パラ閉会式「7本指」ピアノ演奏と未来・2
東京パラリンピックの閉会式で演奏された名曲「What a Wonderful World」。ピアノで演奏した西川悟平さんは、ジストニアを発症しながら演奏活動を続け、「7本指のピアニスト」と呼ばれています。今、伝えたいことを聞きました。
9月5日の東京パラリンピック閉会式で、最後に演奏された名曲「What a Wonderful World(この素晴らしき世界)」。この曲をピアノで演奏した西川悟平さん(46歳)は神経障害の「局所性ジストニア」と闘いながら、左手の指2本と右手を使って演奏活動を続けるピアニストです。
西川さんはアメリカ・ニューヨークでのデビュー後、手が硬直し、両手の演奏機能を完全に失いました。ジストニアと診断され、日米で5人の医師から「もう二度とピアノは弾けません」と断言されました。しかし数年にわたって粘り強い練習を続け、今では7本の指を使って世界中で演奏活動を続けています。
「夢を言い続けてきて良かった」と話す西川さんに、演奏後の反響やこれからについて聞きました。
■スタッフは「愛」で動いていた
――参加が決まってからは大変でしたか。
式当日まで過密スケジュールでしたが、スタッフの皆さんが本当に素晴らしかった! 皆さん、愛だけで動いていらっしゃいました。
――どの辺に「愛」を感じましたか。
笑顔です。スタッフの皆さんは朝早くから夜中まで動き回ってしんどいのに、いつも笑顔で接してくれて、こちらまで元気をもらいました。僕を担当された方も数年前から競技場の準備をしてきたそうで、本番直前には「悟平さん、がんばってね!」って握手代わりに肘でタッチしあいました。皆さん、閉会式は“自分が育ててきた子が卒業する”みたいだったようで…目を真っ赤にして並んでいましたね。
ただ不思議だったのは…僕は『式が終わったら泣くかな』と思っていたんですが、全然、泣かなかった。むしろ練習中の方が何度も何度も泣いていましたね。
――練習中に、ですか。
局を練習する時は必ずピアノ横にテレビを置いて、競技の放送をつけていました。一番見たのはボッチャかなあ。さまざまなハンディキャップのある人が正確にコントロールして、結果を出す。悔しくて泣いた涙も見たし、勝って喜んだ涙も見た。それらを全部、一緒に背負って…いえ、僕は見て、もらい泣きしているだけなんですが、一緒に自分も感じながら、ピアノの音にしたかったんです。
――式での演奏中は、どんなことを考えていましたか。
とっても緊張しました。あと、「本当にやってる…すげえ!」とも。スタジアムって本当に大きくて、吹き抜けからヘリコプターが飛んでいるのが見えて、目の前に聖火台があって、花火が飛んで…これ以上の舞台ってあるのかなって感激しました。
■世界中からの「夢がかないましたね!」
――閉会式の後、反響はありましたか。
もう、スマートフォンの通知が鳴りやまなくて! 「テレビを見ながら叫んだ」「オーマイガーッ、ゴヘイ!」といったメッセージが、日本だけでなくドバイやブラジル、イギリス、ドイツ、カナダ、アメリカ、シンガポールから来ました。難病患者への支援を一緒にしているマイケル・J・フォックス財団からもメッセージをもらいました。
2日間で千通近いメッセージが届いたんですが、そのほとんどに「悟平さんが言っていた『オリンピック・パラリンピックで弾きたい』という夢がかないましたね!」と書かれていたんです。僕、そんなに口にしていたんだ…って改めて思いました。もっとうれしいのが、「見ていて、自分も頑張る勇気をもらいました」と書いている方が、たくさんいたことでした。
■共演者との絆 少女が手を広げた!
――新しい出会いはありましたか。
感染対策が厳しくて他の出演者とは接点がありませんでしたが、同じ曲で共演した脳性まひのバイオリニスト・式町水晶さんと、視力障害のある女子高校生ボーカリスト・小汐唯菜さんとは、たくさんお話しました。
――どんな話をしましたか。
バイオリンの式町くんと会ったときに、「あぁ、本物に会えた!」って言われてキョトンとしたんです。すると「僕、6年前に西川さんが東京で初めて開いたコンサートに行ったんです! 『7本指のピアニスト』っていうCMを見て、調べて行きました!」と言ってくれて、びっくりしました。すでに出会っていたんですね。
本番の前、僕はとても緊張していたんですが、視力障害のあるボーカルの唯菜ちゃんが楽屋にお菓子を持ってきてくれたんです。お互いに「なんだか緊張するねー」と言いあって、気持ちをほぐすために楽屋のピアノで一緒に練習しました。僕は彼女の笑顔がとてもすてきだと思ったので、「唯菜ちゃんは、とってもかわいいって知ってた? その笑顔で、見ている人を魅了しちゃおうよ! 歌いながら手を広げたっていいんだよ」と声をかけました。
「僕はおじさんだけど、歌い始める時、唯菜ちゃんの方を向いて心を込めて橋渡しするように弾くから、安心して歌ってね」とも言いました。そうしたら笑ってくれて、本番でもニコニコしながら、のびやかに手を広げて歌ったんです! 本当に素晴らしかったですね。
■人と違っていてOK
――近々、コンサートなども控えているそうですが、今後はどんな活動をしたいですか。
これまで人生で「もう遅い」「君には無理」と言われ続けてきた僕でも、世界中の人が見ている式典でピアノを弾くことができました。だから、諦めないで続けてきてよかったと思うし、この経験を生かして、少しでも次の世代の人たちの背中を押すような役割になれたらなと思っています。
――これからの日本に期待することはありますか。
漠然と「多様性を」「違いを受け入れろ」と言われても、自分と違うものを拒絶するのは動物の自己防御本能でもあるので、ある程度は仕方のないことかもしれません。
でも日本は、こんなに大きなオリンピック・パラリンピックでの経験を経て、大事な知性と経験と知識を得たと思うんです。特にパラリンピックでは、ハンディキャップのある人でも挑み続けていて、「人間の果てしない可能性」を知ることができました。
人のいろいろな違い――国や常識や文化や性認識や障害の違いがあっても、それらを「受け入れろ」とは言わないけど、理解して「認める」知性はあるし、きっと今の日本ならできる、変われるんじゃないかと思っています。人と違っていていい。人と違っていてOKなんです。
僕はこれからも国内外に関係なく、学校やステージやさまざまな場所で「演奏会」兼「講演会」を続けていきたいです。…ピアノだけでも、おしゃべりだけでも、どっちが欠けても僕じゃない。上手にバランスよく…まあ8割はしゃべっているかもしれないけど、たくさんの方にお会いしたいです。
<プロフィール>
大阪出身。1999年に巨匠デイビッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークでデビュー。2001年に両手の演奏機能を完全に失い、局所性ジストニアと診断される。現在は左右あわせて7本の指で演奏活動を続ける。2019年、ベストドレッサー賞特別賞を受賞。東京を中心に全国各地やオンラインでコンサートを開催中。