の詩」で、仲間さんは沖縄戦で失われた無数の命に思いをはせるとともに、生き延びた命の尊さや、戦後に受け継がれてきた平和への祈りに触れました。

世界の現状への「怒り」で書き始めた詩でしたが、「平和のために何ができるのか」という自らへの問いかけや、人々の祈りを受け継ぐ誓いなど、未来への決意や希望のようなものもタイトルや本文に込めることができたといいます。

「祈りをつなぐとか、願い続けるという、本当に微力かもしれないことが、世界の平和につながる大きな一歩だと思う」

「平和の詩」は毎年、沖縄県内の小中学生と高校生による応募作品から選ばれ、今年は879点の中から仲間さんの詩が選ばれました。

■平和の詩 全文

「これから」

短い命を知ってか知らずか
蝉が懸命に鳴いている
冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ

あの日から七十九年の月日が
流れたという
今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ
それだけの時が
流れたというのに

あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った
大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった
泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった
誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る

心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ
微かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも失くしてしまいそうな
深い深い奥底で
懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋ぎ留めた
両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて

心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように
思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた

僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない
僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている

人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた

それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繋ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて

今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛みしめながら