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英国フィリップ殿下 皇室との交流(上)

2021年4月24日 11:02
英国フィリップ殿下 皇室との交流(上)

99歳で亡くなった英国のエリザベス女王の夫君、エディンバラ公フィリップ殿下の葬儀が、17日、ロンドン近郊のウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で行われました。慎み深く女王に寄り添って73年余り。日本の皇室と親交の深い人でした。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男)

【皇室コラム】「皇室 その時そこにエピソードが」第7回「フィリップ殿下と皇室の交流」(上)


■即位60周年午餐(さん)会 印象的だった表情

2012(平成24)年5月18日。エリザベス女王の即位60周年を祝う午餐(さん)会が、ウィンザー城の聖ジョージ・ホールで各国の君主らが出席して開かれました。3か月前に心臓手術を受けた上皇さまも上皇后さまと出席されました。女王は古い友だちを迎えてうれしそうで、数歩後ろで遠来の客を迎えるフィリップ殿下が、握手の手を控え目に上皇さまに差し出した時の表情が印象的でした。いぶし銀のような――そんな言葉が思い浮かぶ迎え方でした。

英王室と上皇さまとの交流は、1953(昭和28)年6月に行われた女王の戴冠式に始まります。上皇さまは19歳。戴冠式に先だって女王夫妻に挨拶し、戴冠式の数日後には女王主催の園遊会やダービー観戦でも交流されています。それから60年、英国訪問は非公式の立ち寄りを含めて7回に上ります。ウェールズ城に招かれて女王と乗馬を楽しんだり、一緒にアスコット競馬を観戦して交流されたこともありました。1981(昭和56)年にはチャールズ皇太子の結婚式にも出席されています。

■女王の“ひと目ぼれ”で始まった恋

女王とフィリップ殿下は、女王13歳の1939(昭和14)年7月に出会いました。殿下の父はギリシャ国王の弟、母はビクトリア女王の二女の孫でドイツ貴族出身。2人は4代前のビクトリア女王でつながる“またまた従兄妹”の間柄です。殿下はクーデターでギリシャを離れ、英ダートマスの海軍兵学校で学んでいました。女王が父ジョージ6世と一家で兵学校を訪ねた折、接待役を務めたのが殿下です。女王の“ひと目ぼれ”で交際が始まり、1947(昭和22)年11月に結婚式を挙げました。

殿下は婚約前にイギリス国籍を取得し、「フィリップ・マウントバッテン」と母方のマウントバッテン姓を名乗ります。そして結婚にあたって国王ジョージ6世から「ヒズ・ロイヤル・ハイネス(殿下)」の称号と、「エディンバラ公爵」などの爵位が贈られました。国王の妻には国王と同じ「陛下」の称号が贈られますが、女王の夫のフィリップ殿下は生涯、「殿下」でした。

■晩餐(さん)会を欠席して会いに来た人

1971(昭和46)年9月。昭和天皇が香淳皇后とヨーロッパを歴訪します。天皇初の外国訪問です。この時の英国訪問で殿下のエピソードがあります。バッキンガム宮殿で女王主催の公式晩餐(さん)会が開かれた時です。先の戦争での日本軍の行為に抗議して晩
さん会を欠席した人がいました。ルイス・マウントバッテン伯爵、フィリップ殿下の叔父です。

昭和天皇が植樹したスギが翌日には切り倒されるほど反日感情は厳しいものでした。伯爵は先の大戦中、ビルマ(現ミャンマー)戦線の総司令官を務め、日本軍の捕虜になった人たちの運動を象徴する存在でした。翌日、伯爵は昭和天皇を訪ねます。『昭和天皇実録』には、伯爵は俘虜(ふりょ)協会の会長であるため、世論に配慮して公式行事に出席しなかったと話したことが記されています。

1922(大正11)年4月、後に「王冠を賭けた恋」で退位することになるエドワード8世が皇太子として来日しました。その随員の中に伯爵がいました。

『昭和天皇実録』には随員のひとりとして昭和天皇に紹介されたことが記されています。旧知の伯爵のことについて、元宮内庁御用掛の真崎秀樹氏が興味深い証言をしています。「フィリップ殿下が説き伏せて、ご挨拶のために陛下の前に出たという話があります」(『宮中晩餐会 お言葉と答辞』)。その伯爵は1979(昭和54)年、IRA(アイルランド共和軍)暫定派が仕掛けた爆弾で暗殺され、昭和天皇は女王と殿下、遺族に弔意を伝えています。

■昭和天皇を動物園のパンダ舎に案内

殿下は800近い団体の総裁や後援者を務め、昭和天皇を訪問先で迎える機会もありました。ロンドン動物学協会への訪問では会長として出迎え、協会が運営するロンドン動物園のジャイアントパンダ舎へ案内しています。日本にパンダがやってきたのは翌年ですから、よほど珍しかったのでしょう。新聞報道によれば、昭和天皇は資料を集めて下調べし、パンダを前に立て続けに質問したそうです。

「かねてよりの訪はむ思ひのかなひたりけふはロンドンに大パンダみつ」。昭和天皇は歌にしていますから、印象深かったのでしょう。パンダのかわいい姿に殿下が重なる逸話です。

■交通ゼネストとぶつかった女王夫妻の来日

1975(昭和50)年5月、女王夫妻は国賓として来日します。昭和天皇の訪問のお返しでした。夫妻は東京や京都、伊勢などを5泊6日で回ります。東京では、国賓として初めてオープンカーでお堀端の1・9キロをパレードし、沿道で11万人が歓迎しました。今では考えられないことですが、春闘の「交通ゼネスト」で鉄道網が麻痺していました。一行は新幹線での移動をあきらめて飛行機で大阪入りし、帰りに名古屋から東京まで新幹線に乗っています。

外務省儀典長として接伴にあたった内田宏氏が「女王陛下訪日記」(『皇室』47号)で秘話を明かしています。パレードは警備上の理由で最後まで決まらず、女王から「何が起こっても自分が責任を取る。警備にそれほど自信がないのなら、訪日自体を見直さざるを得ない」という強い意向が伝えられて事態が動いたこと、飛行機での大阪入りは、「労働争議は純然たる国内問題。私どもが影響を与えるようなことをしてはならないと思います。日本政府の了承を得て、女王機で大阪まで行くことにしたい」という女王の考えで決まったそうです。新幹線の旅を楽しむ女王夫妻の笑顔の裏にそんな事情がありました。(「下」に続く)


(冒頭の動画は、エリザベス女王即位60周年記念午餐(さん)会で上皇ご夫妻を迎えるフィリップ殿下<2012年5月 イギリス・ウィンザー城>)


【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)
日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委
員。1957年生まれ。読売新聞の宮内庁担当として天皇皇后両陛
下のご結婚や、雅子さまの病気、愛子さまの成長を取材した。著書
に『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。