天皇ご一家と那須~リフレッシュと触れ合いの地~【皇室 a Moment】
ひとつの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。今回は、天皇ご一家が毎年、夏に静養される那須御用邸と、駅前などでの自然な触れ合いについて、日本テレビ客員解説員の井上茂男さんとスポットを当てます。
■暑さを気遣われ 今年は駅舎1階の日陰に
――写真はどちらも、天皇ご一家が駅前で出迎えの人たちと触れ合われているシーンですね。
栃木県の那須御用邸での静養に向かう途中、東北新幹線の那須塩原駅で出迎えの人たちに声をかけられている場面です。右側が2019年8月、左側が4年ぶりのご静養になった今年8月です。
4年前までは、歓迎の人たちは駅前広場の屋根のないところに整列して待ち構え、ご一家はそちらへ近寄って声をかけられていました。
――手が届いてしまいそうなほど近くで多くの方と触れ合われていたんですね。
今年は、歓迎の人たちが待つ場所が駅舎1階の日陰のスペースでした。“暑さ対策”と昨今の警備情勢からと思われましたが、両陛下が暑さの中で待つ人たちのことを心配され、この形になったと聞いて納得しました。
実際、天皇陛下は「暑い中ありがとうございます」と声をかけられていましたから、かなり暑さを気にされていたと思いました。それでこれまでよりカメラに近く、こんなやりとりを聞くことができました。
天皇陛下)「何年生ですか?」
保護者)「1年生です」
皇后さま)「そちらのお兄ちゃまは?」
少年)「6年生です」
天皇陛下)「6年生!夏休みはどうでした?」
少年)「いやあ、楽しかったです!」
天皇陛下)「まだ続きますね」
少年)「でもあと1週間しかない」
皇后さま)「あと1週間しかない」
愛子さま)「宿題もいっぱいあります?」
少年)「いやもうほとんど終わっちゃいました!」
天皇ご一家)「ああ!素晴らしい!!」
――こんなに近くで両陛下や愛子さまとお話しできたら、一生の記念になりますね。皆さまが目を合わせて話されていて、こうした機会を大切にされていることがわかります。
■築88年、天皇ご一家が使われる「附属邸」にはキツツキが壁に穴も…
那須御用邸は栃木県北部の那須町にあります。東北新幹線の那須塩原駅からは車で30分ほど、周辺には温泉街があり、大自然と温泉が魅力の御用邸です。ニュースでは「御用邸」と総称されますが、300メートル離れて「本邸」と「附属邸」があります。
この洋館が本邸で、1926(大正15)年、皇太子時代の昭和天皇の静養先として建てられました。昭和時代は昭和天皇と香淳皇后が、平成の途中からは上皇ご夫妻が使われてきました。
「附属邸」は1935(昭和10)年、上皇さまの誕生後に建てられました、今の天皇ご一家は、皇太子時代からこちらを利用していて、即位された後も「附属邸」を使われています。築88年の木造平屋建てで、驚くほど質素な造りです。
――御用邸と聞いて想像するよりずっとシンプルで、時代を感じさせる建物ですね。
昔の役場や学校と言われても納得するレトロ感があります。キツツキがすぐに壁に穴をあけ、補修、維持が大変と聞きました。
■星を眺めてテントで一晩を過ごした新婚時代
那須御用邸の魅力は敷地内の豊かな自然にあります。ご一家は8月21日から9月5日まで、途中天皇陛下が東京に戻られた日もありましたが、16日間滞在されました。到着した日には、御用邸の自然の中で取材に応じられました。
天皇陛下)「4年ぶりですね、4年ぶりに3人そろってこの自然豊かな那須の地に来ることができたこと大変うれしく思っております」
皇后さま)「今回もとても楽しみにして参りました。本当に今もいろいろな花が咲いていますし、自然の中で、いい空気の中でゆっくりできるのでとてもみんな大好きで」
愛子さま)「那須は本当に自然が豊かで空気もとてもきれいなので、ここでリフレッシュ?」
皇后さま)「体を動かすとか・・・」
愛子さま)「豊かな自然に触れながら、リフレッシュできればなと。そして大学も残り半年...? 残り半分。いろいろなことに取り組んでいけたらなと思っております」
さらに、陛下はこの時、ご結婚当時のエピソードも明かされました。
天皇陛下)「ちょうどこの辺りは星を眺めるのに良いところなんですね」「いつごろなのか、だいぶ前になるんですけれども、雅子とちょうどここの上の所にテントを張って、一晩過ごしたことがあるんですけれども。寝袋で」
記者)「え!?宮さま(愛子さま)は?」
皇后さま)「まだ生まれる前でした」
――当時のお2人を想像するとときめいてしまう、そんな素敵なエピソードですね。また両陛下の仲むつまじい様子も分かります。
両陛下は今年“結婚30年”を迎えられましたが、愛子さまが生まれる前は、お2人で那須連山の山々に登られていましたし、皇后さまが独身時代から乗っていた愛車カローラⅡを運転してドライブされるなど、那須の夏を満喫し、さまざまな思い出を作られてきました。
2001年に愛子さまが誕生すると、標高1230メートルの「沼原湿原」へ出かけ、陛下が生後8か月の愛子さまをベビーキャリーに乗せて、今で言う「イクメン」ぶりを見せられたり、「那須どうぶつ王国」で動物たちと触れ合ったり、3人で那須連山の登山をされたりしてきました。
