【暗号】工作員が不自然な文庫本を所持していたワケと、ある工作員の死 “彼らはどうやり取りしていたのか”【日向事件――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員 #5】
北朝鮮による拉致事件の被害者5人が帰国してから10月15日で20年になる。しかし、まだ帰国を果たせていない拉致被害者は政府認定だけでも12人。この20年間で拉致問題の解決に向けた大きな進展はないというのが実情だ。
また、戦後、北朝鮮の工作員が日本に出入国を繰り返していたことが分かっているが、その多くは実態が解明できていない。北朝鮮の工作員は当時、日本でいったい何をしていたのか。
日本テレビが独自入手した500ページを超える極秘捜査資料には、日本に潜入し41年前に逮捕された北朝鮮工作員の活動の実態が、工作員の供述とともに事細かに記されていた。webオリジナル連載「日向事件――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員」 では、その極秘捜査資料からわかった当時の工作活動の実態を、5回に分けて明らかにしていく。
逮捕された幹部工作員は、なぜ北朝鮮による工作活動の実態について口を開いたのか。最終回となる今回は「別の北朝鮮工作員の死」から判明した、工作員の暗号の実態に迫る。
■最後の言葉は「金日成万歳」 ある工作員の死
富山県高岡市。市内を見下ろせる丘の上ある納骨堂に、一人の遺骨が安置されている。骨壷には「俗名 故 不詳殿」の文字。私たちは取材を通じて、北朝鮮工作員と思われるある人物の死にたどり着いた。
1981年3月30日。宮崎で幹部工作員が逮捕された日向事件の3か月前、静かな海沿いの町で事件は起きた。海岸からすぐそばには無人駅があった。
この駅の待合室でウイスキーを飲んでいた男が、警察官に職務質問を受けた。男は200万円近い大金を所持し、言葉になまりがあったため、交番に任意同行を求められた。事情聴取は深夜まで続き、男が疲れを訴えたため、警察は翌日再び行うことにし、男をホテルに泊まらせた。
翌朝、事情聴取の直前に事件は起きた。男がいきなりホテルの非常階段から身を投げたのだ。最後の言葉は「金日成万歳」だったという。男がいた駅に近い海岸では、その3年前、アベック拉致未遂事件が起きていた。工作員かもしれない――。懸命な捜査が続いたが、正体は分からないままだった。
■日本の文庫本を使って…「図書利用乱数式暗号」とは
しかし、男が持っていた1冊の文庫本がその正体を暴くきっかけとなる。それは日本語で書かれた文庫本だった。
富山で起きた男の自殺。そして3カ月後に宮崎で起きた日向事件。極秘捜査資料には「文庫本を持っていた謎」の答えが記されていた。それは北朝鮮工作員が使っていた当時の最新の暗号、「図書利用乱数式暗号」に必要なものだった。
従来の暗号は、ラジオから流れる5桁の数字からあらかじめ決められた乱数を引き、その数字を、換字表を使って文字にすることで暗号を受け取るもの。しかし、日向事件で逮捕された工作員らは、その過程に文庫本と和英辞典を加えることで、暗号をさらに複雑化させていた。
■具体的な「暗号」の手法
ラジオから流れる5桁の数字は、文庫本のページ数と行を指定するために使われる。例えば、ラジオから「31511」と流れた場合、315ページの11行目となる。
実際に文庫本の315ページを開き、11行目を見ると、そこには “also”という英単語があった。
今度はその単語を、漢字表を使って再び数字に置き換える。例えば、左端のAは1という数字に置き換えられる。Lは5、Sは2。Oは3となる。“also”という英単語は、1523という数字に置き換えられる。
和英辞典の152ページを開き、3行目を見ると「追っ手」という単語が書いてあった。これが暗号となるのだ。
工作員らは実際には、これをさらに複雑にした仕組みで、暗号をやりとりしていたという。
「図書利用乱数式暗号」によって実際に解読された暗号文がある。5桁の数字から「同志の報告を受け取る」という暗号を受け取っていたことがわかる。自殺した男は内容が理解できたとは思えない日本の文庫本、それも下巻を持っていた。本は暗号のやりとりに使われていた可能性が高いのだ。
■共通点「偽造の外国人登録証」-日向事件と、富山での工作員の死
2つの事件のつながりは、偽造の外国人登録証にもあった。富山で自殺した男と日向事件の幹部工作員が持っていた登録証の住所が、ほとんど同じだったのだ。登録番号も下1桁がわずかに2つ違うだけだった。
決定的だったのは、神戸市の区長印。二人が持っていた偽造登録証は、「長」の1画が真正のものと微妙に異なっていた。その異なる部分が一致したのだ。同じ特徴の偽造登録証は、自殺した男が北朝鮮の工作員であることを物語っていた。
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ある日、あなたや家族が忽然と姿を消してしまったらー。にわかに信じがたい出来事が、1970年代から80年代を中心に日本で相次ぎました。北朝鮮による拉致。当時、日本で何が起きていたのか。2002年に拉致被害者5人が帰国しましたが、その後20年たった今も、異国の地で帰れないでいる人たちがいます。帰国を待つ家族に残された時間はそう長くありません。
このサイトは拉致被害者本人やその家族の身に起きた出来事を、より広く知っていただくために立ち上げました。具体的に理解できるよう、あなたの属性にあわせて拉致被害の経緯を追体験できるようになっています。あなたの人生と照らし合わせて、自分ごととして拉致問題を考える機会になることを願っています。