英国フィリップ殿下 皇室との交流(下)
99歳で亡くなった英国のエリザベス女王の夫君、エディンバラ公フィリップ殿下の葬儀が、17日、ロンドン近郊のウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で行われました。慎み深く女王に寄り添って73年余り。日本の皇室と親交の深い人でした。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男)
【皇室コラム】「皇室 その時そこにエピソードが」第7回「フィリップ殿下と皇室の交流」(下)
■訪日7回 降伏文書調印の戦艦「ミズーリ号」の護衛も
エリザベス女王が来日したのは1975(昭和50)年5月の一度ですが、フィリップ殿下の来日は、昭和天皇の「大喪の礼」や、当時の世界野生生物基金(WWF=現・世界自然保護基金)総裁などとして計7回に上ります。皇室はその度に会見や宮中午餐(さん)、お茶などでもてなし、友好親善を深めてきました。
独身時代にも軍務で一度ありました。終戦直後の1945(昭和20)年9月2日、東京湾内の米戦艦「ミズーリ号」で行われた連合国に対する日本の降伏文書調印式の時です。この時、殿下は英駆逐艦「ウェルプ」の先任士官として東京湾でミズーリ号の護衛任務に就き、日本の転換点に関わっていたのです。
■浩宮さまの歓待にお礼を述べた昭和天皇
祖父、昭和天皇の顔も『昭和天皇実録』に見えます。1984(昭和59)年10月、昭和天皇は来日した殿下に、英国留学中の浩宮さま(天皇陛下)が王室の一員のように迎えられていることにお礼を述べています。その年の6月、ロンドン・サミットに出席した中曽根康弘首相が殿下から「浩宮殿下は英王室ファミリーの一員」と言われたという記事がありますから、そうした話が伝わってのお礼だったかもしれません。
1983(昭和58)年から2年間の英国留学中、天皇陛下は女王や殿下と交流を深められました。陛下の著書『テムズとともに』(学習院教養新書)によれば、ロンドン到着翌日、女王と殿下が臨席した英国議会の開会式を見学し、英国の伝統を実感されました。翌84年9月には、スコットランドのバルモラルで女王夫妻と数日を過ごされました。宮内庁によると殿下は馬車の手綱を引いて広大な敷地を案内し、動植物保護や植物管理の話をしてくれたそうです。
日本テレビのアーカイブスで映像を探すと、その2か月前に、陛下がフィリップ殿下の案内でバルモラルの野生動物保護区を訪問された時の映像がありました。夫妻の二男のアンドリュー王子は陛下と同じ年で、誕生日は4日違い。保護区を案内する殿下の眼差しは我が子を見るようでした。
■女王が初めて後ろを進んだ葬列
4月17日夜。葬儀の様子をBBCの中継で見ました。青空の下、殿下の紋章旗で覆われた棺が車で進んでいきます。その後ろからチャールズ皇太子らが徒歩で、さらに後ろから車に乗った女王が続きます。「女王が初めて後ろを行きます」。女王を後ろから支えていた夫君がもういないことを、中継のアナウンスが改めて認識させます。
礼拝が始まり司祭が讃えます。「女王にゆるぎない忠誠を尽くしたこと、国と連邦に奉仕したことに、私たちは感動させられてきました」。喪服姿の女王が棺の前の席にひとり座り、悲しみに耐えています。胸に迫るシーンでした。
礼拝堂の上部に、英国最高のガーター勲章を贈られた人たちの紋章旗が並んでいます。中継映像が礼拝堂内を広くとらえるたび、朱色に金の菊章を配した日本の皇室旗が映ります。明治、大正、昭和と歴代の天皇に贈られ、英国との戦争が始まって昭和天皇の勲章は剥奪され、戦後、再び許された勲章です。紋章旗もひきずり降ろされましたが、昭和天皇の訪英前に再び掲げられました。1998(平成10)年には上皇さまにも贈られています。非キリスト教国の君主は日本だけです。コロナ禍で参列者が家族に限られた葬儀でしたが、皇室旗が日本の弔意を表しているようでした。
■「私の力であり支え」 女王の感謝
女王のスピーチは、自分たちを言う時に決まって「マイ・ハズバンド・アンド・アイ(夫と私は)」でした。国賓として来日した時のスピーチも日本語訳は「エディンバラ公と私は」でした。BBCの評伝によれば、女王は、金婚式を迎えた時の行事で「長年の間、ひとえに私の力と支えであり続けてくれました。本人は決して主張しないし、私たちは決してその全容を知り得ないでしょうが、それほど多大な恩義を彼から受けているのです」と夫への感謝を述べています。女王は常に後ろで寄り添う夫をスピーチでは先にして感謝を示していたのでしょう。
失言や歯に衣着せぬ物言いでたびたび非難を浴びた殿下でしたが、女王が国民の支持を得ることに心を配り、インターネットでの情報発信に熱心だったそうです。ダイアナ元妃がパリで事故死した時、王室は批判にさらされました。事故は異教徒との結婚を嫌う殿下が仕組んだとの“陰謀説”まで出ましたが、ダイアナ元妃が離婚前にチャールズ皇太子との不仲を殿下に相談し、「親愛なるパパへ、感謝しています」と親書を書き送っていたエピソードもありました。
葬儀の日、ウィンザー城の前で男性が取材に「彼は裏方として王室をまとめていました」と語っていました。英国民は殿下の役割を知っていたのでしょう。コロナ禍の中、王室が集まらないでと言ってもウィンザー城の前に多くの人が集っていたことが、それを物語っているように思いました。
■東京に2か所あるゆかりの木
フィリップ殿下との接点を調べていて、殿下ゆかりの木が東京に2本あることを知りました。一本は、迎賓館の庭のカシ。国賓として来日した折、英国のウィンザー公園から取り寄せた若木を女王と記念植樹した木です。もう一本は、1982(昭和57)年に来日した時、皇居・東御苑の「緑の泉」付近に植樹したエゴノキ。初夏の頃、釣り鐘状の白い花をつける万葉植物です。コロナ禍で外出はままなりませんが、いつか訪ねて皇室と関係が深かった殿下をしのびたいと思います。
(終)
(冒頭の動画は、フィリップ殿下の案内で野生動物保護区を訪れる天皇陛下<1984年7月16日 イギリス・バルモラル>)
【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)
日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚や、雅子さまの病気、愛子さまの成長を取材した。著書に『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。