■純真な心を持って…愛子さまの「お印」は那須に咲くゴヨウツツジ
愛子さまは那須御用邸と特別な結びつきがあります。愛子さまの「お印」であるゴヨウツツジです。「お印」は身の回りの品々につける印ですが、ゴヨウツツジは、5月に那須御用邸で白い花を咲かせます。両陛下はこの花がお好きで、純白の花のように純真な心を持って育ってほしい、という願いを込めて「お印」に選ばれました。
最初、「ゴヨウ」と聞いて「御用邸」の“ゴヨウ”を連想しましたが、枝の先に5枚の葉が輪のようにつくので、“5枚の葉っぱ”、「五葉」でした。
ご一家の様子がよくわかる歌があります。2017(平成29)年の歌会始で、「野」というお題で皇后さまが詠まれた歌です。
『那須の野を親子三人(みたり)で歩みつつ吾子(あこ)に教(をし)ふる秋の花の名」(2017年の歌会始 皇太子妃時代の皇后さまの歌)
ハギやオミナエシ、キキョウでしょうか…。この花は、あの花はと、愛子さまに名前を教えながら散策されている情景を詠まれた歌です。那須の記憶は愛子さまの成長につながるのでしょうね。
愛子さまは去年、成年を迎えての記者会見で「長所」を聞かれ、こんな那須でのエピソードを紹介されています。
「強いて申し上げるなら、『どこでも寝られるところ』でしょうか。以前、栃木県にある那須の御用邸に行き、その着いた晩に、縁側にあるソファーで寝てしまい、そのまま翌朝を迎えた、なんてこともございました」
――こうしたお話しを聞くと親しみがわきますし、那須は愛子さまにとって心からくつろげる場所なんでしょうね。
■2011年に公園として解放された北半分
一般の人が御用邸の自然に触れることが出来る森があります。2011(平成23)年5月、御用地の北半分の約570ヘクタールが宮内庁から環境省に移され、日光国立公園の「那須平成の森」として開園しました。
これは、上皇さまの「国民が自然に触れ合える場として活用してはどうか」という提案によるもので、上皇ご夫妻はその年にこの森を訪ねて散策されました。
――上皇さまも歩かれたのかと想像しながら、御用邸の自然を私たちも楽しめるというのはうれしいですね。
■昭和天皇は毎年2か月近く滞在、政府の決裁書類は那須に運ばれた
今は東北新幹線で東京から1時間の那須塩原駅ですが、昭和天皇の頃は、東北本線の黒磯駅が最寄り駅でした。原宿の「宮廷ホーム」から「お召し列車」に乗って当初は3時間、その後、速くなりましたが、2時間かかっていました。
2005(平成17)年9月には、上皇ご夫妻が、結婚前の黒田清子さんと、在来線の上野から黒磯まで、「お召し列車」の旅を久しぶりに楽しまれています。
JR黒磯駅には貴賓室がありまして、現在も残されています。
昭和天皇はこの那須を好み、毎年の夏、2か月近く滞在して植物調査にあたっていました。その間、政府の決済書類が東京から那須へ運ばれ、認証官任命式なども御用邸で行われていました。
腸の手術を経て、最後の静養となった1988(昭和63)年8月には、東京での「戦没者追悼式」のために政府専用のヘリコプターで往復しています。それが天皇として出席した最後の公式行事になりました。
■愛子さまの誕生で始まった触れ合い
那須塩原駅の触れ合いですが、昔から行われてきたわけではありません。ご結婚後しばらくは、両陛下は人々に手を振るとすぐ車に乗られていました。ところが2001年に愛子さまが生まれると、自然発生的に、愛子さまを抱いた両陛下が出迎えの人たちに声をかけられる機会が見られるようになりました。
その後、皇后さまが療養に入られ、また愛子さまが恥ずかしさを感じるようになって、再び駅前でのお声かけはなくなりました。
ご一家が、出迎えの人たちに近寄って、また交流されるようになったのは2016(平成28)年の夏からです。ちょうど愛子さまが両陛下の公務に同席されるようになった頃にあたります。
――愛子さまのご成長に合わせてという形で、昔から駅での交流が続いてきたわけではないんですね。
再び冒頭でご紹介した2019年の様子です。私も現地におりましたが、気温31度、両陛下は相手の目の高さに合わせてしゃがんだり、中腰になったりを繰り返し、汗をハンカチでぬぐいながら、多くの人と30分ほど触れ合われていました。印象深かったのは、しゃがんでいる眼鏡をかけた女子高校生とのやりとりです。
女子高校生)「『何年生ですか』という質問をいただいて、『高校3年生、受験生です』と話したら、『じゃあ娘、(愛子さま)と一緒ですね」と。1週間後に私もテストを控えていて、『私もです』と愛子さまが、すごい優しい笑顔で『一緒です、頑張りましょう」みたいな感じで言ってくれて」
――同年代の女の子との本当にほほえましいやりとりですね。
静養先の触れ合いは、このように堅苦しくなく、とても自然で、いい雰囲気です。今年は、厳しい警備で金属探知機も登場しましたが、ご一家は夏休みや宿題の話で子どもたちと積極的に触れ合われました。こうした触れ合いが自然な形で、長く続いてほしいと思います。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。