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東日本大震災・被災者に寄り添う両陛下

2021年3月22日 16:51
東日本大震災・被災者に寄り添う両陛下

ひとつの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。発生から10年を迎えた東日本大震災。当時、天皇陛下は皇太子として被災地を見舞われました。膝を折り、手を握り、被災者に寄り添う両陛下について、長年皇室取材に携わってきた日本テレビ客員解説委員の井上茂男さんとともに振り返ります。


■靴のまま板の間に正座して

――井上さんこちらはどのような場面なのでしょうか。

【2011年4月、味の素スタジアムに被災者を見舞われる両陛下 提供:読売新聞社】

2011年の4月6日、皇太子ご夫妻時代の天皇皇后両陛下が、東京の味の素スタジアムで福島から避難してきた人たちを見舞われたシーンです。

震災からほぼ1か月。両陛下のお見舞いはここから始まりました。皇后雅子さまは病気療養中で、公的な活動で皇居以外の場所にお出かけになるのは半年ぶりのことでした。

私も現場で取材しておりましたけれども、体調を押して出かけられた皇后さまが、陛下と二人で、ふわっとした温かさ、優しさで被災した人たちを包み込み、予定時間を大幅に超えて、ひたむきに話を聞き心を寄せられていたことが印象に残っています。

このとき、驚いたのは、天皇皇后両陛下が、靴を履き、ショートブーツを履いたまま、正座されていたことでした。私は、その様子を見出しに取って、当時連載していたコラムに「靴のまま正座されたお見舞い」という記事を書きました。

自分でも靴を履いたまま正座をしてみましたけれども、足は痛いし、すぐにしびれます。それをお二人は全く感じさせずにお見舞いを続けられたんです。終わって話を聞いた被災者の方は「こちらは畳の上なのに、床に正座をされて…。親身に話を聞いてくださった」と、喜んでいたことを思い出します。


■「何もなかった被災地」、予定になかった黙礼

――つらい気持ちの中にいらっしゃる被災した方々は、陛下との触れ合いでほっとしたでしょうね。その後両陛下はどのように被災地を訪問されたのでしょうか。

被災地に入られたのは、6月4日の宮城県からでした。自衛隊機で仙台空港に降り、最初に訪ねたのが仙台空港のある岩沼市でした。家々が流され、電柱が折れ曲がった場所に立って、お二人は黙礼されました。ご案内した当時の井口経明市長が「ここで42人が亡くなりました」と説明しますと、天皇陛下が予定になかった黙礼を希望されたそうです。

【両陛下に被害状況を説明する井口経明前岩沼市長】

私も現地で取材しておりましたけれども、津波が押し寄せた時刻で止まった時計、ことごとくえぐられたお墓、そして、庭に植えられていた花なのでしょうか、季節を迎えて赤い花をつけていて、その向こうに惨状が広がっていて言葉がありませんでした。

後に天皇陛下は、仙台空港に着陸する際にご覧になった光景について大学時代の後輩に「とにかく何もなかった」と話されたそうです。この時感じられた思いを、翌年3月フランスで行われた「第6回世界水フォーラム」にビデオメッセージの形で寄せ、発信されています。

[ビデオ]
(陛下)「飛行機が降下を開始するにつれて目の前に拡がる光景に私は思わず息をのみました。沖の防波堤は壊れ、海岸部の松並木はことごとく倒され、街や家があったと思われるところは更地になっていたのです」

――現地に入られたからこそのお言葉は、世界の方にも伝わったものがあったのではないでしょうか。

そうですね。陛下はご自分の体験を踏まえて被災地の実情と災害に学ぶ大切さを世界に発信されたんです。陛下ならではの発信だと思います。私は、お二人は飛行機からどのような光景をご覧になったのかと思いまして、8日後、読売新聞社のジェット機に乗り込んで“追体験”を試みました。津波が襲った地域は灰褐色に色が変わっているんですね。ですが、壊れた車のフロントガラスあるいは流された家の窓ガラスが陽光を浴びてキラキラと光る。これが今も記憶に強く残っています。

被災地を「面」で捉えることができ、飛行機でよかったのではないでしょうか。


■お見舞いの日程に隠された被災地への配慮

――その後も両陛下は被災地を回られていますよね。

7月26日に福島県、8月5日に岩手県を見舞われました。皇后さまも被災地訪問には必ず同行されて、時には目に涙を浮かべながら被災者の肩に手を置いて話をされたり、あるいはお年寄りの手を取られたり、また、写真の希望にも気さくに応じられていました。皇后さまならではの柔らかい包み込みだったと思います。


――そうですね。被災者にとって皇后さまが寄り添われるということ自体が本当に心強かったでしょうね。被災地には、上皇ご夫妻も見舞われましたね。

上皇ご夫妻は、3月30日の東京武道館から5月11日の福島県まで、7週連続お見舞いをされました。今の両陛下の被災地入りは6月4日からです。テンポが少し遅いように見えますが、当時取材したところでは、陛下は、何より上皇さまのお見舞いを最優先にされ、連続して警備に負担をかけてはいけないというような思いもあって、上皇ご夫妻のお見舞いが一区切りしてから被災地に入っていかれたということです。日程が重ならないように配慮されていることがうかがえます。


―――そうですね。こうやって見てみますとより長い期間にわたって上皇ご夫妻そして、天皇皇后両陛下が現地に入られたということがよくわかりますよね。

そうですね。天皇皇后両陛下を岩沼でご案内した井口さんに3月11日の夕方に電話で話を少しうかがいました。テレビで陛下のお言葉を聞いたそうです。当時、岩沼の被害はほとんど報道されず、それが両陛下のお見舞いで岩沼という町が注目されたということを非常に喜んでいました。雅子さまから「寒い時期から今まで大変でしたね」と声を掛けられ元気を頂いたと振り返っていました。改めて両陛下のお見舞いの意味を感じます。

そして、「インフラの復興は進んでいるんだけれども、心の復興はまだこれからだ」と話した井口さんの言葉が心に残っています。


――10年という歳月を節目として伝えてしまうことも多いですけれども、やはり陛下のお言葉にもあったように引き続き心を寄せていく大切さがよくわかりますね。以上、「皇室 a Moment」でした。


【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。