戦後76年 絵本が伝える『柞田飛行場』
太平洋戦争末期、香川・観音寺市に海軍の飛行場通称『柞田飛行場』がつくられました。戦後76年を迎える今年風化する記憶を伝えようと、観音寺市の市民団体によって絵本がつくられました。
──軍隊のための飛行場ができるんじゃと。立ち退くように言われたんよ。
──この柞田に飛行場だと。
──お母ちゃん、うちはどこに行くん?行くとこあるん?
戦争に翻弄(ほんろう)される人々の姿を描いた絵本『柞田飛行場』。舞台は太平洋戦争末期、香川・観音寺市につくられた海軍の飛行場、通称「柞田飛行場」です。
終戦の5か月前に観音寺海軍航空隊が設置され、建設中の滑走路で特攻訓練も行われました。全長1.5キロもの滑走路を人々が土砂を運んでつくり、立ち退きを強いられたおよそ350戸の住民たちは、疲労がたたり亡くなる人もいたといいます。
人々の苦しみを絵本にしたのは、観音寺市の市民団体『愛と心を語り継ぐ会』。代表の田中敬子さんは、地元の柞田幼稚園で園長を務めるなど、長年、子どもたちと関わり、平和の大切さを実感してきました。
田中敬子会長「今の子どもたちが大事。『あなたたちが未来をつくるのよ』みたいな気持ちがずっとありました」
絵本は体験者の実話をもとに、児童文学作家のすぎもとれいこさんが物語をつくり、絵は画家の真鍋茂明さんが手がけました。
すぎもとれいこさん「ほんとに弱者の戦争ですよね、ここでもみんな苦しんだ、そこに焦点を持っていって」
真鍋茂明さん「私たちのちょっと上の先輩が過ごした年代あたりを考えればいいので、昔の記憶をたどったり」
絵本の終盤、衝撃的な事実が明かされます。
──八月十五日、日本は負けて戦争は終わりました。この日、柞田飛行場の滑走路が完成しました。
完成したものの、実際には使われることなく敗戦となったのです。
多くの犠牲だけを残した戦争を繰り返さないでほしいと、団体では、観音寺市のすべての保育所や学校など50か所に200冊を寄贈しました。
田中敬子会長「私も私の子どもたちも今の子どもたちも戦争経験はないけれども、身近に悲惨さや残酷さを感じたり、やがての平和を考えるきっかけになればいいのにな」
戦後76年となる今年。あらためて絵本は平和の尊さを伝えます。