【ドキュメント】「信じられない…無念」能登半島地震から1週間 積雪10cm超…救助活動も難航 被害の全容いまだわからず
8日、石川・穴水町で話を聞いたのは、寺本直之さん(52)です。
寺本直之さん
「信じられないというか、まだ全然そういう亡くなったって思わないから。まだ、1週間くらいしか経っていないような状態のなかで」
寺本さんは元日、仕事がありこの町にある妻の実家に帰るのが一人遅れたのです。妻の実家は大地震で崩れた土砂にのみこまれ、7日までに妻と4人の子どもが亡くなりました。
最初に寺本さんに出会ったのは、6日でした。
寺本直之さん
「まだ見つかっていませんけど、生きていてほしいんです。みんな生きていてほしいんです。なんで、1日に地震でこんなことされないといけないのかなって」
この時、すでに二男・駿希さんの死亡を確認。残る家族の無事を願っていました。
翌日も、捜索現場には寺本さんの姿がありました。この日の捜索で、妻・弘美さん(53)、長男・琉聖さん(24)、三男・京弥さん(19)、長女・美緒寧さん(15)も見つかりました。妻の両親、妻の弟の家族3人と合わせて、大切な10人を失ったのです。
寺本直之さん
「琢磨(おい)もいない、京弥(三男)もいない、美緒寧(長女)もいない、昨日は駿希(二男)もいないと、なんなんですかこれ。なんで私がこんなことにならないといけないのか」
全員が見つかってから一夜。8日、明かしてくれたのは――
寺本直之さん
「合格したらまた3月にディズニー行きたいねといってたんです、本当は」
長女・美緒寧さんの卒業祝いとして、“家族でまたディズニーに行こう”と話していたといいます。
寺本直之さん
「それが果たせないというか、それができない無念さというか、私もそうですけど、美緒寧自身が一番悔やんでいると思うんですよ」
「これからまたあいつらのために頑張らなって思うので…頑張ってやります。みんなにありがとうと言いたいです。いろんな思い出を作ってくれてありがとうと言いたいですね」
すぐ近くの別の住宅からは8日、連絡がとれなくなっていた2人が見つかりました。
能登半島を襲った最大震度7の地震から1週間。石川県では8日午後2時時点で168人が亡くなり、0歳から101歳までの323人の安否が分かっていません。
そのうち、281人もの安否が分かっていない輪島市。8日は、雪に見舞われました。
降りしきる雪のなか、取材班は輪島市の観光名所・朝市通りへ向かいました。朝市通りでは、大規模な火災が起きて、店舗や住宅など約200棟以上が焼けたとみられています。
その現場には、8日も安否不明者を探す多くの救助隊の姿がありました。その傍らにいたのは、何かを祈るように手を合わせる女性。60年以上もの付き合いのある、友人の母親の所在が分からないままだといいます。女性の見つめる先は、焼け焦げ、がれきとなった住宅がありました。
知人が安否不明の女性
「私の同級生(の母親)で65年お世話になった方なんです。私の親代わりみたいな人やったんです。ずっと行方不明のままだったので、歩けなかったので」
あたりが暗くなっても救助隊の作業は続き、女性によると、友人の母親の可能性がある遺体が見つかったといいます。
知人が安否不明の女性
「(私の同級生の母親は)昨日、誕生日でした、95歳の。昨日、行ってみたんですけど、あの状態だったから難しいかなと。みなさん調べてくださったんで、ありがたいです」
7日から積もり始めた雪で、8日には積雪が10cmを超えたところもある被災地。地震の影響によりところどころで道路が陥没していますが、雪が積もっている影響で道路のどこが陥没しているかまったく分かりませんでした。
珠洲市では吹雪のなか、自衛隊の協力のもと、持病がある患者を医療体制が整っている別の病院に搬送していました。
静岡から派遣された看護師
「こういうミッション(別病院へ搬送)が必要になるだろうと。かなり早い段階から計画していました。東日本(大震災)も同じようなミッションがあったので、教訓を生かさせてもらっている」
珠洲市を襲ったのは、地震だけでなく――
珠洲市の住民
「普通の簡単なあれ(格好)で逃げ出てきたから。まさかこんな津波も来ると思わなかったから」
