【浸透】日本への浸透を図る工作員の組織と“謎の薬品”で浮かび上がる文字 極秘捜査資料からわかった北朝鮮の工作活動の実態【日向事件――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員 #3】
北朝鮮による拉致事件の被害者5人が帰国してから10月15日で20年になる。しかし、まだ帰国を果たせていない拉致被害者は政府認定だけでも12人。この20年間で拉致問題の解決に向けた大きな進展はないというのが実情だ。
また、戦後、北朝鮮の工作員が日本に出入国を繰り返していたことが分かっているが、その多くは実態が解明できていない。北朝鮮の工作員は当時、日本でいったい何をしていたのか。
日本テレビが独自入手した500ページを超える極秘捜査資料には、日本に潜入し41年前に逮捕された北朝鮮工作員の活動の実態が、工作員の供述とともに事細かに記されていた。webオリジナル連載「日向事件――ただ1人“完全自供”した北朝鮮幹部工作員」 では、その極秘捜査資料からわかった当時の工作活動の実態を、5回に分けて明らかにしていく。 第3回は、日本に潜入していた工作員の組織体制と暗号のカラクリについて解説する。
■幹部の下に5人…工作活動の実態
41年前に宮崎県日向市の海岸で見つかり、逮捕された北朝鮮の幹部工作員(当時62)の男。この男の取り調べから、工作員の活動と組織体制が判明した。
宮崎で逮捕された幹部工作員(当時62)は、5人の部下を教育し、それぞれを「1対象」「2対象」などと名付けて任務に応じた工作活動を行わせていた。そのうち「2対象」と呼ばれた男は、上陸ポイントの下見や新たな協力者の開拓、さらに暗号の送受信などを行っていたという。
「1対象」と呼ばれた男は、韓国での活動拠点の確保や新たな協力者の開拓という任務を帯びていたとされる。男は幹部工作員の指示で、韓国・済州島に潜入し工作活動を行おうとした矢先に逮捕されたという。
韓国の捜査当局がまとめた工作員グループの体系を見ると北朝鮮労働党を頂点とする連絡ルートだったことがわかる。「1対象」の男と北朝鮮を結ぶその間に、北朝鮮の貨客船・万景峰(マンギョンボン)号の文字があったのだ。
別の元工作員が警視庁に対し、万景峰(マンギョンボン)号で指令書を受け取っていたと供述したのは2002年のこと。しかし、当時すでに万景峰号が工作活動に使われていたことが分かっていた。
韓国政府の転覆に加え、自衛隊の調査、新たな協力者の開拓。暗号を駆使しながら進められた工作活動の実態が捜査資料に記されていた。自衛隊の関係資料や日本地図、時刻表などを本国に送り続けていたことも確認された。北朝鮮に送られた情報は、拉致を含む新たな工作活動に使われていた可能性がある。
■実証実験 “謎の薬品”を使った工作員の暗号
宮崎で逮捕された幹部工作員の自宅からは、薬品の配合が書かれた手書きのメモが押収されている。それは北朝鮮の暗号を解き明かす重要資料だった。
メモに書かれた配合方法に従い、実験を行う。必要なのは一般に市販されている白い粉末状の薬品と、ある液体。まず、薬品を水に溶かし暗号液を作る。
その液で紙に文字を書いてみる。液体は透明なので、紙を見ただけでは何が書かれているのかはわからない。しかし、この紙にある液体を吹きかけると――
ゆっくりと「実行せよ」という文字が浮かび上がった。これは北朝鮮が当時使っていた最も簡単な暗号の1種だ。この方法で手紙などに暗号文を書き、本国と連絡を取り合っていたという。
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特設サイト:#拉致を知る あなたの人生に“拉致”があったら――
URL:https://news.ntv.co.jp/special/rachi
ある日、あなたや家族が忽然と姿を消してしまったらー。にわかに信じがたい出来事が、1970年代から80年代を中心に日本で相次ぎました。北朝鮮による拉致。当時、日本で何が起きていたのか。2002年に拉致被害者5人が帰国しましたが、その後20年たった今も、異国の地で帰れないでいる人たちがいます。帰国を待つ家族に残された時間はそう長くありません。
このサイトは拉致被害者本人やその家族の身に起きた出来事を、より広く知っていただくために立ち上げました。具体的に理解できるよう、あなたの属性にあわせて拉致被害の経緯を追体験できるようになっています。あなたの人生と照らし合わせて、自分ごととして拉致問題を考える機会になることを願っています。