能登町のドライブレコーダーが地震発生時の映像をとらえていました。積んであったタイヤが崩れ落ち、大きく揺れる電線。その後、押し寄せた津波。みるみるうちに水かさが増し、街を覆いました。
5日、雪が積もる前――
記者
「がれきで道が塞がっています。そして海沿いですが、建物が流されています。水につかっています」
辺りにはその爪痕が残されていました。
自宅が津波の被害にあったという男性。中学2年生と小学6年生、そして小学2年生の孫を連れ、車で避難しようとしたそのとき――
津波に巻き込まれた坂元親夫さん(60代)
「(津波が)一気に入ってきた。1人の孫が見えなくて慌てて捜したらたまたま手に掛かった。これだと思って慌てて引き上げて人工呼吸して、もう意識がない状態、口から泡を吹いて、ほっぺをたたいて『大丈夫か、大丈夫か』って人工呼吸したら目が開いたので『良かった、助かった』と。九死に一生です、孫の命を助ける一心で」
自宅を襲った津波の高さは――
津波に巻き込まれた坂元親夫さん(60代)
「これですね、ここまで来てます」
男性の身長は約165cm。残された痕跡からすると、(男性が指し示した場所は)地面から2m以上に達していたように見えます。この地域の海抜は1.6m。津波は4mに迫る高さだった可能性があります。
しかし、今回の地震で観測された津波は1.2m。いったいなぜなのか?
実は、津波の観測点であることが起きていました。
航空写真で珠洲市にある地震前の津波観測点の海岸線を見てみると、地震後に周辺が陸地になっていることがわかります。この一帯では地震直後に大規模な地殻変動が発生。その影響で地盤が隆起し、海底が露出しました。
この観測点では、電波を海面に当てることで津波の高さを測定していましたが、地盤が隆起し陸地になったため、津波を測れなくなってしまったのです。
国土地理院によると、こうした地盤の隆起は主に能登半島北西部の沿岸で起きているといいます。
6日、その北西部に向かうと、かつて海だったところが新たな砂浜になっていました。
記者
「波消しブロックの前に水は今ありません。だいぶ離れたところに波打ち際があります」
浅瀬が隆起したことで海岸線までが約250m広がったといいます。東京大学地震研究所が調査したところ、3.9mほどの隆起が確認されたということです。
気象庁は輪島港に代わりとなる観測機器を設置。8日から能登半島の北側の地域について津波の観測を再開しています。
地震から一週間。避難を余儀なくされている人たちには新たな課題も出てきています。
――今、これは何をしている?
「消毒」
「コロナとか出ているから」
「熱湯消毒」
女性たちがしていたのは、食器の消毒作業。約120人が身を寄せている輪島市のある避難所では、長引く避難生活によって体調不良を訴える人や感染症も増えているといいます。
避難所を統括 喜田充さん
「(避難所の)中には今、101歳の方もいるけど、たまたま今日具合が悪くなって救急車で病院に運ばれました。やっぱり気疲れ・緊張したり、こんな狭い空間の中でじっと1週間もいたら、色んな面で精神的・肉体的にもだんだん参っている方がいるかなと思う」
NNNのカメラは輪島市内の別の集落へ向かいました。
記者
「輪島市稲屋町の集落です。あたりを見渡してみると、ほとんどの家屋が倒壊してしまっています。さらに、雪が積もった影響で、さらなる倒壊の進行が心配されます」
その中には、1つのビニールハウスがありました。中に入ってみると、ストーブや毛布を持ち寄り、臨時の避難所として約15人が避難生活をしていました。
避難してきた人
「当然、避難所に行った人もいるけど、避難所の状況を聞いたらもう山積み。(人が)あふれて満杯。毛布も足りないし、そういう状況も聞いたので」
◇
最大震度7を観測した1日からこれまでに震度1以上の地震を1200回以上観測しているという能登半島地震。気象庁は、今後1か月程度は最大震度5強程度以上の地震に注意して欲しいとしています。
また、今週は雨や雪の降りやすい天気で土砂崩れや雪による住宅の倒壊にも注意が必要です。
(1月8日放送『news zero』より)